淡い色合いの人だった。口を開けば静かな佇まいの中に苛烈さを滲ませるような、そんな人。ゴンはあまり他人の印象を、その断片を繋ぎ合わせて想像で補うことをしない。出会い、見て、接した実像のみを純粋に受け止める。悪意を含まないから、親しみ、戸惑い、怒りすら湧き上がるまま。誰も彼もがゴンのように他人を受け止めはしないということは理解しているつもりだった。だからこそ、突き進むだけの自分を諌めてくれる家族であったり友人であったり恩師であったり、大勢のかけがえのない人たちがいるのだと、あまり賢くない頭で整理してみる。
 気難しげに寄ってしまう眉間の皺を、ゴンの前に座るマチは一瞥しただけで何も言わずまた手元に視線を落とした。彼女の手に握られているのはゴンの上着で、背中が見事に破けてしまっている。針に糸を通す指先の繊細さを、ゴンはぼんやりと、しかし凝視する。一方的な緊張感が募り、するりと糸が小さな穴が抜けて行く瞬間、無意識に止めていた息をほっと吐いた。そんな幼い反応に、マチは僅かに口元を緩めた。僅かな反応を見逃せないまま、ゴンの視線は彼女の唇に向かい、またぼんやりと柔らかそうだと思う。自分の唇を触ってみても、指先と共にかさついていて目を奪われるような柔らかさとはほど遠かった。外を駆け回りすぎただろうか。だから上着をどこかに引っ掛けて破いてしまうのだ。泥だらけになることは珍しくもないけれど、服をダメにしたのは滅多にないことで、ゴンはどう対応していいものか見当もつかなかった。
 繊細な手付きだった。無駄な動きなどないものだと、裁縫をしたことのないゴンでもわかるほど最低限の動きで布を縫い破れ目を塞ぐ。

「普通の糸なの?」

 間の抜けた問いだった。マチの手にした糸が、普遍的な、どこぞの店でも手に入るものであることが意外だった。繕い物に念は使わないでしょうと冷めた口調で応える彼女の声に、その実ゴンの胸は冷めなかった。見下しているつもりも、呆れているつもりもなく。ただ彼女はこういう人なのだと具体性を持たない確信でゴンは納得する。他者を隔絶するような人間ならば、こうしてゴンを向かい合って座りながら彼の上着を繕ってはくれないのだから。
 手持無沙汰なゴンの視線を受け止めるマチはちっとも居心地の悪さなど主張しないまま真っ直ぐな眼差しを受け流す。ゴンの想像通りに彼女は他者を隔絶したりはしない。ただ受け入れる人間を選ぶだけ。選ばれなかった有象無象をマチは人間としてカウントしない。それは生死に頓着を持たないということ、故に殺せる。殺して、ゴンの言う彼女だけの糸にぶらさげて興の乗らない殺人で躍らせることもできる。けれど今はそれをしない。ゴンと二人きりの、この場所では。
 見慣れない風情の廃屋だった。きっとマチが纏う衣装と同系列の文化だろう。極東の方。マチも実は行ったことがない。所々崩れ落ちた塀と、落ちた屋根瓦。開け放たれた縁側に腰掛けて、香る藺草の床を畳と呼ぶことも知らない。ただここはとても静かで居心地がいい。慎重な空気を破壊する快活さで駆け回る子どもが紛れ込んできても、その静けさが壊れることはなかった。数回しか邂逅したことのない性根に、疑うべくもない純粋を見出してからマチはゴンを子どもだと認識した。間違いはなく、騒がしく、汚されないから優しく直視するには目に痛い。

「あのつり目のぼうやとは一緒じゃないの」
「うん、明日まで別行動なんだ」
「そう」
「―――、」

 きっと、別行動なんだという言葉の前にそこにいたる経緯が省略されていて、ゴンはそれをマチに伝えたつもりでいる。そうでなければ、わざわざ期限付きの別行動だと明らかにする必要はないから。根掘り葉掘り尋ねるつもりもないし、それよりも沈黙とは違う、吸い込んだ空気を吐き出す場所を求めての逡巡の方が気に掛かる。
 ゴンは、知り尽くした自身の都合よりも偶然の再会で顔を合わせたマチの都合について聞きたいのだろう。旅団の皆も一緒なのか、また何か盗みに来たのか、その為に関係のない人を殺すのだとか。今この瞬間口を開くには、あまりに無粋が過ぎるというもので、マチもゴンを気遣ってその糸口を与えてやろうとは思わない。そもそもこんな風に衣類を繕ってやること自体マチからすれば異様なことで、これ以上の干渉は自制しなければ後々厄介なことになりそうな妙な予感がある。勘というものをあまりアテにしてはいけないのかもしれないが、無視することもできないざわつきが胸の中で騒がしく警鐘となって鳴り響いていた。
 それでも、この空間は静かだった。騒がしいはずの子どもも、梢と鳥の鳴き声も遠く。身を置きなれた静謐とは違う、紛れもなく穏やかと呼ぶべきさざめきの中で、マチは裁縫なんてことをしている。あまりに奇妙で、自嘲じみた笑みが込み上げるのをどうにか抑え込んだ。手持ちの金に困ったことはなく、破れたなら捨てて新しい服でも買えばいい。それを言わないのは、こんな風に味方でもない顔見知りとも呼べない、歪な距離をそのままに余計な世話を焼いているマチ自身への攻撃を避ける為だった。

「――できた」
「わ、ありがとう!」
「気を付けな。馴染んだものは大事にしてやるといい」
「うん!わかってる!」

 成長して、袖が通らなくなるくらいが丁度いい。目分量、あまり成長していないようで、外見とか中身とか、突き詰めるほどマチは感慨を抱かない。
 こんな風に、一時の世話焼きくらいなんでもないはずだ。危なっかしい子どもは手の掛からない余所の子であることが望ましく、寄り掛かられるのは大嫌いで、ゴンはある種の好物件だったのかもしれない。だからこそ、もうこんな偶然は御免こうむるのだけれども。

「ホントにありがとう………、」
「なに?」
「あの、その…もっと怖い人かと思ってた。優しいんだ」
「さあね、今はそうかも。状況が変われば容赦はしないよ」
「うん。でも、優しい人は優しいよ」
「――そう、」

 議論になりそうもなかった。上着を手渡して、さっさと行ってと手を払う。名残惜しそうな視線を無視すれば、それ以上留まる理由を持たないゴンは何度もマチの方を振り返りながらこの廃屋を立ち去るしかない。それが自然な流れだった。その未練は、ゴンがマチを優しい人と心を傾けたことによる錯覚だ。勘違いも甚だしいとマチは漸く堪えていた笑みを浮かべた。鋭利に、世界と人間の薄暗さと狭隘さを知り囲いの中に居座って、誰かを壊すことを厭わない笑みを。
 けれども。その笑みが、マチ自身が思っているよりもずっと柔らかいものであったことを、本人も気付くことはなく。麗らかな陽光の中に消えて行った小さな背中を視線だけで追い駆けていることすらも無視をして。マチは膝の上に残っていた縫い糸をもう必要がないと遠くへ放った。あの子どもの上着の色に合う色は、きっともう使うこともないだろう。
 これはただの、夢のように霞む一時の出会いだった。



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これは、僕の心の奥底に眠る優しい人の話だ
Title by『告別』






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