素直になれない口先を、日向は馬鹿だなあと思いながら見つめている。ぼんやりと、薄い液晶に映る映像を見ているような、それでいて焦点の定まらない虚ろさだった。きっと自分に向かってひどい暴言を吐いているに違いない。何度もバリエーションの少ない暴言を受けていれば腹立たしさも慣れに変わっていく。親しみだけは湧くはずがなく、時には自身の迂闊さを顧みたりもするけれど、大抵影山が腹を立てる理由など日向には理解できなかった。
 トスを上げてくれと日向が影山に付き纏うのは今に始まったことではない。影山だって、稀に自分から日向を誘うこともある。違うのは、日向が誘えば影山は自分の都合が悪いとすげなく断るくせに、影山が誘う際は日向には拒否権がないことくらいである。拒否する気もない日向も影山のトスを打てることを喜びとしている部分があるので、僅かな理不尽には気付かないのである。
 たぶん、しつこすぎたのだと思う。サーブの練習をするからトスはまた後でと言われた。日向は引き下がらなかった。そうしたら、影山が怒った。全く以て日常的過ぎて、肩を揺らす驚きも消えてしまう。あとどれくらい影山が怒鳴り散らしたら二人揃って先輩たちに怒られてしまうのだろう。統計など取ってはいない。学習しないのは何も自分たちだけではないだろう。
 休憩中の体育館は静かで、影山の声だけが喧しい。眉を顰めたのは、くどいまでの影山の言葉を厭うたわけではなくて、単に飽きたのだ。もういいだろうと影山の腕を取れば即座に彼は黙った。素晴らしい反射神経だと感心しながら、影山を引っ張って体育館の外に出ようとする。水場まで行こうと顔を見ないまま先を歩く。物珍しい光景だと刺さる複数の視線は黙殺することで自然を主張した。影山は何も言わず大人しく着いてくる。それこそ稀有なことだから、もっと文句を吐いてくれてもいいのにと日向は不思議に思う。けれど文句と同時に掴んだ腕を振り払われたら寂しいから、やっぱりこのまま大人しくしていて欲しいと、日向は心の中で意見をあっさりと翻した。

「馬鹿だなあ、」

 無言で水場までやってきて、二人して水道水で顔を洗う。それからぽつり日向の呟いた言葉には、影山は過剰な反応はしなかった。悪口ではないとわかっているのならいいけれど、単純に聞こえていないだけかもしれないと日向は期待しない。何せタオルを持ってくるのを忘れてしまったものだから、日向は犬のように頭を振って水滴を掃ってそのままでいるのだが、影山は対応を悩んでいるのか水場に俯いたまま動かない。どうせ休憩が終わって動き出せば直ぐに汗をかくのだから、多少の湿り気くらい無視してしまえばいい。
 やがて影山も腕で乱暴に顔を拭うとそのまま漸く顔を上げた。少し前まで日向に怒鳴っていた頭もこれで冷えたらしい。

「お前さっき何か言ったか?」
「何かって?」
「何かってそれがわからないから聞いてんだよ」
「あー、馬鹿だなあって言った」
「はあ!?」

 折角冷えた頭をまた激昂させかねない影山に、日向は慌てて「お前のことじゃないよ!」とフォローを入れる。より正確に伝えるならば「お前のことだけじゃないよ」が正しいのだが。自身を含めた二人のこと。どちらにせよ、影山は怒りそうだ。他人を馬鹿と罵れるほど日向は賢くはないけれど。それでもいつまでも騒いでいる自分たちに、キャプテンが静かに放つ威圧感を察知できていないようではまだまだだなと問題を起こすことを止めない大前提で日向はこっそり胸を張る。

「あとちょっとでキャプテンに怒られそうだったんだぞ!」

 先輩の存在を盾にすれば影山も怯むことを日向は知っている。言葉に詰まった影山が直ぐにもとはと言えばお前がしつこいからだと日向の頭を掴もうとする手を躱す。散々怒鳴られてやったのだから、そろそろ自分の言い分も聞いて貰う頃合いだと思う。尤も、日向は影山の暴言を聞いていたのではなく眺め、流していたのだがそこは本人にばれていないのだから触れなくてもいい話。

「だって俺スパイク打ちたかったんだよ」
「はあ!?」
「だからお前のトスがなきゃダメじゃん!」
「………菅原さんもいるだろうが」
「影山がいるのに?」

 日向の主張はサーブ練習をしようとしていた影山を全く尊重していないのだが、普段の影山が日向を全く尊重していないので問題にはならない。それよりも、影山がいる場所で日向が自主的に駆け寄る相手が唯一であること、それが無意識なのだろうが本人の口から発せられたこと。そのことに影山は直前のキャプテンを盾にされたときよりも怯んでいた。水道水で冷やしたばかりの頬が心なしか熱くなっていくような気すらしてくる。柄じゃないから、目に見えて赤く染まっていないで欲しかった。

「俺は影山のトスが良かったから頼んでるのにさ、お前冷たすぎるんだよ」

 不満げに唇を尖らせる日向に、これ以上無自覚に恥ずかしい台詞を吐いてくれるなと両手で頭を掴んでくせのある髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜてやった。
 傍から見ていれば、日向の言葉は漸く得た仲間と素人まがいな自分をコートに立たせてくれる影山への信頼だと響くだろう。影山の今の挙動も、二人仲良くじゃれ合っているように見えるだろう。いつものようにいい加減にしなさいと先輩に怒られるようなことは何もない。当人たちにはもっと深い想いが籠もっているとしても。

「――じゃあお前、絶対俺以外の奴のところに行くなよ?」

 額がくっつく程の近さで、影山が囁いた。無言で、何度も大きな瞳を瞬かせてじっと見つめてくる日向に照れくさくなったのか、影山はさっさと体育館に戻り始める。

「行くわけねーじゃん!」

 背後から飛んできた威勢のいい返事に、影山は振り向きそうになるのを懸命に堪えた。盛大ににやけている口元を気付かれないよう手で隠しながら影山は大股で体育館への道を歩く。置いて行ってしまうことを申し訳なく思う必要なんてない。どうせ数秒後には、駆け寄ってきた日向が隣に並んで歩き出すのだ。



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Title by『ハルシアン』





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