柔らかい布団越しに撫ぜた肩の細さは宙地の手には感じられなかった。規則的な呼吸を繰り返すめぐるの寝顔を覗き見する不躾さを咎める声は降ってこない。宙地が「記憶」の光に目覚めてから、火星へ向かう期日も迫り忙しい日々が続いていた所為でめぐると顔を合わせて落ち着いて話せる時間は殆どなかった。それを、めぐると同室のいづみに注意されてしまった。彼女も「音」の光の持ち主として、日々忙しく様々な音を聞かされたりと疲労も一入だろうに、こっそりという名目で宙地を寮の自室に放り込んで適当に時間を潰してくるからと何処かへ行ってしまった。マルカ辺りの部屋を訪ねてくれていれば幾分気も楽だけれど、時計の短針が盤上の12を指している真夜中に、女の子を部屋から追い出すような形になってしまっていることが宙地には心苦しかった。
 それでも、こんな風に静かな場所でめぐるの顔を見るのは久しぶりで、また寝顔を見るなんて初めてのことだったから、宙地は嬉しさとむず痒さを同時に味わいながら疲労の溜まった、睡眠だけでは癒せない心労が退いていくような心地に浸る。これで、タイミングよくめぐるが目を覚まして、微笑んでくれて、声を聞くことができたら。それはとても嬉しいことだけれど、健やかに眠っているめぐるを起こすという選択肢を宙地は選べない。それでも鋭気は養えたと思ってしまう、その単純さにまた心が軽くなる。めぐるの幼馴染のように想いを言葉にすることは得意ではないし、かといって行動で示そうと迷わず突き進めるわけではない。それでも、心の中では憚りなくめぐるを好きだと思っているし、たどたどしく吐き出した想いをめぐるは確かに受け止めてくれたのだからそれだけで充分だった。
 会話のない室内では時計の秒針だけが規則正しく音を立てて進む。布団越しにめぐるに触れていた手が、少しだけ欲を出して彼女の頬に伸びた。指先で触れた箇所は温かかった。しかし、途端にめぐるが小さく声を漏らしたことに驚いて、宙地は直ぐに手を引いてしまった。けれどもそれは手遅れで、一度ぎゅっと寄せられためぐるの瞼はゆっくりと開いていく。眠っていた瞳に、蛍光灯の白は強すぎてなかなか焦点が定まらない。目元を手の甲で擦り、人の気配を感じて上体を起こしてからめぐるは漸くその瞳の中心に宙地の姿を見た。てっきり同室のいづみが帰ってきたとばかり思い込み、習慣で「おかえり」と呟こうとしていた唇が停止する。眠気を払う為ではなく、目の前に宙地がいるということに驚いてめぐるは何度も瞬きを繰り返した。その反応に、確かに自分がめぐる達の部屋に居ることは普段ならば有り得ないことだからと納得し、混乱させて申し訳ないと苦笑交じりに眉尻を下げる。そうした宙地の表情の変化が、めぐるに漸く疑う余地もなく此処にいるのは宙地だと認めたのか彼の名前を呼んだ。そこで宙地も、めぐるに名前を呼ばれることすら久しぶりのことだったと気が付いた。記憶の中で思い出の音声を再生することは、これまでの日常が褪せることをさせなかったから容易かった。けれど、場面や気分によって変わる呼び声を、宙地はいつだって直接耳朶を響かせて届けて欲しかった。それを困難にさせているのは、厭えない手に入れていた光と、そうして嵩んだ宙地の業務の方ではあるけれど。

「――宙地くん、どうしたの?というか、どうやって入ったの?いづみちゃんは?」
「ああ、御闇さんに入れて貰ったんだ。最近、めぐちゃんと殆どお話してないんじゃないですかって心配されてさ…」
「う…いづみちゃん…。じゃあいづみちゃんは今どこに行ってるの?マルカの所?」

 それがよくわからないんだと頬を掻く宙地に、めぐるはベッドから抜け出て机上に置いてある携帯を手に取ると手早く操作して、それから宙地のすぐ隣に腰を下ろした。宙地の顔を覗き込んでくるめぐるは、未だに彼がこの部屋にいることへの驚きを払拭しきれていないようだがそれは彼女の寝顔を見つめていた宙地と同じ、喜びに満ちた驚きであった。話したいことも、聞きたいことも沢山あった。ぐるぐると動く事態に、今頃みんなは何をしているのだろうと疑問に思っては自分のいない場所で最善を尽くしているであろう宙地を想った。自分がいなくても変わらないことの方が多すぎて寂しくもなるけれど、こうして宙地が訪ねて来てくれる特別は、寝起きの無防備な心が気後れや遠慮という棘を生やす前にめぐるに十分すぎる幸せを届けていた。

「ねえ、疲れてない?」
「ちょっとだけ。でも無理はしてないよ、大丈夫」
「なんか会話を先回りされた気分…」
「そうかな」

 膨らませていた筈の言葉は、ありふれた労りの文句に変換されてしまった。どうしてかはわからない。もどかしくはあるけれど、何か話したいとも思うけれど、それ以上にこうして一緒にいられることが大切だった。
 宙地が膝に乗せていた手の上に、めぐるの手を重ねる。緊張に強張ることもなく、宙地はめぐるの手を握り指を絡めた。挑んでいっためぐるが気恥ずかしくなるくらい、自然な動きだった。至近距離で瞳がかち合って、微笑む。宙地の肩に頭を預けて、めぐるは瞼を閉じた。けれど、眠気なんて訪れない。それでも心は眠りの浅瀬を漂うように夢心地だった。余計な言葉で傍にいられない一時の孤独を深めるくらいならば、いっそずっとこうして寄り添っていられたらいいのにと、言葉にしないまま二人は胸の内で願い事を重ねている。
 めぐるの携帯がメールの受信を告げるメロディを鳴らす。あともう少ししたら部屋に戻るねといづみからのメールを確認して、けれど彼女のことだから、自分たちに気を遣ってそのもう少しが長くなるであろうことは想像に難くなくて。

「――宙地くん、」
「ん?」
「私は、宙地くんが好きで、こうして手を繋いだりしたいって思うのも当然宙地くんだけだけど」
「――うん」
「こんな風に誰かに気にして貰えることって、きっと私たちにとって幸せなことだよね」
「そうだね」

 誰かの目を気にしたり、阻まれるような恋ではないけれど。恋とは違う、大好きな人たちに祝福される恋を実らせた自分たちは、僅かな擦れ違いに心を摩耗させる必要なんてないくらい幸せなのだと思う。
 だから名残惜しさはあるけれど、心の充電はもう済んだから明日も忙しいであろういづみを出来るだけ早く呼び戻してあげたい。それにしたって、おやすみなさいと告げる時間とキスをする時間くらいは残っている筈だから。



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それから、ひとたびあなたに
Title by『ダボスへ』





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