※本編前、春休み設定



 落ち込んでいるのかと思った。ひとり俯いて、じっと動かないでいるものだから。
 しかし顔を上げた澤村の顔に涙の痕はなく、穏やかに凛とした、力強い瞳がどうかしたのかと清水に向かって尋ねてきた。静かに首を振って、彼女は床に直接腰を下ろして何やら書き込んでいる澤村の手元に影を落とさぬよう近付いてしゃがみこんだ。
 体育館の扉から差し込む日差しを浴びて、一日練であるが故他の部員たちが長めの昼食休憩を取っている中、澤村は今のメンバーで試合をする為のローテンションを数パターン考えていたようだ。三月の県民大会からのいざこざでエースとリベロが離脱している状況は部長としても頭が痛む所だろうと清水もわかっている。今年からバレー部の顧問を務めることになった武田は善良な教師ではあるがバレーの指導者としてはカウントできない。本当に問題の尽きないチームだと清水は実質的な労苦を身に背負わないままに澤村を見つめる。春休み中も練習試合の予定は特にないまま、数日後には新学期が始まろうとしている。

「――もう三年になるのね」
「ん?ああ、そうだな。早いもんだ」

 清水から雑談を振ることは珍しく、澤村は一瞬意外に思ったものの話題自体はこの時期珍しくもないものだったのでそのまま彼女の言葉を引き継いだ。しかしそのまま黙り込んでしまった清水が、手近な言葉をきっかけに、部長の苦労を労ってやりたいと、そうした胸の言葉を紡ぎたいと思っていたことには気が付かなかった。
 元々口数の多いタイプではなく、マネージャーとしての仕事も必要に迫られなければ不言実行タイプの清水である。言葉なしに心情を察して貰うには表情も落ち着いたものを滅多に崩さない、そんな少女だった。引っ込み思案というわけでもなく、意見を溜め込む性格でもないので無理や不満を募らせてはいないであろうという安心感が部員たちにはあって、実際それは間違いではない。ただ清水潔子という人間に対する周囲のイメージと、それとさほど変わらない実像に対して本人が何の不便も感じてないかというとそれはまた別問題だった。
 こんな風に、部長として、バレー部の部員として必要なことをやっているだけの澤村にだって、だけどひとりでやらなくてもいいんじゃないのと提言してみたくもある。きっと負担とも思っていないだろう。彼はどこまでもバレーに対して真剣で、真摯だった。部長としての澤村のフォローに回る言動、時には彼自身へ向かうフォローとして叱責を飛ばすことも含め、そうしたものは菅原の役目だったと周囲を見渡しても昼食を取りに部室にでも戻っているのか、体育館には澤村と清水の二人しか残っていなかった。

「……お弁当は?」
「これ書き終わったら食べるよ。清水はもう食べたのか」
「…まだ」
「そうか。早く食べて来いよ」

 それは早くどこかに行けということかしらと、捻くれた想像をして、止めた。そんな意図を持って善意のふりをした言葉を、澤村は自分に対しては使わない。その確信は自惚れとは違う、部長とマネージャー、同じバレー部で過ごしてきた時間が築き上げて信頼だとか、そういうものに由来する。
 澤村の言葉を受けても、決して立ち上がって去ろうとしない清水に、彼は何も言い募っては来ない。自分が号令をかけて次を促さないと時間の配分すら危ういような後輩たちとは違うと知っているからだろう。清水も、澤村に面倒を見て貰うようなお転婆ではないという自負はある。時計を見て、時間の余裕は確認済み。けれど妙な離れがたさが彼女を捉えて離さないのは、この場所の日当たりがあまりにいいからだろうか。そういうことにしておきたかった。二人きりという言葉を意識するのは、この体育館という場所はどうしてか不釣り合いな気がしている。
 春の陽気が温かい、はらりと舞い込んできたのはまだ見頃には届いていない桜の花弁だった。陽光を見つめて細める瞳が、きっと澤村や菅原が見ればとても穏やかなものであったことに気付いたことだろう。生憎、下を向いたままの澤村は清水のその心地良さを見落としてしまったけれど。元より見咎められて、指摘なんてされていたら清水はどう反応していいものか困ってしまったであろうから、彼女としてはかち合わない視線のことなど全く問題ではなかった。
 気遣いも上手く言葉にできなければ、澤村こそさっさと昼食を取るべきだと促すタイミングも逃した。だらだらと他人と行動を共にする種の人間では、お互い違うのだけれど、ほうっておけないと、今更何を取り繕ってしがみつこうとしているのか、清水にもよくわかってはいないのだ。邪魔をする気は微塵もない。私を頼れとも言わない。しかしひとりではないということを、試合とか、チームとか関係なしに忘れて貰っては困るのだ。
 そう思いながら、清水は立ち上がる。だがそのまま場を去ることはしなかった。

「――清水?」
「……待ってる」
「うん。それはまあいいんだけど…どうした?」
「――眠い」

 澤村の背後に座り直して、背中を預けた。思っていたよりもずっと広く逞しい背中だった。瞬時に込み上げた気恥ずかしさを、澤村の優しい声音が安心感に塗り替えて行く。ふざけて思いきり体重をかけてみても全く押し倒すことはできない。この力強さが、三年目に差し掛かった、この烏野高校のバレー部で培ってきた彼の成果なのかもしれない。そしてそんな彼を、マネージャーとして支えられる自分が、最後まで隣に居ればいいと思う。感傷的な気分に浸るには、春の日差しが柔らかくて向いていない。けれど春とは格好の言い訳であり、背中越しに伝わってくる澤村の体温もまた同様だった。
 ――眠い。
 言葉にもした、言い訳。それをもう一度心の中で唱えてから、清水はそっと目を閉じた。



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背中越しの君の体温
「清廉潔白」様に提出





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