人吉善吉と云う人間は正直な人間なのだろう。その場の空気でいくら流されて手をキツく握っても。内心で全てを許し受け入れていても。日常の中でその人間とどう接し付き合って行くのかは時間を経なければ定着しないのだから仕方ない。
 つまる所、人吉善吉の緊張した態度が、ひしひしと病院のベッドに横たわる江迎にも伝わっていて、その空気が部屋中に充満しているのである。

「久しぶり…、でもないのかな?」
「ああ、俺は一昨日ぶりだな」
「病院だと退屈で、時間が遅く感じるのかも」

 江迎が会計戦で腹に受けたダメージは軽くはない。本来ならば、こうして会話することすら禁止されてもおかしくないのだ。江迎の回復力と、人吉が見舞いに来た時以外は殆ど喋らないという現状が生んだ、ちょっとした幸運である。
 状況的には、まだ全ての戦いを終えていない生徒会の一員である善吉も、見舞いに来るような隙はない筈なのだが、母である瞳とめだかが見舞いに行けと強く言うのであっさりとその言に従った。状況が状況だったとはいえ、阿久根と喜界島が重傷を負った際には一切そんなことは言わなかったのにも拘わらず。
 そして実際に瞳から江迎の入院している病院を人吉が初めて訪れたのが一昨日のこと。だがその時はやって来て直ぐ江迎が傷の検査で部屋を出てしまいそのまま面会可能時間が終わってしまったのである。だから、こうして面と向かってゆったりと江迎を見舞うのは実質今日が初めてだ。

(そういえば俺、女子との会話にセンスレスなんだった…!)

 休息を必要としている彼女に、自分達の戦況を話題に出すのは憚られた。球磨川の話題ならばなおのこと避けたい。足りない頭でぐるぐると必死に話題を探す人吉を、江迎はじっと不思議そうに見詰めている。

「…江迎?」
「あ…、ごめんね。私の為に必死に話題を探してまで会話しようとする人なんて今までいなかったから…なんだか不思議で…」

 ほの暗い過去をあっさりと当然のように打ち明けてくるあたり、彼女は確かにマイナスだった。だが確実にプラスに動き出した江迎は、人吉との会話が楽しいと、他人の行動に期待を抱いているようにも思えた。
 そんな江迎の笑顔が、人吉の緊張を軽く解した。可愛いと、今なら素直に思える。孤独にさまよう手を、握ってやることだって、今なら簡単に出来る気がした。

「退院したらさ、どっか出掛けないか?」

 人吉が、友人を誘うレベルの認識で掛けた言葉も、年頃の男女が行うだけでデートの誘い文句になるのだということを、彼は気付いていないのだろう。江迎もまた江迎で、善吉に異性として惹かれながらもこれまで友達と呼べる人間を持たなかった彼女には、誰かと一緒に出掛けられる。しかも相手から誘いを掛けてくれるという事実が夢のように感じられて、何度も瞳を瞬かせる。

「…動物園、行ってみたいな…」
「おお!良いぜ、行こうか」

 無意識に零れた願望を、人吉は広い上げて叶えてくれる。世間一般からすればささやか過ぎる願望も、江迎からすればなかなか叶えてこれなかった物ばかりだったから。
 まるで自分を普通の女の子のように受け入れて扱ってくれる人間が現れるとは、夢にも思わなかった。しかもそれが、ノーマルの人間だなんて誰が想像出来ただろうか。

「善吉君、手を…握って貰っても良いかなあ?」

 ゆっくりと、人吉に向かって手を伸ばす。つい最近まで、他人には忌み嫌われて来たこの仕草を、人吉は不思議そうに、さも当然のように受け止め江迎の手を自身の両手で包み込む。
 優しさが痛いとは、良く言ったものだ。これまでどんなに痛めつけられても、笑みを消さず涙など零す筈もなかったのに。
 人吉の手の温度が温かくて優しくて痛くて、江迎は涙が止まらない。慌て出す人吉に微笑みながら、江迎も彼の手を握り返す。腐らない。それだけでこんなにも人は近付ける。否、腐っても、人吉ならば近付いてくれるのだろう。
 だから、こんなにも痛くて優しくて嬉しくて、江迎は溢れる涙を拭うこともせずに微笑みながら握り合った手を見つめる。
 生まれて初めて、自分のこの手を愛しく思えた。



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今、私が産まれました




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