ふとした瞬間にリョーマの視界の端で見覚えのある長い三つ編みの髪が揺れる。それをいつからか自然と目で追うようになったことに、当の本人はまだ気付いていないのだ。
 だから教師に頼まれたプリントの束を教室から職員室へ運ぶ途中、脇目を振ったが為に肩を壁にぶつけてそれらをばらまいてしまったことも、自販機で飲み物を買う為に小銭を入れようとしていたのに意識が逸れていつまでもその場に突っ立ってしまっていたことも、リョーマには前日の夜に遅くまでゲームをしていたから寝不足なのだだとか、朝練に遅刻したせいでグラウンを何週も走らされたから疲れているのだだとか、兎に角注意力散漫といった理由をこじつけて自分を納得させるしかない。周囲の人間は気遣わしげにリョーマを心配したり叱ったり、けれど部活の先輩辺りは妙に生温い目で以てリョーマの頭を撫でようとしてくるのだから、どうにも居心地が悪い思いをしなければならなかった。

 桜乃が意中の相手でもありテニスプレイヤーとして憧れの相手でもあるリョーマを視界に収める為には意識して目を凝らさなければならなかった。クラスが違うこと、性差故属する部活が違う上にそれが忙しいこと。そして何よりリョーマが自分のことを何とも思っていないということ。他にも様々な、桜乃のネガティブな自意識を組み込んだ理由があるので、いつだって桜乃はリョーマをただ一目見る為だけに必死になるのだ。しかし鈍臭さと不運を頻繁に発揮する彼女には、毎日何度もリョーマを見つけることは出来ない。恐らく彼女の親友出会える朋香の方が、頻繁にリョーマの姿をあの大きな瞳に焼き付けているに違いない。彼女にならば、相手のクラスの時間割まで把握して何曜日の何時間目なら移動教室で歩いているリョーマを目撃できるといったレベルの情報収集力を発揮しそうだ。内心で自分への落胆の溜息を零しながら、桜乃は今日も必死にリョーマを探して視線を廻らしている。自分に向けられる視線があることなど、微塵もその可能性に気が付くことの出来ないまま。

 ある日、リョーマは移動教室の途中窓の外に桜乃の姿を見つけた。彼女は困ったような顔で、ずっと下を向いて何かを探している様にしゃがみ込んだり立ちあがったりと動き回っている。近くに水飲み場があるので、恐らくはハンカチ辺りを忘れてしまったのかもしれない。けれどそんな小さくもない筈の物があれだけ真剣に探しても見つからないのだから、きっともう風に飛ばされるなり親切な人に落し物として回収されるかなりしてしまったのだろう。諦めて、さっさと教室に戻って次の授業に備えた方が教師に怒られる心配もないのだから賢い振る舞いのように思えたが、直ぐに彼女がさほど要領の良くない人間だったことを思い出した。どちらにせよ、一緒に探してやれるような距離感ではないし、さっさと教室に戻るよう促すには窓を開けて声を張らなくてはならない。それはどうにも自分らしくないので絶対に却下だ。
 何より桜乃はリョーマに話し掛けると凄くどもる。気弱な正確な少女と、どこまでもふてぶてしい少年が向かい合うと万事同じような状態に陥るのだろうかと気の毒になるほどに。実際それは桜乃の恋心が震えるが故の緊張が彼女の身体から思考までを硬直させてしまっているからなのだが、勿論リョーマにはそんなことは知る由もない。だからリョーマにはそんな桜乃の態度が不思議で仕方がないし、若干ショックでもあったのだ。彼女はいつまで経っても自分という存在に慣れてはくれない。そんな棘が、リョーマの内側からちくちくと彼自身を攻撃していたが、それでも彼は気付かない。最悪自分を嫌っているだとか怖がっているだとか、自分には非のないことで桜乃が勝手に委縮しているのだと腹を立てる原因をでっち上げることになる。
 結局リョーマは桜乃に何も働きかけることなく目的地へ向かおうとする。その途中、何度か彼女のいた方向を振り返り、教室に着いたのは授業が始まるぎりぎりになってしまった。


 その日の放課後。部活へ向かう途中でリョーマと桜乃は偶然遭遇した。お互いが「おや」と目を瞬かせた次の瞬間、桜乃は落ち着きなく顔も視線も方々に彷徨わせて、リョーマはやはりそんな彼女の様子を腑に落ちない気持ちで眺めていた。桜乃が顔を動かすたびに一緒になって揺れる三つ編みが、絶えずリョーマの視界を行き来する。それを無意識で追い駆けながら、このまますれ違って部活へ向かうべきなのか、何か話題を振って多少の会話を交わすべきなのかどうか迷う。たとえ桜乃が自分の言葉に過剰に反応するとわかっていても、一応選択肢として存在する会話という項目を選ぶことにした。丁度話題になりそうなこともあったので。

「竜崎さ、今日水飲み場のとこで何か探してたみたいだけど…」
「え?リョーマ君、どうしてそんなこと知ってるの?」
「移動教室の時偶々見かけた。あんな必死な顔で下向きながらきょろきょろしてたら誰でもわかる」
「え…そんな顔してた…?えっと、ハンカチを忘れちゃって…後から気付いて戻ったんだけど無くなっちゃてて結局見つけられなかったんだ…」
「ふーん」
 そこで、もう聞きたい答えは聞き出せったと会話が途切れる。リョーマは会話を広げるという行為がどうしようもなく下手くそだった。女子同士であれば「残念だったね」とか「どんなハンカチだったの」と続きそうなものだが、そんな合いの手をリョーマが入れられるはずもない。ハンカチはただハンカチで、見つからなかった。それだけが、リョーマの中で結びつき完成された事実だった。気まずそうに黙り込んでしまう桜乃を前に、リョーマはずっと彼女の三つ編みをぼんやりと目線だけで追い続けている。心此処に在らずな彼の表情に、桜乃が不思議に首を傾げると三つ編みも一緒になって揺れるから、自然とリョーマの視線も揺れ動く。そんな動作の繰り返し。
 二人の間にはもはや沈黙が広がるのみ。桜乃は凄く気まずくて、リョーマは場の空気など全く意に介していなかった。彼女は誰でも良いから朋香なりリョーマの先輩辺りが偶然通りかかってこの沈黙を破ってくれないかと期待している。彼は桜乃の三つ編みを追い駆けながら、もっと強く風が吹いて彼女の髪を揺らせばいいのにと期待していた。そこまで来ても、リョーマは未だ自分の視線の中に在る特別な気持ちには気付いていない。
 二人は全く別のことを願いながら、同じ気持ちを潜めてお互いを見つめていることに気付けないまま、言葉ひとつ満足に繋ぎ合わせることが出来ないでいた。



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捕まえたいしっぽ


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