行きたい場所なんてひとつしかなかった。天辺だけを目指して技術を磨いて、きっと誰も彼もが同じ場所を目指して当然だと思っていた。技術の成長があって身体の成長もそれに見合って、後は自分の力量に合わせられるだけの仲間がいてくれたら完璧なのに。そうすれば、後は俺が導いてやれるのに。王様という呼び名は心底気に食わなかったけれど、支配者ではいたかった。信頼なんて求めはしないけれど釣り合って欲しかった。噛み合わないと理解しながら、最後までコートに立っていたかった。
 中学時代、影山はどうしようもなく我儘で未熟で稚拙だった。コートの中も、部活全体も全てが息苦しい。それでもバレー以外の何かを影山は求めていなかったから、他人など気にならないフリをして生きていた。それは結局窮屈で息苦しい現状を、何ひとつ解決しないでいるのと同様だった。
 何かを具体的に期待して高校生になった訳ではない。けれど日向との予期せぬ再開の後に影山に降ったのは引っ張り上げられる感覚。活かしてやれる、俺ならば。その時の衝撃と喜びは、影山にとって何よりも眩しい光となった。独り善がりに自業自得と孤立した過去が、日向に出会うことで溶けていくような感覚。けれど日向は、影山こそが自分を引っ張り上げてくれたかのように彼のトスを喜んだ。ボールが上がってくると信じてただ全力で跳ぶ。いがみ合うばかりでだからこそ組まされたチームの中で微塵の躊躇いもなく実行された、日向の跳躍。信頼されたのは、影山自身ではなく技術の方だったのかもしれないが初めはそんな些末な繋がりでも構わない。影山も日向も、チームなんてわからなかったのだから。
 素人に毛が生えた程度の技術と称されて、それでも天性の身体能力で少しずつ、時に目覚ましく成長する日向の傍で影山は待っている。影山が生かすだけの日向、そんな彼がいつしか自分のトスを生かせるようになる、そんな瞬間を。
 烏野に来てからの影山の時間は中学時代よりも緩やかに、密に流れているような気がした。他人に合わせることも出来ず、合わせてくれるだけの実力も期待せず他人はどこまでも他人のまま遠かった頃とは違う。他人は仲間として傍にいて競うことも糧だった。信頼の二文字がコートの内外から影山の肩に掛かって少し戸惑い、応えたいと思う。その原動力のすぐ隣にはいつだって日向がいて影山にトスを強請るのだ。他にどんなセッターが日向の前に現れてトスを上げてやると誘惑しても、彼はきっと迷わず影山に駆け寄って笑ってくれるに違いない。未熟なプレイを暴言で叱られる度悔しそうに歯噛みするくせに、どこまでも無防備に影山に生かしてもらえると期待している。だから影山も同じように、もしかしたらそれ以上に日向に期待して、執着すら抱き始めている。自分だけが日向を生かせるという事実は、影山の自尊心を満たすだけでは飽き足らない。

「なあなあ影山、俺今日サーブレシーブ上手く出来た!」
「いや、最後の試合お前のレシーブで結構俺フォローに動いてただろうがボゲ!」
「レ、レシーブ練の時の話だよ!」
「いつも同じように完璧に出来なきゃ意味ねえだろうが」

 初夏という陽の長い一日の部活が終了し、すっかり太陽の沈みきった帰り道で影山と日向は二人並んで歩いている。カラカラと自転車を押しながら歩く日向は未だに元気が有り余っているようで、影山の容赦ない指摘に悔しいと身体全体を使って地団駄を踏む。その所為で止まってしまう歩みに合わせて、影山も止まる。確かにこれまでより成功率は高かったレシーブも、影山から言わせればまだ危なっかしいレベルだ。ホームランを出さないだけ落ち着いたと誉めてやるべきなのか、だがそれはキャラじゃないのでいつも通り粗を叱責するしか出来ない。性根は分かり易く、寧ろ日向と同属性なのではと思うくらい真っ直ぐなのに、口を突く言葉だけはどこまでもひねくれてしまって心苦しい。
 この苦しさは、中学時代に感じていた類のものとは明らかに違うもの。バレーをしている最中に囚われることはない。けれどバレーを離れたふとした瞬間に、唐突に気付いてしまう。また自分は上手くやれていない、と。それはきっと日向に対してで、もしかしたら彼にだけ感じている憂いなのかもしれない。だっていくら月島辺りと衝突したとしても、どうしてこうなってしまうんだろうと悔やんだことなど一度たりともないのだ。へりくだったり、明確に力関係の上に鎮座したいわけではない。ただ普通に、隣接するパズルのピースのようにかちりとはまっていられたら。円満な人間関係の形成に一切心を砕いてこなかった自分が抱くには、どこか不似合いな願い。きっと日向に言わせれば、影山がもう少し言動を柔らかくすれば良いだけといった所だろうか。同じセッターの菅原のようにとまでは期待しないから、未熟を指摘する際の暴言を無くすとか、そういうの。けれど影山の言葉は基本的にいつだって考えなしだ。反射的に思ったことばかりを口にして、それが相手にどう思われるかなんて滅多に考えない。そういう所が幼稚なのだと、わかりやすく教えてはくれなかった。影山はあまり、頭がよくないのである。
 自分がもう少し日向に歩み寄れれば近づけるのか。例えば、日向が押す自転車側ではなく、彼の隣に直接並べる程度に。そうすれば、優しくその手を取って繋ぐことが出来るのかもしれない。日向に片手で自転車を押させるのは危ないことこの上ないけれど。素直になれない息苦しさで身動きすら取れない。きっかけがどこに落ちているのかも見つけられない。これは単に憶病なだけなのかと、少しばかりの自嘲すら浮かび上がってくる。

「なあ影山!おーい、おい、影山!?」
「―――ああ、悪い何だ?」
「何か今日星すっげえ!」
「あ?星?」

 両手が自転車で塞がっている日向は顔で夜空を指し示す。導かれて影山も顔を上げれば広がっていたのは日向の言う通り見事な満点の星空だった。ただ昨日も一昨日も、意識して星を見上げなかった影山には今日のそれらが特別凄いのかどうかはわからなかった。きっと日向だって、普段のものと明確な差異を見つけて驚いているわけではないのだろう。

「凄いよなー!でも俺星座とかオリオン座しかわかんないんだよなあ…」
「それって冬の星座だろ?馬鹿か?」
「わかってるよ!だからこの時期の星座は知らないって意味だよ!」
「…ああ、そう」

 影山の興を削ぐ物言いに、日向はやはり毎度噛みついてくる。空を見上げながら感嘆詞を繰り返し口を開けたまま歩く日向の足もとが危なっかしい。影山の視線は、夜空と足元を交互に行き来する。転んだらどうするんだと叱りつけてやりたいが、それをするのはあまりに大仰だ。母親だって、高校生の男子にそんなこと滅多に言わないだろう。世話焼きだなんてイメージを持たれては困る。
 もう少し慎重に行動してくれないか。苛々手前まで自己中心的な日向への関心を募らせてとうとう口を突いて文句が出そうになった瞬間、いつもより静かなトーンで日向が影山の名前を呼んだ。出鼻を挫かれて、大人しくその声に返事を返す。

「明日もこれくらい沢山星出てるかな」
「晴れてればそうなんじゃねえの?」
「ふうん、」
「――?何だよ?」
「別に、そしたら明日も影山と星見んのかなって思っただけ」
「―――まあ、途中まで帰り道一緒だしな」
「じゃあ一個くらい、星座わかるようになるかなあ…」

 ぼんやりと、覚束ない物言いの直ぐ後に、日向はあっさりと普段の陽気さで「でもバレーばっかで忙しいから忘れちゃうよな!」と笑った。影山が口を挟む隙間などなく、確かに星座など自分たちが覚え合っても生かす場がないだろうなとは思ったので、頷いておいた。
 それから暫くの沈黙が続いて、自転車の車輪の回る音だけが辺りを支配する。通行人も通り過ぎる車もないこの空間で、もしかして世界には自分たち二人だけしか存在しないかもしれないという妄想に耽るほど影山は無邪気ではない。ただ、会話のない関係を心地よく感じるにはまだ自分たちは遠いのだろうと理解するだけ。暗がりの中、僅かな気配を漂わせながら並んで歩く二人の距離はほんの数十センチしかないだろうに。影山の望む距離までは宇宙規模に何万光年も離れているような心地がする。

「――日向、」
「んー?」
「…明日も途中まで一緒帰るか」
「…さっき似たようなこともう話したぞ」
「――だな、」
「変な奴だなー」

 これまでの沈黙が嘘のように、日向の笑い声で固まっていた空気が砕ける。独り善がりの歩み寄りで、偶々日向が笑ってくれたくらいで、それだけで影山は満ちそうになってしまう。自分の言葉が届いたと実感して、安堵して、明日もまた並んで歩けることに喜んで。そんな影山の内側で忙しなく動き回る感情を、日向はきっと何一つ知り得ないだろう。
 二人きりの世界など遠い宇宙まで探しに出掛けたってどこにもなくて、今広がっている現実の中を影山は時折どうしようもなく息苦しいと嘆きながらそれでも日向の隣で本当に些細なことで満ちる。そんなささやかな積み重ねが溢れたら、逆に息が止まってしまうのかもしれない。そうなる時は、きっと影山は日向をもう少しだけ自分の傍に引き寄せているのかもしれない。結局影山は我儘だから、自分が歩み寄るだけでは満足できないだろう。日向にだって思われたい。同じように歩み寄って貰いたい。それを叶える為には、やはり影山が一歩折れなくてはならないのだろう。だって日向は、見るからに好意の類には鈍そうだから。
 いつもの分かれ道。足を止めて、大袈裟にそれじゃあと手を振って、日向はそこから自転車に跨って颯爽とその背中を小さく闇に溶かしてしまう。完全に見えなくなるまでそれを見送って、影山は鞄を肩に掛け直し自らの岐路に着く。一人きりの道は、暗くて静かで日向がいなくなった途端にこんなものだと嘆息する。頭上を流れた星に気付かないまま、影山はひとり家路を急いだ。




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遠い宇宙で窒息死
Title by『三秒後に死ぬ


影日企画「陰と陽」様に提出




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