「山本さんは野球とツナさん、どっちが好きですか?」

 ハルが尋ねた言葉には、昨今ドラマでも小説でも見かけなくなった「仕事と私どっちが大事なの!?」的な響きが込められているように山本には思われた。だが山本はそれよりも比較対象がハル自身ではなく綱吉だったことが驚きだった。何かやらかしただろうかと後ろめたさを探っても、それは山本という人柄故に無駄なこと。以前は綱吉のマフィアごっこに付き合いながら物騒な話題に女子陣を巻き込みたくないという彼の意向の元、隠しようのない戦闘を下手くそな嘘で必死に誤魔化そうとしたこともあったが、未来への旅を経てハルも山本を含む綱吉が置かれている現状を少しずつ理解し始め、中学の後半には大半を把握していた。爆音を未だ祭りの喧騒と勘違いし胸を弾ませる無邪気な乙女は今となっては綱吉の母である奈々くらいのものだ。
 山本は、ハルの意図を探るよりも質問の答えを伝えることにした。こんなの、難しくもなんともない。似たような問いは未来できちんと答えを出したし、その根底にある想いは何ら揺らいでいないのだから。

「ツナ、ってかダチだな」

 言葉を添えたのは、恐らくハルは綱吉を個人としてではなく象徴として持ち出したのだと思ったから。即ち友達である。
 ハルは山本の気遣いを礼を言うでもなく問いへの解、その一部として受け取った。失礼なことでもないし、山本も気にしていない。ただハルは、山本の短い言葉に納得する為に幾分長い時間を費やした。そのことだけが、山本の意識に引っ掛かる。
「友達が大事だから、マフィアにもなりますか」
「ああ。ツナにはツナなりの決意があって、ボンゴレのボスになってやり遂げるって決めたこともある。助けてやりたいって一瞬でも思っちまったから、無視は出来ない」
「――らしいと言えば、らしいんでしょうね」
「かもなー」
 暢気に笑う山本に、ハルはやっぱり貴方らしいと胸の内で唱えた。そして羨ましくも憎たらしくもあった。山本が綱吉と共にイタリアに渡る日が来ることは薄々予感していた。体験してしまったことで幾らでも変えようがあったはずの未来は、至る過程は変えても大まかな形成図を違えなかった。綱吉たちはマフィアとしてイタリアへ渡る。ハルは日本で大学生となる。進路を理由に道を分かつには如何にも丁度良い高校卒業を機に、綱吉はイタリアへ渡る。山本や獄寺もそれに倣うだろう。山本は綱吉なりの決意と目的があるという。ハルにもそれは理解出来る。でなければ、あんなに優しくて素敵な人がマフィアなんてブラックなイメージが付き纏う場所に落ち着くはずがないのだ。
 綱吉に恋をしていた頃、ハルはマフィアの妻になるのだと公言して憚らなかった。けれどその言葉は、彼が将来マフィアになることを疑わなかったのではなく自分が彼の妻になることを疑わなかったが故の浅薄な言葉だったのだと思い知る。今だって、ハルの胸を占めているのはマフィアへの畏怖ではなく別離への寂寞なのだ。
 追いかけて来てはいけないよと、終わらせた初恋の人に諭されたのはいつのことだったか。つい最近のような気もするし、ずっと以前のことにも思える。正確には、明確な言葉で説かれたのは最近だったが、思えば彼は自分が厄介事に巻き込まれる度にハルを含め女子どもは巻き込みたくないと遠ざけようとしていた。それはつまり、態度で示していたということだ。此方に来てはいけないよと。あの頃のハルは今よりずっと愚直で盲目だったから、目につき触れる距離こそが恋愛可能な範囲と思い込んで随分彼の意に添わぬ行動を取っていたのかもしれない。謝る必要はないだろうが、自分の未熟さばかりが浮き立つ回想はやはり恥ずかしいものがある。
 真っ直ぐな初恋は、いつしか曲がり角を曲がりきれずに砕けて散って行った。そして出会った二番目の恋に、ハルは少しだけ慎重になった。綱吉があからさまなまでに抱いていた恋心を見落とし続けるような過ちは、二度は耐えられないだろうから。
 そんなハルの臆病を杞憂と笑って引き寄せたのが山本で、今ハルが恋人と呼ぶ存在も山本だった。爆発音も絶叫も必要ない、お互いがいるだけで穏やかさと適度な刺激があった。間違いなく幸せだとは思っていたし山本だってそうだろう。それでも彼は、ハルを残し人生の殆どを捧げた野球も捨ててイタリアへ渡るという。マフィアとなって刀で人を斬るという。何故と問う必要はない。先程の山本の言葉を聞けば充分だった。綱吉の、友だちの為。野球が友だち以上には成り得ないことなどハルだってもう何年も前から知っていた。だから本当は、野球と綱吉の比を尋ねたかった訳ではない。本当は。
 ――ハルとツナさん、どちらが大切ですか。
 そう尋ねたかった。もし山本が自分を選んでくれるなら、上辺だけの引き留め文句を、ハルの寂しさと不安を紛らわすためだけに喚き散らすことも出来た。もし綱吉を選ぶなら、何も言わずに見送るだけだと諦めることが出来たのだ。山本にとって恋人と友人は同じ大切な存在という枠の中で識別可能にしる為のラベルに過ぎない。だから、比べるに値しない。少なくともハルはそう認識している。彼のそういう根底なり信念といった部分はそうそう揺らぐものではないから、その行動を質すには周囲からの干渉が不可欠だった。だけどそれでも確実とは言えない。昔は綱吉だって山本をマフィア関連の問題に巻き込むことを酷く恐れていたし、言葉で回避するよう促したこともあるのだ。結果山本は友人を助けるという名目の下、綱吉の希望に添う行動を選ばなかった。綱吉が呼ばずとも彼はイタリアへ着いていく。それだけが決定事項。
 このまま離れ離れになる未来を変える為に動かせるものがあるとすればそれはハルの意志だけだった。直ぐには無理でも、追い駆けるとハルが決めて実行すればそれだけで自分たちは寄り添っていられると思っていた。別離はイコール恋人関係の終止符ではない。山本も、恋人を目の届く範囲にやたらと置きたがる束縛の強い人間ではない。
 けれど、そんなハルの心を見抜いたかのように、綱吉は彼女に追いかけて来てはいけないよと釘を差した。これには、流石のハルも憤りを隠せなかった。綱吉のことは変わらず大好きだったけれどそれはもう恋じゃない。ハルが追うのは山本で、それは恋心故。綱吉は無関係じゃないかとハルが今にも泣きそうな声で責めるから、彼は彼女をあやすように髪を撫でて、けれど容赦なく言い放ったのだ。
『ハルが来れば、山本はきっと死ぬよ』
 そう、真っ直ぐにハルを見つめながら綱吉は言った。自分本位に生きることを選んだ綱吉はやはり初めは山本を連れて行くつもりはなかった。高校でも野球部で優秀な成績を収め人柄から相変わらず大勢に慕われていた彼だから。何より、嘗て自分を恋しく想ってくれた彼女の恋人だったから。しかし綱吉以上に自分本位な立場を貫いた山本は、友だちだからの一言を盾に綱吉と共に行く。守護者だからリングを持っているから戦えるから。これらのどんな言葉よりも重みがあること。だから綱吉も山本を友人として連れて行く。守らせるのではなく助け合うこと、絶対に死なせないと決めた。だからハルには日本で待っていて欲しいのだ。友だちや家族が大事で、その大事だと括った枠の外側には存外冷淡な彼が、友だちの為には有望な将来さえ投げ打つ。きっと命だって咄嗟の反応の前には軽い。もしハルが山本の近くで危険に晒されれば彼は呆気なく自らの命と引き換えに彼女を救おうとするだろう。最悪の事態に、山本は怯まない。そしてそういう最悪な事態が保険ではなく可能性としてあり得る現実、そんな場に大切な人を連れて行く自分。綱吉は反吐が出そうだと嫌悪する。寧
ろ嫌悪されるべきだとハルに容赦なく言葉の刃を突きつけた。聞き分けのない子どもが相手ではないけれど、突飛な行動力を持つ彼女にはキツすぎるくらいに言い聞かせなければならない。自分の為、ハルの為、山本の為。
 そんな綱吉の気持ちをハルがどの程度汲み取っていたかはわからない。ただ紡がれる可能性はハルを頷かせたし、彼が恐れる消失はハルとその恐怖を共有し厭でも理解するしかなかった。少なくとも、綱吉の要求は間違いではないと。生きて寄り添うことを幸せと呼ぶのならばハルは確かに山本にとって足手まといになりかねない危険要素だった。そもそもマフィアにさえならなければ問題ないという仮定は既に無意味だ。山本も綱吉も折れない。ならば残っているのは自分だけではないか。落胆と諦めがハルの内側に静かに浸透していく。抵抗は出来ない。
「ねえ山本さん」
「ん?」
「もしハルのお葬式とツナさんのピンチが重なったら――」
「………葬式、」
「二人でそのピンチを解決して、急いで一緒に駆け付けて下さいね」
「何言って…」
「もしもの話です。ハルはひとりで大丈夫だってこと、忘れないで下さい」
 微笑むハルに、気負った様子は見つけられない。どうせ旅立つ山本には、見抜いたとして安っぽい慰めの言葉とその場凌ぎの抱擁しか与えてやれないのだからそれで良い。表情には浮かべず自嘲の念を強くする。決して追わないし縋らない。だけどきっと死んでしまうだろう。寂しさだけが理由ではない、女としての身勝手をハルは恥じないから。
 仕事と綱吉とハル。どれが一番大事なの、声を荒げることもなく。二対一は分が悪い。三つをセットにして身近に置けば山本が死ぬというのなら、私を一人引き離して殺せばいい。そしてたった一度でも山本がハルを想って泣き暮れて傍にいれば良かったと後悔手前まで落ち込んでくれれば満足だ。
 こんな面倒な方法でしか気が引けなくとも、繋ぎ止めようと躍起にならないだけ潔いと褒めて欲しいくらいだ。ハルはもう一度微笑んで、山本に抱きつく。戸惑いながらもハルの背に回される腕の感触に意識を集中させる。後何回触れられるかわからない、その熱。
 明日の今頃にはもう、さよならだ。




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世界は葬列の準備に取り掛かる
Title by『告別』


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