生徒会選挙の終了と共に役員としての任期を終えることになった阿久根高貴がその後どうしたかというと、柔道部からは鍋島猫美から三行半を突きつけられての退部扱いの為戻ることは出来ないし、新しい生徒会役員には自らの弟子である鰐塚処理を推しているしで単純に行き場所がないように見えた。体育科の特待生として学費免除などの恩恵を受けている以上何らかの成果を残しておかなければ後々の学園生活で面倒を被るかもしれない。今から他の部活に入っても天才肌な彼のことだからそれなりに出来上がるかもしれないが、部活動という集団の中にいきなり飛び込むのは和を乱すという意味で憚るべきことだとは直ぐに理解できた。
 そんなことを周囲に気にされたりもしながら当の阿久根高貴は随分悠然と構えていたりする。別に学費に困っていたから特待生になって免除を受けようと狙っていた訳ではない。なんなら来年からは普通科クラスに配置換えしていただいても結構なのだ。同じクラスの上無津呂辺りは残念がるだろうが特待生としての基準は一律として守られるべきだろう。そう、湯呑みから茶を啜る阿久根に打ち明けられた赤青黄はこれみよがしに溜息を吐いて見せた。その余裕が、天才たるが故なのだと思うとまた結構な上から目線だ。赤自身同じく特別体育科である二年十一組に所属しているが、それは保健室を利用するようなけが人はやはり体育会系の運動部に所属している人間が殆どという統計に基づいての学園側の計らいだ。尤も、安心院なじみから借り受けているスキルと任された役割から考えればこのクラス配置も彼女の意向が反映されているのかもしれない。今となってはその役割も継続すべきなのかすら曖昧で、一学年下に配置された悪平等の安心院なじみは現在彼女なりに学園生活を謳歌し始めている為何とも言えないものがある。
 赤のスキルがあれば保険医など必要ないため、箱庭学園の保健室はほぼ彼女の城と言っていい。今も、保険医用と設置されている机の椅子に座りながらほどけてしまった包帯を手際よく元に戻している作業の最中だ。阿久根という客人を放っておくのも申し訳ないと意識の端で思っているのか椅子を回転させて身体の向きだけは彼の方に向けているが視線は自分の手元に集中しており、好き勝手話している阿久根の言葉に反応するときだけ顔を上げるという状態をもう数十分は繰り返している。包帯を弄る前は、保健室利用者の学年別、部活別の統計を出す作業をしていたのだが阿久根はそんな赤の作業をただ眺めるだけ眺めて、茶を啜ってはずっと保健室に居座っている。幸い、阿久根が保健室に来てからはけが人も病人もやってこないので放置しているがそれ故に邪魔だと追い出すことも出来ずに赤は少しばかり鼻白む。追い出したい訳でもないが、格好のサボり場所として利用されるわけにもいかないのだ。阿久根に限ってサボり魔に堕すということはないとは思うが。

「――高貴君、用事がないのならばさっさと帰って新しく熱中できることでも探したら良いんじゃない?」
「ん?ああ、お邪魔だったかな?」
「そうは言わないけれど、これまで部活や柔道部に費やしていた時間が余ってしまうのは仕方ないにしてもここでただ座ってお茶をしているだけではただ暇を持て余しているのと大差ないでしょう」
「これはこれで俺にとっては有意義な時間なんだけどね」
「――流石はプリンスと呼ばれた人は言葉のチョイスが違うわね。そういう言い方、勘違いする女の子もいるでしょうからお勧めしないわ」
「はは、手厳しいなあ赤さんは」

 そんな私を優しいと吹聴したのは貴方なのにね、と皮肉ることも出来たが赤は何も言わずに緩く口端を上げるだけに留めた。怪我の手当てをする人間を優しいと形容するならば、それこそ阿久根の怪我を手当てしてくれる人間なんて山ほどいるだろうに。何なら可愛い女の子に限定して専属マネージャーでも募集したらよかったのだ。このマンモス校ならばそれでも数多くの女子が彼に見初められようと集まったに違いない。そんな色恋を抱き阿久根に群がる女子どもよりは、自分の方が確実に的確かつ迅速な処置を施してやれる自信が赤にはあるけれど。自分だけは彼にそういった感情を一切抱いていないかというとそんなことはない訳で。元来表情筋の動きが乏しい赤の下心など誰も見抜いてはいないだろうが、ひた隠しにしようと決めてもいない恋を打ち明ける気は今の赤にはなかった。
 崇拝に似た黒神めだかへの恋慕が果たして本当に恋だったのか、全て落ち着いている現在になれば自分への希望的観測を与える見方も出来るがそれでも可能性を探れるゼロに至っただけのこと。現段階で成就する見込みはほぼ皆無の恋だし、何より告白して拒まれた後の関係の変化を思えば現状維持が一番気楽な心持かつ距離感だった。同じクラスで居心地の悪さを感じるのも嫌だし、彼に保健室の利用を敬遠させてしまっても申し訳ない。何とも言い訳じみているがこれが赤の憶病な本音だった。
 それなのに、生徒会に在籍し始めてから減っていた保健室への来訪が、生徒会を辞してからというもの本当に怪我をしてここを利用していた柔道部時代よりも頻繁になってしまったものだから赤も不思議に首を傾げるほかない。友人が少ない訳でもないだろうし、少ないにしろ暇なら上無津呂に勝負でも持ちかければ彼女のことだから喜んで応じそうなものだ。赤の口からそれを勧めるのは何とも癪なので絶対に有り得ないが。

「高貴君、このままじゃあ貴方本当に普通科に転属になってしまうわよ」
「そうだね」
「……少しは今のクラスに愛着とかないのかしら」
「あるといえばあるけど、俺に執着してくれる人がいないのならそこまでかな、と」
「鰐塚ちゃんがいるじゃないの」
「11組の話だよ」
「上無津呂が残念がるでしょうね」
「俺の柔道の腕前が下がらなければそんなことはないと思うけど」
「―――高貴君は私に何て言わせたいのかしら?」

 ――私が寂しがるとでも言えばいいの?
 今度は思わず言葉にしていた。苛立ちを隠さない声色に阿久根は一瞬驚いたように瞳を見開いたけれど直ぐにいつもの余裕のある笑みに立ち返るから、赤の苛立ちはより一層治まらない。いくら好意を向ける相手とはいえここまで自分の縄張りを荒らされるとやはり腹立たしさが勝る。
 普段は温厚で「赤衣の天使」だなんて呼ばれているけれど、それは彼女と親しくもない赤の他人が上辺をなぞっただけの通称だ。睥睨しながらも包帯を弄る手は休まず動いている辺り、流石保健委員長といった所か。赤の機嫌の機微を察しながらも阿久根はそんなことに一々感心してみせる。彼女の言葉通り、「私が寂しい」の一言を引き出したかったが為に放課後足繁く保健室に通っていただなんて今更打ち明けても鼻で笑われて終わってしまうだろうか。自惚れが過ぎるかもしれないが、全くの脈なしとは思っていなかったので阿久根は単に自分の手段が悪かったのだろうと見切りをつける。特待はクラスがそのまま持ち上がってしまうが故、去年はクラス替えを憂いたりする必要はなかった。しかし今年は赤の言う通りこのままいくと阿久根が体育科の特待にいる理由がない。運動神経が良いだけなら普通科を漁ればそれなりに点在しているだろう。阿久根程の逸材となると別の話だが、逸材だからと特別扱いさせるならば結局は目に見えた成果が求められるのだからまた問題は振り出しに戻ってしまう。特待生にしがみつく理由はないが、しがみつこうと伸ばした手を叩かれたくない相手なら今目の前にいたりする。

「―――今日はこれでお暇するよ」
「今日は、なのね」
「そうだね。じゃあ明日からはちゃんと怪我でも拵えてこようかな」
「……?」
「4月の人吉君じゃないけど、柔道部以外に俺を受け入れてくれそうな場所を探して部活荒らしをするのもありかなって思ってさ」
「――天才と名の通りきった高貴君を部活に参加させてくれる部活がまずないでしょうね。その上怪我目的だなんてそんな不純な動機で他の部活動を邪魔した高貴君の手当てなんて私は絶対してあげないからそこの辺りは覚悟して置いて頂戴」
「……赤さん、結構怒ってる?」
「いいえ?ちっとも!」

 ぷい、と顔を背けてしまった赤に苦笑しながら、阿久根は拝借していた湯呑みを洗おうと席を立つ。途端に「置いといて良いわよ」と声を上げる赤に阿久根は浮かべたままの苦笑を深めるしかない。
 ――この子は本当に、俺を甘やかすなあ…。
 球磨川に対しての選挙管理委員ではないが、言葉ではどれだけ手厳しく阿久根を糾弾しようと赤は間違いなく彼に甘い。それを阿久根が都合よく解釈しても仕方がないという頻度で赤は阿久根に優しかったし甘やかした。保健委員長だからと言っても、赤自身自覚した恋心がある以上どこかでそれだけではない厚意があった。それを取りこぼすような阿久根ではない。赤は気付いていないようだけれど、彼はその辺りをちゃんと自覚したうえで彼女の縄張りに入り込んでいる。

「俺が保健室に来られる正当な理由なんて怪我をするくらいしかないのに」
「場所なんてどうでも良いじゃないの。同じクラスにいれば怪我なんてその場で私が処置できるのだから」
「まあ、そうだね」

 そこで「だから一緒のクラスにいたい」と都合よく彼女の言葉を捏造してはいけないと知りながらも阿久根の頬は自然と緩む。怪訝な表情を作る赤を何とか誤魔化して、また明日と挨拶を残して保健室を後にする。
 ――赤さんが安心院さんにスキルを返して委員長でもなくなれば一緒に普通科に転属できそうなものだけどなあ。
 身勝手極まりない冗談は、想像にすぎないにしても魅力的で阿久根はいかんいかんと慌ててそれを払う。やはり来年も彼女と同じクラスを維持する為に現在出来ることと言ったら部活荒らしくらいしかないよなあと思い至り、翌日からは阿久根高貴の恋路の為に箱庭学園中の運動部が一様に迷惑を被ることになるのである。その余波として、阿久根の挑戦を受けた生徒の一部が保健室送りとなり赤の仕事が増えてしまい再び彼女の機嫌を損ねることになるのだが、それは自業自得の余談である。


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さみしいとは言えない
Title by『ダボスへ』





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