※数年後、?ハル←ツナ

 今年の夏、ハルは俺達の中の誰よりも早く母親になる。数か月前、ハルにしては珍しく体調の優れない日々が続いており心配していたのだが、事実は何よりもめでたいものであった。既に生命としての形をありありと主張するように膨らんだお腹に手を当てながら鼻歌を歌っているハルを眺める。中学時代、頭上で結ばれていた髪が下ろされると意外にも長かったことを知った。その長い黒い髪が肩にも着かないくらいの長さに切り揃えられた時、彼女は俺への恋を終わらせたのだと、ハルの結婚式の時にビアンキから聞いた。
 ハルは、彼女が愛する人の傍に寄り添う為にイタリアへとやって来た。この事実を認識するたびに、俺はやっぱり自分がマフィアであることを虚しく思い、彼女の大切な人間を守護者としてこの地に縛り付けてしまっている現実にただ心の中で謝罪を繰り返すのだ。

「もう蹴ったりしてくるんですよ」

 今から元気いっぱいなんです、と昔よりも大分穏やかに微笑むハルの表情が、段々母親の様に見えて来てしまう自分は、きっと単純なのだ。ソファに腰掛け腹を撫でるハル。誰もがああして愛おしげに手を添えられて生れて来たのだろうか。少なくとも、ハルはそうだろう。恐らく、俺も。生命というものは、温かいものだと、こんな世界に住むようになったから尚の事実感している。それと同時に、いとも簡単に冷え切ってしまうものだということも。最近の俺の心配事といえば、ハルの大切な人を俺の命令で危険な場所に行かせてもしものことがあったらどうしようなんてことばかりだった。そんなに弱くないと、よく知っている。俺なんかより、ずっとずっと強いのだ。だから、ハルと結ばれることを知った時だって何一つ物申すこともせずに笑って「おめでとう」と絞り出せたのだ。

「ハルが母親かあ、」
「はい!ちょっとおかしいですかね?」
「付き合いが長いと、落ち着きがない頃のイメージが強いしね」
「うう…、獄寺さんにも言われてしまいました…」

 でも、獄寺君は心の底からハルの今回のことを祝福しているよ。見詰めることで伝えた言葉は、どうやらハルにもしっかりと届いたようだ。丸くなりましたねえ、と呑気に零すハルに曖昧に微笑み返しながら、彼の場合は丸くなったといより漸く落ち着いて来たんじゃないかと思う。なんやかんやで、ハルと獄寺君は似た者同士というか、お互い落ち着きがなかったのだ。だからこそ、二人は折り合いがつかずに揉めたりもしたけれど、それも今となっては良い思い出だろう。

「子供が生まれたら、ハル達もお互いをパパとかママって呼ぶようになるのかな」
「はひ、どうですかね?」
「らしい、とは思うよ」
「ハル達らしい、ですか?」

 ハルは、うっすらと感づいているのだろう。俺が勝手に抱く罪悪感と怖れ。そして自分が諦めてしまった日常的な幸せの光景を一方的にハル達に託して見詰めていることを。そして本当は、咎めたいに違いない。ハルの恋を終わりに近づけたのは、昔の俺の、京子ちゃんへの恋心だったのだから。
 京子ちゃんは、イタリアにはいない。伝えることのなかった恋心は、俺が一番心の奥底に綺麗なままで封印した思い出だ。身勝手なことだ。ハルに一方的な幻影を透視して、かといって昔ハルを傷つけた俺の恋は叶えないでいいとほざきながら捨てることは断固として拒んでいるのだから。だけど俺は弱いから。これ以上の大切という括りにより深い場所を作ってしまえばもう何も奪えないし守れないだろう。穏やかな日常の裏に潜む影ばかりを疑うようになってしまった俺には、「家庭」なんて言葉は尤も遠ざけておかなければならない恐怖だ。

「……そろそろ帰ろうかな」
「もうそんな時間ですか?」

 時計を見たハルは予想よりも進んでいた時計の針に一瞬目を大きく見開いた。次に夕飯の支度をしなくてはと台所に視線を向けた。ならばやはり俺はさっさとお暇しよう。それじゃあ、の言葉と同時に立ちあがればハルも玄関まで見送る為に立ち上がる。本当は今の身重のハルにそんなことはさせたくないのだが、日本人故の習慣なのか、それとも人間である以上世界共通の習慣か、見送りを上手く断る術が、俺には生憎備わっていなかった。
 二人暮らしにしては立派な玄関に並ぶ靴は、ハルしかいない日中ということもあって広々としていて気温も少し冷たい。それもきっと、あと数年も経てばハルのそう大きくはないミュールよりも小さな靴が揃うこともなく脱ぎ散らかされるようになるのだろう。

「ツナさん、」
「…何?」
「無事子供が生まれたら、是非だっこしに来て下さいね」
「…、あんまり得意じゃないんだけどなあ」
「ランボちゃんやイーピンちゃんの面倒見てたじゃありませんか」
「赤ん坊はまた別だよ」

 ハルからの、普通の申し出にああだこうだとごねてはみるけれど、俺はきっと今年の夏、無事出産を終えたハルをこの家に訪ね彼女達の子供を抱いてあやすのだろう。赤ん坊の顔を覗き込んで、どこがどちらに似ているかなんて真剣に考え込んだりもするのかもしれない。超直感に頼るまでもない未来予想はこんなにも穏やかだ。
 昔、ハルは俺に恋をしていた。憚りもなく俺を好きだと言い放ち傍を離れなかった彼女が、俺以外の誰かと結ばれて母になる。苦しくも辛くもないその現実はただただ寂しかった。恋しく思ってはやれなかったハルが、その幻影が、今はこんなにも愛しいのだ。それはきっと、幼子が母親を慕う気持ちによく似ている。つまるところ、俺はいい加減にハル離れしなくてはならないのだ。だがきっと、俺は今後もこの家のドアを懲りずにノックしくぐるのだろう。この家に、俺を拒まないハルという優しさが存在し続ける限りは。



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忘れられるだけの思い出をください
Title by『彼女の為に泣いた』





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