憧れていました。そんな一言すら胸を張って言えない私は、きっとただ貴方を見上げていただけで、何一つ前進などしていなかったんでしょう。尤も、私の精神的な向上など誰が望むものでもなく、私が私らしく生きやすくなる為だけの手段だったから、停滞をした所で誰に咎められるでも遅れをとるでもない。張り合う舞台なんて何処にもなかった。
 春になって三年に進学しても藤君と同じクラスになれて嬉しかった。とはいえ二年のクラスがほぼそのまま持ち上がったといえるクラス編成だったから、特別私と藤君に縁があった訳じゃない。新年度初めの座席は名簿順に座るようにと言われていたから、同じは行の藤君とはなんと隣の席になったけれど。それでも些細な会話すらスムーズにこなせない私と彼の距離が縮むことなんて有り得なかった。
 教室の端で新しく藤君と同じクラスになって喜んでいる女の子達を見る度に抱えたノートを握り締める力が強くなる。私もまた藤君と一緒で嬉しいな、なんて思うだけ。独りぼっちの部屋でぬいぐるみにだって言えやしないの。

「花巻消しゴム貸して」
「え!?は、はいどうぞ!」
「…お前相変わらず今更な反応するよな」
「ご…ごめんなさい」
「いや責めてねーけど」

 本日最後の授業中、ふと話し掛けられれば藤君の言う通り今更な反応しか出来ない自分にうなだれる。問題を解く為として与えられた時間は教師の説明中よりはだいぶ賑やかで、私達の会話は雑音の中、注意を受けることもない。珍しく真剣に問題と向かい合っていた藤君は、私から受け取った消しゴムを使い終わった後じっと見つめている。そして何故か紙のカバーを取り外してまでじろじろと観察した後、何事もなかったかのように元に戻して礼の言葉と同時に私の机にそれを戻した。

「…何、見てたんですか?」
「ああ、花巻って占いとか呪いとか信じてそうだと思って」
「…?はあ、」
「だからよくあるじゃん。消しゴムに好きな人の名前書いて見つからずに最後まで使い切ったら両想い、みたいな奴」
「そっ、そんなの書いてる訳な…」
「だな、今見たから知ってる」

 ――でも花巻、好きな奴はいるんだな?

 続けられたら藤君の言葉に詰まる。自分でも何て言おうとしたのか解らない。だけど何か言わなくちゃと勇んだ喉はひゅっと情けない音を立てて息を吸い込んで止まる。タイミングが良いのか悪いのか、答え合わせをするから静かにと声を張り上げた教師の一声を皮きりに、ざわついていた教室が一気に収束する。その流れに逆らって教室の目に触れたくはないからと、隣の藤君に向いていた上体を黒板の方へ向ける。だけど当然視線は藤君へ。だるそうに頬杖をしている彼と、椅子に深く腰かけている私とでは自然と横ではなく斜め後ろから眺める形。去年よりはだいぶ近付いた、しかし変わることない角度。
 どうして藤君は私に好きな人がいるって解ったのだろうか。失礼ながら、他人の視線を辿るような人ではないと思っているし、その手の話題は興味もなく他人事であれば尚更関わろうとしないとばかり思っていたのに。
 私がわかりやすいのか、藤君が私を気に掛けてくれていたのかなんて考えるまでもなく前者が正しい。単に私がそんなの書いてる訳がないと言いかけた理由を好きな人がいないからではなく、そんなお呪いは効果なんてないから実践していないの意と捉えたのかもしれない。どちらにせよ、今更自分から話題を掘り返すことも出来ないから、藤君の中では私は誰かを好いているという情報がインプットされてしまったんだろう。相手はアンノウンの誰かさん。間違ってもこいつだろうななんて憶測で決めつけないでね。実際は、まだ恋にすら届かない憧れ。伝えられるとは思わないけれど、伝えられたらなあと思っている時点でそれはもしかしたら恋かもしれないと自問自答してみる回数は日に日に増える。だけど結局憧れも恋も抱いて見つめるだけの相手はいつも藤君だった。
 初めてちゃんと会話をした時は、私が藤君に消しゴムを借りたのだ。そのお礼をする為に、彼にはお礼とは言い難い散々な目に遭わせてしまったことを思い出す。あれから少しずつ私の世界は彩りを増していったのだ。
 不躾な視線を送り過ぎた所為か、藤君は一度此方を見て目が合ってしまう。慌てて視線を逸らして板書された解答と自分のノートの解を照らし合わせて赤ペンで丸をつけていく。いつ頃まで藤君が私の方を見ていたのかはわからない。だがまた目が合って何か聞かれたらどうにも答えようがない気がして、授業終了のチャイムが鳴るまで必死に視線を黒板とノートに縫いつけていた。
 意地になった割には授業はあっさりと終わり、藤君もその後何も追及しては来なかった。ほっとする一方でもっと話したかったと思ってしまい、でもそれは無理だと諦める。ぼんやりと清掃、HRをやり過ごし、では放歌だと一気にざわめいた教室が次第に人数が少なくなるのと比例して静まり返って行くのを、席に着いたまま耳だけで拾い受け止める。そろそろ私も帰らなきゃと鞄を手に教室を出る。まだ残っている子等にばいばいと告げて歩き出した廊下には人が居らず差し込む夕日と窓枠の黒い影に温度差を覚える。玄関に着けば影ばかりで、春も終盤に近付いているのに少し肌寒くもあった。

「花巻、」
「…藤君?」

 肌寒いと言いながら急ぎ玄関を通り抜けようとしないで靴箱の前に佇む私に掛けられた声は、本日二度目の藤君からの呼び止め。彼がこんな時間まで残っているのは、きっと保健室に寄って来たのだろう。他のみんなは、まだ残ってお茶でもしているのかもしれない。
 名を呼ばれた以上次の言葉があるのだろうと待機すれば、藤君は何か言い辛いことでもあるのかがしがしと乱暴に頭を掻いた。それとも、用がないのに私を呼び止めてしまったことを面倒だと思っているのか。私には全く非のないことを想像して落ち込んでしまうのは良くない。しかし藤君相手にポジティブにあろうとすればするほど、私にはそれが出来ない。それはやっぱり、私が彼を好きだからだろうか。

「なあ花巻、突然なんだけどさ」
「…はい!」
「今日お前の消しゴム借りた時に呪いの話したじゃん?」
「……、」
「あれ、俺の名前とか書いてねーかなって期待してたって言ったら、お前意味解る?」
「え?」

 藤君の言葉が、理解出来ない訳じゃない。だって聞き逃さないようにと必死に一言一言を噛み締めて聞いていたから。だから余計に混乱してしまう。それって一番短絡的に、一番私の都合の良い解釈をしてしまって良いものかしら。だけど答え合わせの為に私の口から解答を音にするなんて恥ずかしすぎてとても無理。
 ――ねえだけどだけどだけど!
 向かい合う藤君の頬が少しだけ赤くなっていることに気付く。それは夕陽の所為だよって誤魔化せない。だって此処には夕陽の光は届いていないのだから。
 まごまごとまともな言葉すら発せられない私に業を煮やした藤君は一歩私との間合いを詰めた。咄嗟にその分後退りたくなる気持ちをぎりぎりで踏み留める代わりに、鞄に仕舞わずいつも持ち歩くノートに込める力を強める。
 逃げたい、誤魔化したい。だからどうかどうかそれは貴方の方から!だって明確な言葉が寄越されなければ私が抱く感情は全て自惚れで終わってしまうんだもの。だから動けない、私からは決して。

「花巻が好きだ」

 此処まで言えば解るだろ、と藤君は私の腕を掴んだ。肝心の私は動けないと開き直った直後に崖から突き落とされるような衝撃を受けたのだ。もともと速くなぁ頭の回転がスパークしてショートしてしまったのかパクパクと鯉のように口を開閉するしか出来ない。そんな私を、藤君は呆れたように「ほんと今更な反応するよな」と本日二度目の言葉と同時に抱き締めた。またも驚きで目を見開きながら、それでも必死に考える。私が藤君に抱く感情の名前。憧れと恋の二択を迫られて思うのは、今包まれている温度を恥ずかしいの底でどこか嬉しいと感じている事実。触れられて、嬉しいと心が震える。これが恋でなければ何だというの。問い掛けて、他はない。だって最初から、恋と憧れを乗せた天秤が傾く先など知っていた。
 恥ずかしさは消えない。誰かに見られたらどうしようかなんて他者を気にする臆病さも。だけど好き。そのひとつだけを伝えたくて、藤君の学ランの裾を摘んでみた。抱き締め返すなんてまだとても無理だ。だけど藤君が私を抱き締める力が少し強まったのは、言葉に出来ない想いが多少なりとも伝わったからだと、自惚れてみても良いでしょうか。
 取り敢えず、今日から私の日課は部屋のぬいぐるみに向かって藤君に好きだと伝える練習をすることになるのだろう。



―――――――――――

単純明快、答えは恋
Title by『Largo』





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -