※パラレル

 あの流れ星が落ちる先には何があるの。真夏の夜空を指差して尋ねためぐるに答えをくれたのは、彼女の母親では無く幼馴染の母親だった。

「流れ星が落ちた場所ではまた新しい星が生まれるの。そうしていつかまた宇宙へと帰ってしまうのよ」

 そんな広大なおとぎ話の様な言葉をくれた女性の瞳には、沢山の星々が映り込んでいた。彼女は今自分を見降ろしているのに。空なんて見上げてはいないのに。めぐるは不思議に思ったけれど、あれはきっと、彼女に落ちた星の欠片なのだと思った。ならば、その星はいつかまた宇宙へと帰って行くのだろう。女性の瞳に映る星が、既に生まれ落ちた彗星の残骸だとは気付けないまま、めぐるはそんなことを思っていた。



 真帆が消えてしまったと、めぐるが泣きながら宙地の元へやって来たのは高校二年の夏のことだった。既に夏休みを迎えていて、毎日のように顔を突き合わせていた日常が少しだけ為りを潜めた、そんな頃。同じ天文部員の真帆、めぐる、宙地の三人はクラスも同じで普段から一緒にいて、部活動とは別に三人で天体観測の約束を交わす程仲が良かった。
 それなのに、真帆は消えてしまった。
 誘拐、失踪等々今時世間は物騒だから、宙地はただ彼女の言葉に顔を蒼くした。直ぐに探しに行かなくてはと焦る彼を前に、めぐるはただ首を振って彼を引き留めた。
 ――真帆は消えてしまったの。どこにもいないのよ。
 だから探すんだろうと宙地が言い募ってもめぐるはそれは無駄だの一点張りで。挙句真帆の両親すら、涙にくれながらも探す必要はないのよと宙地に言い聞かせて来るから、何が何だか理解出来る筈もなかった。ただ、彼女等は全てを知っていて、真帆が消えたことに悲しみを覚えても再会が叶うとは思っていない様だった。
 真帆の行き先を「解らない」ではなく「言えない」と繰り返すめぐるを、問い質したくなかったかと言われれば嘘になる。だけどそれは出来なかった。彼女は真帆の消えた悲しみに暮れたまま、何度も宙地を天体観測に誘った。そして夜空を見上げては流れ星を探すのだ。流星群の来訪が予報されていなくとも、見上げる夜空全てに流れ星を求めていた。

「真帆は流れ星になったの」
「いつか巡って遠い夜空の果てを駆けて落ちるの」
「行き先は、誰も知らないの」

 ぽつりぽつりと吐き出される言葉に、宙地はただめぐるの隣で頷いた。成程、彼は流れ星になったのだ。いつだって宇宙に焦がれていた真帆のことだから、不自然なことではないだろう。そう、自分を誤魔化して、常識の範囲でばかりことを捉えて自分の理解の及ばない場所で言葉を紡ぐめぐるまでもを目の前から失いたくないが故、宙地は頷き続けた。
 ――流れ星になったのだ。
 そう受け入れることは、宙地にとってけじめであり、忘却手前への前進だった。年がら年中めぐると二人きりで行う天体観測と、探す流れ星は手に触れることはなく。宙地が握ったのは隣に立つめぐるの小さな手で、握り返されたそれに抱いた感情は確かに愛だった。夏休み、天体観測の為に忍び込んだ校舎の屋上で交わした最初のキスと、その時視界の端を流れた星を、宙地は決して忘れはしないのだ。


 めぐるが宙地との子を身籠ったのは、大学卒業を間近に控えた冬のことだった。「産みたくない」と真帆が消えてしまった時以上に涙にくれながら訴えて来たとき。宙地はめぐるの不安定な精神を案じるよりも先に「産んで欲しい」と願ってしまった。だってきっと彼女は、既に宿ってしまった命を殺すことなど出来はしないだろうから。それでも、「産みたくないの」と尋ねればめぐるは何度も「違う」「産みたくない」「堕ろしたくない」と涙に暮れ続けた。

「だってこの子はいつか夜空に帰ってしまうから」
「星が降って来たの。沢山の星が。真帆に、流れ星にもう一度だけ会いたいって願って、そうして宿った命なの。私と宙地君の愛は、いつかきっとこの子を流れ星にするよ」

 高校二年の夏に、宙地とめぐるが置いてきた少年は、はるか上空の宇宙を駆けて今もなお彼等に付き纏う。それを願ったから。そして叶わない再会を願いながら、叶っては別れしか訪れないと知り怯えるめぐるを抱きしめながら「産んでくれないか」と宙地は願った。何度も何度も頷きながら、やはりめぐるは泣いていた。
 ――いつか星が駆けたとしても、どうか私を見失わないで。
 まだ膨らみのない腹を両腕で抱き締めて蹲り、めぐるは何度も怖いとうわ言のように繰り返し続けた。その別れへの恐怖こそが、宿った命への祝福なのだと、宙地は思っていた。


 めぐるの妊娠後直ぐに籍を入れて、子どもが生まれても天体観測を行う習慣だけは消えなかった。特に夏は他の季節に比べて回数も多かった。社会人になってから夏休みと呼べる期間はめっきり少なくなってしまったけれど決して中止だけはしないのは、最近ではもう口にすることはないけれどこれからも忘れられない彼の人を想うからなのだろう。そんな両親の心中を知らない子どもだけが毎度必死に夜空に点在する星を結ぶ形を覚えようと躍起になり笑っている。その笑顔がふと誰かと重なって、宙地はいつも無意識に視線を夜空に向けて現れる筈もない流れ星を探した。
 その年の天体観測は、丁度流星群を見ることが出来るかも知れない夜に行うことになった。都会の灯りと離れた空の綺麗な郊外まで足を延ばせれば良かったのだけれど、夏の天体観測は決まって自宅であるマンションの屋上で行っていた。天文関係の職に就いている訳でもない一般家庭が持つにしては少しばかり本格的な天体望遠鏡を持ち出して、未だ正しい座標を覚えられない子どもが主に使用する。宙地とめぐるは、最早慣れでポピュラーな星座ならば肉眼でしっかりとその位置を把握している。
 もし流星群を見るのなら、きっと望遠鏡は必要ないよ。沢山流れるそうだから。宙地が説けば楽しみだと無邪気に笑う我が子。その子の後ろで、めぐるだけは何故だか悲しそうに眉を寄せて瞳を水膜で揺らしていた。その瞳の奥に、宙地は直ぐ真上にある星の輝きを見つけた。その時、漸く宙地は彼女が抱く不安や怯えの意を解したかのように自身の胸にざわめきを覚えた。
 何時間か、夏の星座を観察して。いつの間にか普段の就寝時間を越していた子どもはあっさりと眠りにおち母親であるめぐるに抱き上げられていた。そういう力仕事は、本来父親である自分がするべきだとは思うのに、宙地は星を見上げるでもなくただめぐるが子を抱く姿を見ていた。何となく、焼きつけなければ行けない気がした。眠ってしまったのならば部屋に戻ってベッドに寝かしつけてあげなくてはいけない。でも出来ないのだろう。だって、流れ星が落ちた先で生まれた命は、いつか宇宙へ帰ってしまうのだから。
 きっと、これはお迎えなのだ。

「宇宙に帰ってもいつかまた此処を目指してね」
「あなたは私達の一等星なの」
「彗星のように燃え尽きることだけはどうかしないで」

 祈るように、眠る我が子の額に口付けを落として、めぐるは泣いた。それは、少年が流れ星になってしまった時よりも、降った星を受け止めて命が宿った時よりも、ずっと静かで優しく、何より悲しい涙だった。
 宙地は躊躇いがちに、眠っている子の頭をそっと撫でる。もう良いよ、行っておいでなんて、送り出せる筈もなくて。だから紡ぐ言葉なんてありはしない。一つ、二つと走る流星を見ないようにと視線を意地になって地面に落としてもあり得ない程のまばゆさは夜だというのに彼等を照らし影を作りだした。
 ――ああ、星が降るってこんな明るいのか。
 眩くて、宙地は思わず目を閉じる。めぐるは、きっとうっすらと見つめ続けているだろう。流れる星は、いつも彼女から何かを奪い、また奪うことを約束する。それでも目を逸らさないのは、もしかしたらこれが最後かもしれないから。
 ――なあ白舟、お前そこにいるよな?
 何年も声にしなかった名前を心で呼べば、やっと会えたねなんて懐かしい声がした。
『でも僕、ずっと此処にいたんだよ』
 ――ああ、うん。たぶん知ってたよ。
 そんな会話を最後に、星はまたどこかへ降る為に流れて行った。残された宙地とめぐるは、いつかのように二人で手を握り合って、残響する懐かしい声に耳を傾けながら少しだけ、泣いた。

『バイバイ、何億光年の速さで進むことを許してね。きっと二人がおじいちゃんやおばあちゃんになる頃にだって俺は此処からはずっと遠くを休むことなく駆けていると思うよ。でもね。全てのものが、いつかは終わってしまう命だから。いつかもう燃え尽きる日が来たらその時は、最後の力を振り絞って君達を目指すよ。届かなくったって、もういなくたって。だって俺を産んだのは母さんの優しい愛で、めぐるの優しい願いなんだから』


 朝、目が覚める度にベランダの窓を開けて外を確認してしまう。いつかの優しい流れ星が、自分が眠っている間に降ったりしてその欠片が落ちて来ていやしないかと。今のところ、そんな気配は微塵もないのだけれど。
 いつか再び巡り会うだろう。優しさで形を成す流星が落ちる先には、いつだって彼女の愛が待っているのだから。


―――――――――――

さよなら夜汽車
Title by『にやり』


宙めぐの子どもが実は流れ星になった真帆が帰って来てた姿でした的な…。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -