阿久根高貴が、その日顔を合わせるなり報告なんだけどと前置きをした上で「俺、赤さんと付き合うことになったんだ」と幸せそうに微笑みながら宣言して来た時、鰐塚処理は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。というよりも一度死んだ。彼女は球磨川禊のように死んでも生き返るなんて芸当は不可能なので、実際には死んでいない。あくまで比喩表現である。それ程彼女にとっては衝撃的な一言だった。
 鰐塚と同じ悪平等である赤青黄が実際どのような人物であるのか、過日の宝探しで彼女の関門を通らなかった鰐塚には正確には理解しがたい。ただ友人である財部や喜々津によれば散々な目に合わされたらしい。阿久根の優しいから素通りさせてくれるかもなんて発言は間違っているとも言っていた。安心院なじみから借り受けている能力だって保健委員が持つものとしてその効果は最大限だろうが何分物騒なことに代わりはない。
 こんな風に、様々に難癖を思い浮かべながら、鰐塚はあの赤青黄だけは自分が敬愛してやまない阿久根の相手として認め難い。では他の誰ならば貴方のお眼鏡にかなうのかしらと問われれば、鰐塚は今の所そんな人間はいないと切り捨てるだろう。生徒会長である黒神めだかも、生徒会会計である喜界島もがなも駄目。反則王、鍋島猫美も、委員会連合の誰も駄目。
 如何なる人間であっても、阿久根高貴の隣に立つには不相応だ。そう決め付けて、鰐塚は目の前にいる阿久根に、赤は貴方に相応しくないと言ってやろうと真っ直ぐに見上げれば、彼女の内なる葛藤など気付きもしない彼が、否定されるなど微塵も思っていないように微笑んでいた。だから鰐塚は、結局思っていたことなど一言も言えずに俯いて、笑顔を作り直してから「おめでとうございます」と、彼が一番喜ぶであろう言葉を贈っておいた。内心では全く祝福なんてしていないことは、どうにか悟られなかった。背に組んで握りしめた拳に爪が食い込んで、少しばかり痛かった。


 赤青黄が阿久根高貴とお付き合いを始めた日。翌日になったらみんなにも報告しようかとの、阿久根の言葉を受けて、赤は少しだけ眉を顰めた。
 異論はない。ただ少しの懸念があった。彼が恋人として赤を紹介して回ったとき。驚く人間ばかりだろう。疑問に思う人間もいるだろう。無条件に祝福してくれる人間だってきっといる。赤が知りうる阿久根の交友関係の中で、自分達の交際にあからさまに拒否反応を示すであろう存在を、彼女はひとりだけ知っている。
 鰐塚処理。彼女だけは、上辺は兎も角内心では自分が阿久根の隣に立つことを認めはしないだろうと確信している。
 師匠と弟子なんだと自分と鰐塚の関係を形容した阿久根に、でも彼女は貴方のお嫁さんになりたがっていたのでしょうとは返さなかった。彼がそんなこと一切忘れているのならば赤としては全く構わない。
 付き合うとはいえ、生徒会役員と保健委員長が四六時中べったりとくっついている訳にもいかない。日常生活の義務と化した時間を今更相手に差し出すことは出来ないのだから、自由な時間を上手くやりくりするしかない。それが出来なければ、ずるずるとすれ違っていくだけだ。そして鰐塚処理は、阿久根の義務の時間、生徒会の時間に出没する厄介な存在であった。
 鰐塚が恋愛的な目で阿久根を見ているから、彼が他の女の子に靡かないか不安だからとか。そういう問題ではない。恋人として繋がった阿久根と赤であるから、ある程度の自信は既に持ち合わせている。正直、鰐塚に阿久根を奪われるなんて微塵も思っていない。ただ奪えると思い上がった小娘が、阿久根のそばに侍りながら自分の恋が前進しているなどと勘違いすることが腹立たしかった。今すぐ重病を患わせてこの学園から強制退去させてやりたいくらいには、赤の機嫌を悪くする。
 もっとも、肝心の鰐塚は自分が阿久根に向ける感情を敬愛と称してやまないが、それだって赤から言わせれば白々しいのだ。恋でないと口先で弁解しても、執着している時点でアウト。年下に対して大人気ないだなんて言われても知らない。恋愛に年齢なんて関係ないのだから。
 今度鰐塚と直に対面することがあれば威嚇のひとつでもしてやらなければなるまい。そう決意して、赤は自分の居城である保健室でそっと爪を撫でた。


 阿久根高貴が赤に自分達の関係を周囲に打ち明けようと提案したとき。そして実際に最近弟子として目をかけている鰐塚に打ち明けたとき。彼女等に一瞬だけ覚えた違和感に、阿久根は今日ずっと首を傾げている。
 怒りや不快を伝えるような空気ではなかった。だが物騒な印象を受けたのだ。目の前の阿久根に向けた感情ではないのだから、一触即発と呼ぶほど顕著でもなかったが。
 自分の恋人になった赤のことを考える。元来表情に感情が映りにくいのだろう。涼しげな表情の一部であった眉が僅かに顰められたのを目ざとく気づいてしまったことは、それだけ彼女に近付けたのだと自惚れておく。
 次に自分の弟子の鰐塚について考える。根底の憧れが抜けきらないからだろう。阿久根の前ではやけに表情筋が柔らかい。その二人のリアクションを省みて、やはり女の子は難しいものだと溜息を吐く。悪平等同士、通じ合うというよりは同族嫌悪が先立つのだろうか。もしそうならば自分には入り込めないだろうかと阿久根は首を捻る。実際は悪平等など関係ない、恋する女のいがみ合いだということに、色気ない環境に身を置いてきた彼は気付けない。
 恋人という二人だけの繋がりを得ても、悪平等という自分以外との繋がりの存在を自覚した途端少しだけ降下した機嫌は阿久根の素直な感情だった。だが赤や鰐塚本人の前でこんな幼稚な独占欲を吐き出すわけには行かない。
 少なくとも、自分はちゃんと冷静になれるのだと言い聞かせながら、阿久根は生徒会室へと向かう廊下を足早に歩いていく。赤がいるであろう保健室に寄ってくれば良かったと思ってしまうのは、今の阿久根にとっては仕方ないことだ。



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南の戦線
Title by『ダボスへ』




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