※捏造


 新たな宇宙ステーション建設の決定と共にその研究メンバーに選ばれたのだと、白舟真帆が国際電話を通じてめぐるに連絡を寄越して来たのは今朝のことだった。丁度旦那と子どもを職場と学校に送り出した所で、ある意味説妙なタイミングであったといえる。真帆の肉声をリアルタイムに聴くのは実に一年ぶりだったということに、めぐるは彼との通話中に気が付いた。着々と宇宙への進出を進めるST&RS所属の宇宙飛行士として輝かしい活躍をしている真帆の姿やインタビュー映像をニュース等で見る機会はそれなりに多い。今や一家庭の専業主婦の自分とは何とも離れてしまったものだと思いながら、自分も嘗ては彼の居る宇宙を目指していたのだと振り返ると、結局は年月の速さをしみじみと感じ入るしかない。
 昼のニュースを見ようとテレビを着ければ、真帆が朝一で知らせてくれた情報がトップニュースとして取り上げられていて、めぐるは重大情報であったであろうことを正式発表より先に自分に明かしてしまう真帆の迂闊さとおおらかさに、ああ彼は今もまだ変わっていないのだと、少し泣きたくなってしまって着けたばかりのテレビをまた直ぐに消してしまった。



 あの頃、ST&RSに携わっている誰もが一分一秒を惜しむように焦っていて、子どもだった真帆やめぐるはただ自分の夢を物差しにすることでしかそんな周囲の大人と共に歩くことは出来なかった。約束の日に間に合わなかったらどうしようなんてことは、あまり考えていなかった。
 だからだろうか、と。
 情熱とか、素養とか、宇宙を目指す為の何かが、欠如していたのだろうか、と。
 真帆は宇宙に行った。同中だった宙地も宇宙に行った。めぐるも宇宙に行った。つまるところ、真帆等の同期に宇宙学校に入学した面子は皆宇宙に行った。ただ、そこをゴールと据えてしまった人間が、そのゴールへと到達した後に、何を選ぶのか。それが、あの時宇宙を目指してひたむきに走り続けた仲間たちが、大人になるということでもあったのだ。
 真帆はそれから何度も宇宙に行って、残った。宙地は何度か宇宙に行って、そうして医者になって、地球に落ち着いた。めぐるは、直ぐに地球に戻って、それから暫くはST&RSで働いて、それからありふれた日常の中に舞い戻った。
――めぐるの夢は――
 ST&RSを去ると真帆に伝えたときを思い出す。いつもなら一緒にいる宙地は、その頃医大で勉強をしながら時折宇宙飛行士としての仕事をこなすという常人ならば有り得ない過密な日々を過ごしていた。
――宇宙には、なかったんだよね――
 疑問形ではなかった。だからめぐるは、真帆の言葉は問いかけではなかったのだと今でも思っている。小学生の頃、七夕の短冊に書けなかったバレーボールのオリンピック代表選手になるということを言っているのなら、めぐるは真帆に違うよと直ぐにでも訂正を入れていただろう。だけど、真帆はめぐるに何も聞かなかったから、めぐるも真帆に何も言わなかった。
 たった一度だけの宇宙だった。だけどもその時見たもの全て。胸に広がった言葉では言い表せない感情の波は、抱いた思いの丈は、めぐるがそれまで生きてきた中で一番のものだった。そしてそれ以上に出会うことは難しいと、めぐるは地球に戻ってから暫くして漸く気付いた。
 走れない。それは虚無感で、前へ進んでいく真帆との距離感だった。

「辞めたなら言ってくれれば良かったのに」
「うん、ごめんね」
「白舟は落ち込んだんじゃないか」
「どうかな。元々宇宙学校出てからはあまり一緒にいられてなかったし」
「そうか」
「宙地君はもうお医者さんなんだっけ?」
「今はまだ研修医だよ。でももうあまり宇宙には行けないな」
「そう…確かに、担当の患者さんを放っては行けないよね」
「ああ」

 日本にいた宙地と二人きりで会う機会が増えて行くことは、ある意味自然なことだった。高校生活を世界中から生徒募集をする宇宙学校で過ごした宙地やめぐるにとって、気楽に会える人間は必然中学時代の友人ということになってしまう。それこそ、高校入学以降まともに顔を合わせたことなどありはしないというのにだ。
 付き合う、という形を取ることはなかったけれど、宙地とめぐるは頻繁に顔を合わせた。食事に出かけたり、季節の行事を二人きりで過ごしたりもした。そんな二人の関係に疑問を投げたり、さっさと進展を促すような友人はいなかった。だからずるずると月日を重ねて、宙地はとっくに研修期間を終えていて、めぐるはプラネタリウムの職員として働いていた。仮にも宇宙飛行士として火星に行った経験を持つめぐるは、時折近所の小学校に招かれて授業を受け持ったりしていた。真帆からの連絡は殆どなく、ただ新年の挨拶だけは近しい友人にメールで彼の近況と共に毎年送られていた。それ以外は、ニュースや、ST&RSの予定などを調べれば良いことだった。
 一人暮らしをしていためぐるが、実家の両親と連絡を取る度にそろそろ結婚しないのだとか良い人はいないのだとか口賢しくなって来た頃、彼女はちょっとした病を患った。命にはさほど別条はなく、手術は必要だか逆に手術をすれば確実に助かるという類の物。めぐるは、自分が患った病を重大には捉えていなかった。だって手術をすれば助かるのだという。お金も余裕がある。だから彼女はこのことを職場と両親にしか報告しなかった。
 めぐるの病に一番過敏に反応したのが、彼女が入院した病院で働いていた宙地だった。医者である彼がどうしてそこまで過剰反応するのか、めぐるには理解しかねた。担当医でもないのに、宙地はよくめぐるの病室に彼女の具合を伺いにやって来るものだから、彼女はとうとうそんなに心配することはないのだと彼に苦言を呈した。仕事のリズムを崩してまで来なくていいという、めぐるなりの気遣いのつもりだった。ただそれに対して返って来た宙地の言葉は、彼女が予想していた幾つかものではなかった。

「――好きなんだ」
「宙地君?」
「だから、簡単に治るからって心配しないとか、無理だ」

 めぐるのベッドの傍らに立って彼女の手を取ってにぎりしめる宙地の顔があまりに切羽詰まったように歪んでいたから、めぐるはもう片方の手を自分の手を握っている彼の手に重ねて、それから小さく「ありがとう」と呟いた。拒否の言葉など、浮かぶ筈もなく。宙地とめぐるが結婚したのは、彼女が病気を治して退院してから数週間後のことだった。
 二人の結婚式は、日本人同士の結婚であるというのにその参列者たちの顔を見れば随分とグローバルだった。当初の予定では式当日は宇宙ステーションにいるはずだったという真帆は、現場で相当な無理を通して地球に降りて大事な幼馴染と、親友の晴れの日を祝うためにやって来た。

「宙地君がめぐると結婚するとは思わなかったな」
「そうか?」
「僕、正直火星に行った後のこととか考えてなかったからさ、三人で火星行ってそんでちゃんちゃんってなるのかと思ってたんだよね」
「ちゃんちゃん?」
「めでたしめでたし、みたいな」
「ああ、なんとなくわかるよ」
「えー、宙地君受験の時から医者になるって言ってたじゃない」
「でも、一番特殊な時期だったろう。何かとな」
「うーん、まあ思春期を宇宙に費やしたよね僕等」
「白舟はこれからも、だろう」
「うんそのつもり。宙地君は、宙地君のこれからはさ、めぐるを幸せにする為に費やされるんだって、ずっと思ってていいのかな」
「――勿論、」
「ん、よかった」

 そんな会話を真帆と交わしながら、宙地はきっと、真帆はめぐるのことが好きだったのだろうと思った。めぐるも、真帆のことが好きだった。普通の高校生活を送っていたのなら、もしかしたら二人が今日結婚していたのかもしれない。不毛で虚しくて、自分の結婚式中にする想像ではないなと首を振った。もう一人の主役であるめぐるは、マルカやいづみ等に祝福されていて、楽しそうに微笑んでいた。宙地と同じように、めぐるの方を見つめながら、真帆はとても眩しいものを見るように目を細めていたから、宙地は彼が泣きだしやしないかと気を揉んだけれど、真帆は始終穏やかな笑みを浮かべて宙地とめぐるを祝福し続けるだけだった。
 結婚してから数年後、二人の間には子どもが生まれ、幸せでありきたりな時間がただ過ぎた。その間真帆に会った回数はたった二、三回だった。ふと思いだしたように、メールや電話が寄越されて、彼が相変わらずだということは二人とも理解していた。過ぎゆく季節と時間の中で宙地とめぐるが確かに大人になったのに対して、真帆だけがまるで何も変わっていないかのような錯覚を覚えるくらいに。


「ねえ、今日のニュース見た?」
「宇宙ステーションの新設決定の?」
「そうそれ。記者会見で世界同時発表の筈だったのに真帆ったらその三時間くらい前に家に電話してばらしちゃったのよ」
「それはまあ、らしいといえばらしいけど…って、白舟から電話があったのか」
「うん、あなたが家を出て直ぐだった」
「そうか…」
「相変わらずだったわよ」
「だろうな」

 子どもを、もう寝る時間だと部屋に戻してから帰宅した宙地に夕飯を用意しながら、めぐるは呆れたと言わんばかりに溜息を吐きながら、彼の前の椅子に座る。味噌汁を啜りながらめぐるの言葉に、懐かしそうに微笑む宙地は相変わらず医者として忙しく日々働いている。宇宙に携わる時間はもう殆どなくて、宙地にとってもめぐるにとっても一番慌ただしく過ぎ去った頃の記憶のまま宇宙に気ままに浮かんでいるであろう真帆は、一種の夢として時折二人の胸に去来する。
 誰も彼もが子どもだった。だからいつしか大人になって行く。離れ離れになることもその過程にある一つの常で拒むことは出来ない。だから真帆も宙地もめぐるも、自分のやりたいようにした。それだけのことだった。
 だけどきっと。時々ならば、嘆いたって良いだろう。もっと一緒にいたかっただとか、諦めたくなかった沢山のことだとか、大人になってしまったことそれ自体を。嘆くことは、別に不幸なことではない筈だから。幸せな日常の片隅に、捨て去ることの出来ない過去を抱えて誰も彼もが生きるのだ。
 食器の片付けも終えて、ベランダから見上げた夜空に浮かぶ星々はもう遥か遠い。隣で同じように夜空を見上げている宙地が何を思っているのかは分からない。ただ、これからも宇宙に向かうであろう幼馴染であり友人である彼が、馬鹿みたいに笑ってこの夜空よりも遥か上で笑っていることを祈るばかりだ。


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風は花を散らしてあなたを隠した
Title by『ダボスへ』





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