校舎の最上階の窓から眺める景色が、割と好きだった。去年と縦横共に数メートルの差を、白石は誰に告げるでもなく好んでいた。
 真冬の窓を開けるのは何かと顰蹙を買うのだが、朝から二時限目まで暖房を付けっぱなしの今ならば、換気という格好の名目が生まれるのである。仮にも自分達は受験生なのだから、体調には人一倍気を遣わなければならない。
 尤も、白石自身はさっさと推薦でとっくに志望校への入学を決めているのだから、やはりこっそりと窓を開ける。
 細い隙間から容赦なく吹き込む風を顔に受けながら、やはり今はまだ冬なのだと実感する。

「白石、寒い」
「なんや、謙也起きとったんか」
「開けんなら自分の席の窓開けえや」
「それじゃあ意味ないやろ」

 謙也が風邪を引かないよう、その為の処置なのだから。
 窓際前から二番目と三番目。後ろからだと三番目と二番目。其処が白石と謙也の座席だった。白石が前で謙也が後ろ。
 この一年、白石と謙也の席が離れることは少なかった。気紛れに行われる席替えの周期に統一性などある筈もなく。それでもクラスの記憶を辿れば大体近くに謙也がいるのだからなかなか凄い巡り合わせだと思う。
 授業の合間の休み時間、夜遅くまで受験勉強でもしているのか机に突っ伏していた謙也には、突然の冷風はやはり歓迎されなかったようだ。

「換気は大事やで」
「…健康オタクも程々にしいや、」
「阿呆、保健便りにだって載っとる常識や」
「…読まへんもん」
「おまっ…、保健委員前に酷いこと言いよるな…」

 頭を上げず腕に顔を埋めたまま。謙也は余程眠いらしい。馬鹿な訳ではない。自分の環境と力量を見極めれば謙也だって今頃推薦でとっくに進学先が決まっている筈なのだ。
 否、白石は、確証もなく謙也は自分と同じ進路を選んでくれると思い違いをしていた。
 高校生になっても二人でテニスをして同じクラスで笑い合う少し先しか想像して来なかった。

 最終的に、謙也が選んだ進路は白石のそれとは重ならなかった。不相応な場所ではない。苦手科目さえ目処を付ければ、謙也ならば裕に進める学校だった。
 テニスはもう辞めてしまうのかと聞けば分からないと言われた。その環境に身を置いてみなければ選べない。けれど、白石達とするテニス以上に楽しいテニスなどないだろうと、謙也は笑って言った。

――なら、俺達を選んで欲しかった。

 これまで、謙也の進路を知ってから何十回と飲み込んだ言葉。
 医者になるのかとは、聞けなかった。頷かれれば、謙也からテニスすら取り上げられてしまうような気がした。
 クラスメイトではなくなる。部活仲間ですら。その上テニスまでも無くしたら、自分と謙也を繋ぐ友達という形を証明するものが何もない。

「謙也、」
「なんやー?」
「あんま無理せんといてな」
「あー」

 寝ぼけているのだろう。次の授業は自習だから、大した問題ではないけれど。謙也の机の余ったスペースに、謙也と同じ様な体制を取りながらまじまじと謙也を見る。
 夏、眩しいと思った髪はもう黒く染め直されていた。
 元来あるべき色に戻った髪色を見て似合わないと駄々をこねたのは金太郎。苦々しげに、寂しげに口を噤んでいたのは財前。
 みんながみんな感じている。離れていく距離と、一人旅立つ謙也への寂しさ。
 一番謙也と共に過ごす時間の長かった白石には猶のこと。止まらない時間をいつだって呪いたいくらいの気持ちで過ごしている。

 再び深い眠りに落ちてしまった謙也の髪に手を伸ばしてそっと触れる。
何度も繰り返したブリーチの所為ですっかり痛んでしまった髪の感触だけは変わらずあの頃のままだった。
 そんなことが、妙な安心感となって急速に白石の全身を巡って最後に涙腺を震わせた。
 教室の端、誰にも悟られたくなくて謙也と同じ様に頭を腕に押し付ける。周囲からは、また仲の良い二人が一つの机に頭を乗せて眠っているようにしか映らないだろう。

 僅かに開け放した儘の窓からは絶えず冷たい風が入り込む。早く閉めなければ逆に風邪を引いてしまうかもしれない。そう思いながら、それでも白石は動くことの出来ないまま、目の前で眠る謙也をずっと見詰めていた。
 あと何回、こうして気軽に謙也に触れることが出来るのか。そればかりを気にしながら、微睡む意識の端で、始業のチャイムを聞いた。




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きみがすきでくるしい
Title by『彼女の為に泣いた』




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