冷血生徒会長、祀木ジロウに熱血彼女が出来たという噂が流れたのは、実際祀木と灰葉スミオが付き合いだした翌日のことだった。 一個人同士の関係が大衆に公になることを祀木は好まなかったし、寧ろそれを話題に親しくもない人間から不躾な視線を寄越されるのも不愉快だった。だがもう一人の当事者であるスミオはまるで他人事のように祀木の腕に纏わりついていた。勿論、大衆の面前でこうした戯れをすることを祀木の機嫌を損ねてしまうということは付き合う前にしっかりと学んでいたので、今のところ利用者がいない図書室で二人きりになってからの行動である。学習スペースの机に座りながら問題集を解いている祀木の隣に座りながら、スミオは邪魔にならない程度にと彼の傍を離れようとはしなかった。 祀木としては、二人きりだとしても校内であまりスミオと露骨に引っ付くことに積極的ではない。何せ不純異性交遊でスミオに罰則を与えようとしたことのある自分がそういったことをするなどと、と考えているのだろう。実際は同性であった為問題はなかったのだが。生徒会長である上に頭まで硬いのだから困ったものだとスミオは苦笑する。なにせ、校内が駄目ならお互いの部屋に行ってからにするかと提案すればそれもまだ早いなどと言い出す始末。じゃあどこでいちゃいちゃすればいいのだと迫った挙句の妥協点がここである。 「会長、それは宿題か?」 「ああ。灰葉は何も出ていないのか」 「…出ていたような、いや、あれは宿題じゃなくてテスト範囲だったかな?」 「……思い出せ、今すぐに」 「会長は無茶を言う…」 祀木の真面目スイッチを押してしまうと、渦中の件を解決するまで全く融通が利かないのだ。それを知っているのでスミオはしぶしぶと祀木の利き手とは反対の腕に絡めていた自身の腕を解いて反対の椅子に於いていた鞄を漁り始める。基本的に置き勉という手段を取っているスミオの鞄の中に入っている勉強道具など僅かなものでしかない。取り出したのは、ノート二冊と筆記用具だけだった。それを確認した祀木は、ぴくりと眉を顰める。 「…これで全部か?」 「そうだが?全部持って帰っていたら重いだろう?」 「それもどうかと思うが、教科書はどうした」 「ん?……忘れてた」 ノートだけを持ち帰っても、復習は出来るかも知れないが予習や宿題は確実に出来ない。しかも、どうやら素で忘れて来てしまったらしいスミオの反応に、祀木もくどくどと説教する訳にも行かず短く「取って来い」と促した。 だが、スミオはいつまで経っても席を立つ気配を見せなかった。どうかしたのかとスミオの顔を覗き込んで見ると、そこには珍しく不機嫌一色に染まった彼女の顔があった。 「灰葉…?」 「どうして会長と一緒にいるのに勉強道具が必要なのだ」 「え、」 「そもそも彼女が隣にいるのに勉強道具取って来いって何なのだ。しかも図書室って…」 「灰葉、どうした」 「何でもない、教科書取って来る」 不機嫌丸出しのまま、スミオはがたんとわざとらしく音を立てて立ち上がる。二人きりだった図書室には、やけに大きく感じるその音に、祀木は一瞬眉を顰めたがそれ以上にスミオの眉が窮屈そうに寄せられていることに気付いてしまったから、静かに立ちなさいと注意することは出来なかった。恋人に、滾々と母親じみた説教をしてはいけないと、尊敬する先輩から諭されたこともある。だが祀木のこれは母親目線というよりも彼自身の性根がそうさせるのであって、一度だってスミオを教え導いてやらなくてはなんて生温い視線を送ったことはないつもりだ。肝心の恋人であるスミオには、「会長はおふくろよりもうるさい」と文句を言われたこともあるが。 さて、どすどすと女の子らしからぬ足音を立てて図書室を出て行くスミオを追い駆ける為に、祀木も派手な音を立てながら席を立った。鞄は置いたままであるから、どうせ彼女は直ぐにここに戻って来るのだろうけれど、たぶん、今追わなければならないのだろうと思ったから。だって自分はスミオの彼氏だ。 「灰葉!」 呼ぶと同時に掴んだ腕は、やはり自分のものより幾分細い。こんな腕で、時折男子に喧嘩を吹っ掛けるようなことをするのだから気が気でないのだ。勿論、灰葉が一方的に他者に言い掛かりをつけるなんてことはしない。誰かを助ける為に正義感の元に行ったものではあると知っている。だが知っているからなんだというのだろう。スミオが女であるという事実は何一つ変わらないというのに。 ――自分がこんなに口賢しくなってしまったのは、きっと灰葉にだって原因があるんだ。 最近、祀木はこんな風に思う。だけどそれは一つの責任転嫁とも取れる言葉で、真面目な彼には音に乗せることは困難だった。咎めれば咎めるだけ、スミオは自分は間違っていないと意固地になるだけなのだから。 「…会長?」 「俺は、…良く分からないんだ」 「……」 「誰かと付き合ったり、それでどうするとか、何を求められているかを察するのも…難しいんだ」 「……会長」 まるで年頃の娘を持つ父親のようだ。急に思春期を迎えてしまった女の子にどう接して良いかわからない。だけどスミオは思春期の女の子だけれど、祀木は自分の父親ではないとしかと理解している。彼は、自分の恋人だ。そして、自分は彼と付き合う前から何一つ変わってなどいないのだ。無理して恋人らしい距離感を探られても困る。それは、探ったり測ったりするものではなく少しずつ近づけていくものだと思うから。 「会長」 「なんだ」 「一緒に帰る約束をした時は図書館によって勉強はしたくない」 「そうか」 「勉強するなら最初から一緒に勉強するって言って欲しい」 「わかった」 「抱き着いたら少しは反応して欲しいし、二人きりになったら会長からも近付いてほしい」 「…何だか、問題点だらけだな。俺は」 「でも直ぐ追い駆けて来てくれたのは嬉しかった!合格!」 最後に笑顔を浮かべて、思い切り祀木に抱き着く。突然のことにも、祀木は動じずにしっかりとスミオを受け止めた。いつもなら、廊下でそういうことはするなと直ぐに引き離すのだけれど、今日ばかりは仕方ないと祀木もそのままスミオを抱き締め返した。腕に籠る力を感じながら、スミオはそれだけで十分なのにと祀木に見えないように彼の胸に顔を埋めながら苦笑する。 名前を呼んだら見詰めてくれる、触れたら気付いて言葉を掛けてくれる、抱き締めたら抱き締め返してくれる。たったこれだけのことで、自分の気持ちと機嫌は最高潮まで満たされるのだということを、この不器用な恋人が早く気付いてくれますように。そう願いながら、スミオは祀木の背に回した腕に少しだけ力を込めて、そのまま瞳を閉じた。人の気配が近づくまでは、どうかこのままでいれたら良い。 ――――――――――― オイディプスだって何とかやってる Title by『ダボスへ』 |