※五年後

 しおりがアシタバと出会った当時の彼の年齢に追いつこうとする頃、当然ながらその差は埋まる筈もなく相手も同じだけ年を食って成長してしまっていることに、彼女はそっと溜息を吐いた。
 アシタバが通っていた、そして歩いていたであろう中学の廊下をひとり緩慢と歩きながら、しおりは見つかることのないと分かり切っている彼の残骸を探している。執着というほど強くも、醜くもないと思いたい。これは、年々淡くなってしまう思い出への補修作業なのだ。
 時間が経っても人見知りという根強いしおりの性質は治らなかった。押しの強い、それでも自分を気に掛けてくれる友達が一人でもいてくれたから、広い人間関係を築こうという意思すら働かなかったのが本音だった。探偵団と称して、しおりと操を半ば強引に連れ回すようでいて、自分達に振り回されてくれている頼子のことが、しおりはとても好きだった。
 普段の日常の中で、頼子や操といった友人らのことを感慨深く振り返ることはあまりしなかった。自分がどれだけ救われているかとか、寄りかかっているかとかをこと細かに把握してしまうと、自分の成長のなさとか甘えたまでありありと目の前に広がってしまって、顔を上げることが出来なくなってしまうから。友達とは対等なものだとしおりは思っているけれど、その大前提すら揺らいでしまうようなネガティブな発想しか出来ない自分が情けない。きっと、思い切ってこんな不安を頼子や操に打ち明ければあっさりとそんなことはないと否定してくれるんだろう。本当に、優しい友人だと思う。
 こんな風に、しおりは友達というものをとても大切に思っていた。一度繋がった関係があっさりと解けてしまうのは悲しい。だから、寂しくて遊び相手もいなくて泣いた自分に友達という絆をくれたアシタバを、しおりは今でも純粋に好きなままなのだ。

「花巻さ…、先生はアシタバさんとは今でもお会いしてるんですか?」
「うえ!?…アシタバ君?そうだなあ…クラス会の時とか」
「はあ、」
「でもお互い地元を離れてないから、街で会うこともあるし、そういう時はちょっとお話ししたりするかなあ?」
「……そうなんですか」

 通い始めた塾で、講師としてバイトしている花巻の言葉が、しおりには心底うらやましくて堪らなかった。私だって、あの頃と変わらず地元を離れていないのにどうして偶然は私達を引き合せてはくれないのだろうと思わずにはいられなかった。
 アシタバと同じタイミングでしおりと友達になった花巻は、しおりともアシタバとも繋がり続けていて、しおりとアシタバは繋がっていられない。そのことが、まるでとんでもない理不尽のように思えた。

「今日はうちで宿題しようよ!」

 いつもより少し多めに宿題が出されたある日、頼子はいつものように唐突にこう提案した。操は、先に昔お世話になった方へ挨拶に行ってからなら参加できると言い残して、さっさと自身の要件を先に済ましに行ってしまった。こうなると、頼子はもうしおりの意見など聞かずにさあ行こうと歩を進めてしまうのだ。元来、しおりもどうしても外せない用事が無いと彼女の誘いを断ったりはしないから、こうしたパターンが出来上がってしまったのかもしれない。気分が乗らないからパスなんて、気だるい男子みたいな付き合い方は最初からするつもりもないのだし。
 歩きだしてしまった頼子との距離が開いてしまう前に小走りで彼女の隣に並ぶ。何で今日に限ってこんなに宿題が嵩むかなあと不満を述べる彼女の二転三転する話題にいちいち相槌を打ちながら、そういえば頼子の家に遊びに行くのは思った以上に久し振りのことだと気付く。原因とか、責任の話ではないけれど、放課後は家が尋常じゃないほど遠くの校区外にある操の負担にならないように誰かの家で時間を消費したりはしない。女の子が暗くなるまで外を出歩いては危ないという、頼子の自身には全く反映されない保護者じみた主張により、遊びたい盛りの年齢にしては、しおりや操は比較的早くに家に帰っている。何故か頼子は、そんな自分達を家まで送ると聞かなくて、彼女の帰宅の時間が遅くなってしまっているのが心配だったけれど。

「ただいまー!」
「おじゃまします」

 当然ながら人気のない玄関に、頼子は住み慣れた場所だからと普段通りらしく靴を脱いで母親に友人の来訪を告げるべくしおりを置き去りにして台所へ駆けて行ってしまう。残されたしおりは、自分を異質として馴染ませない他人の自宅の玄関にぽつんと立ち尽すしか出来ない。靴を脱いで、上がるくらいはしても良いのだろうか。それとも、突然過ぎるから部屋が片付いていないとか理由を付けられて、ここで待たされるのだろうか。
 ぼんやりと、それでも心細く頼子の戻りを待っていると、玄関と台所を繋ぐ廊下の途中にある階段の上からぎしぎしと軋む音が聞えて来た。はっとして、角度的に良くも見えない一角をじっと凝視する。
 何か来る、なんて。その何かに対して、高確率で予想される対象を、しおりはちゃんとイメージしているというのに。言葉に出さなければ、期待して外れても誰にもばれないというのに、臆病なしおりは自己へ振りかかる羞恥への防衛線としてあえて何かとぼかすことを選んでいる。

「頼子うるさいよ…」
「……あ、」
「……?…あれ、しおりちゃん?」

 階段を降りて姿を現したのは、心の大半で期待していた明日葉郁だった。最後にある記憶よりも、随分と背が伸びていて、肩幅も広がっている。声音もあの頃より幾分低く落ち着いていて、それでも変らない優しい柔らかさがあった。そんな、一見すると変化ばかりが目につく彼が、自分の名前を躊躇なく紡いで唱えたことが、何故か不意にしおりの目頭を熱くした。再会して早々に泣きだすなんて面倒臭いことしたくなくて、涙を零すことだけは必死に耐えた。
 二階にまで響く妹の大声に文句をつけるべく現れたらしいアシタバは、余所様宅の玄関に置き去りにされたしおりの居心地の悪さを直ぐに察知したようで、まるでごめんねと気遣うように台所へ向いていた身体の向きをしおりの方へと向き換えた。

「久しぶりだね」
「はい、あの、…お久しぶりです」
「大きくなったねえ、頼子と同い年だもんね」
「えと、クラスも一緒です」

 ぎこちなく、他愛ない会話の向こう側から、頼子が母親からお菓子を獲得しようと躍起になっている声が届いている。ひどく距離が開いている筈なのに、しおりの緊張で震える声などかき消してしまいそうな程に、頼子の声が大きく感じられた。それは彼女の前に立つアシタバも同じらしく、落ち着きないなあと呆れたように台所の方へと顔を向けた。
 その一瞬、自分から逸らされたアシタバの顔を見詰めながら、しおりはぼんやりと自分と彼の関係はやはり友達なんて対等なものではなかったのかもしれないと思った。だってしおりは頼子や操が会話の途中に誰かに呼ばれて顔を背けても、席を外しても胸がずきんと音を立てて痛んだりはしないのだから。

「しおりちゃんも頼子に振り回されたりしてない?大変でしょ」
「いえ、そんなことないです」

 アシタバの呆れた風の言葉に、しおりは社交辞令でも何でもない言葉を返す。私が毎日振り回されているのは、貴方の妹にではなく貴方になんですよ。
 言えもしない、ともすれば皮肉にも受け取られかねない本音は、一生を掛けてもしおりの口からアシタバに届けられることはないだろう。だってしおりは、アシタバとお友達になりたかっただけなのだ。


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さみしさの精度
Title by『にやり』





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