「おかえりって、言ってくれないのね」

 日に焼けた肌を惜しげもなく、だけども健康的な範囲で晒しながら、目の前でふんぞり返っている女性に、水野は暫し瞬いた。相手の名前もわかっていたし、寄越された言葉の意味もそれなりに理解した。それでも、緩慢に開いた口から吐き出した言葉は、水野自身どこか的外れだと思わずにはいられなかった。

「仁王立ちすんなよ」

 瞬間、絶妙な力加減で足を踏まれていた。


 プロの女子サッカー選手になるのだと勇んで、小島有希が日本を飛び出してアメリカに旅立ったのはもう年単位も前の話だ。才能と実力もあったのだろうがまだ子どもで未熟の域を出ないことを、本人は割とシビアに認識していて、だけど簡単に捨てきれる夢でもないから足掻くしかないのだと、彼女は前進することをやめない。
 進むきっかけと勇気をくれたのが水野や風祭のおかげだと認めるのは少し悔しいが感謝はしているのだと有希が殊勝なようでいて不遜な態度を取る度に、口下手な水野は黙り込む。俺達は何もしてないよだとか、お前が決めてお前が頑張った結果だろうとでも、切り返してやれば良いのかもしれない。中学時代の記憶に立ち帰ってばかりでは埒が開かないのに。
 時間は当たり前に流れて、幼かった頃の当たり前は思い出になった。仲間だった連中が入れ替わり友達に部類を移していった。大差ないと言われればそうかもしれない。だが水野には違うのだ。彼にとって仲間とは一緒にピッチに立つ人間のことで、後はライバルとか友達とか顔見知りといった具合に細分化され、その大半が意識の端にも掛からない。嘗ては仲間で、決別もなく距離の出来た面子を、水野は取り敢えず友達と呼んでおく。

「水野は何で私の手紙に返事出さないのよ」

 仁王立ちのまま、今度は腕まで組みながら有希は水野を睨む。踏まれた左足の刺激を発散するようにとんとんと爪先で地面を蹴っている水野な気付いていない。それでも耳はちゃんと彼女の言葉を拾っている。
 手紙、とはいつの手紙のことだと逡巡し、そういえば結構貰っていたなと気付く。水野が所属するチーム宛に届く自分へのファンレターと見比べて、同じ女子とは思えないほど質素なものばかり。内容も他愛ない世間話だったり近況報告と此方の具合を尋ねたりする程度。しかも、サッカーについての話題ばかりで、シゲや藤代、他にも彼女から手紙を受け取る人間がいる為、彼等の返事に自分の近況も書き込んで置くよう頼んでいたので自分が手紙の返事を出したような気になっていた。よくよく考えれば、自分で筆を取ったことなんて数える程度しか記憶にない。
 もしかしなくとも、彼女は自分を糾弾しにわざわざ会いに来たのだろうか。はたと気付き、何故そこまで責めるのだと自己を擁護しかけた所でまあ自分が不実だったことは事実だと諦める。

「怒ってんの」
「水野のそういうとこ、嫌いだな」
「は、」
「怒鳴ったり、文句言われたり、態度に出さなきゃ相手の気持ちに気付かないとこ」

 相手に応じた自分を省みたりしないのだから、そうもなる。察する、ということが下手くそな男だと、有希は水野に対して思う。それは只の見識で、好ましいとは到底思えなかった。水野自身を好ましく思っていたとしても、だ。
 中学時代、自分に向けられる女子の好意を無碍にし続けたのは、それが出来たから。言葉にして、態度に出して伝えなければ水野は気付かない。気付いても受け入れない。素っ気ない水野に対する反動が、やっかみとして有希に向けられたことだって、それなりにあった。ただそんなことに負ける彼女ではなかったので表面化しなかっただけのこと。
 今、この場で過去の被害を打ち明けたら、水野は驚いたように目を見開いて、それから小さく謝罪するだけだろう。そんなものを求める為に会いに来た訳ではないから、言わないけれど。

「私、本格的にアメリカに拠点移すの」
「…そうなのか」
「日本に帰る機会も、今よりずっと少なくなると思う」
「ああ」
「…ねえ、」

 このままじゃ、解けちゃうよ。電話も手紙もないなら、私達どうやって繋がっていられるの。
 言いたいことは沢山あって、そのどれもが一方的な不満と不安。それから伝えられない本音。好きだなんて、水野には言わなければ伝わらないし、言っても届かない。それなら友達で良いなんて逃げ道すら、彼は受け入れてくれない。
 泣きたい、なんて思うのは久しぶりのことだった。泣く暇があるなら、もっと他にすることがある筈だと努力することだって、今までなら出来たけれど。こればかりは、相手の気持ち次第だから動きようがなかった。
 俯いたまま、黙り込んだ有希に、水野も発する言葉を必死に探す。他人のこととなるとどうも疎くて関係を悪くすることが多かったことを、水野は自覚している。だから、今も自分の怠惰が有希との関係をどうやらよろしくない方向に押しやろうとしているのだと気付いた。自信はあまり、ないけれど。

「…小島」
「何、」
「今度は、ちゃんと手紙の返事出すから」
「出すから?」
「あー…、また手紙くれ」
「はは、何それ!」

 取り繕った言葉は、有希の機嫌を直すにはなんとか及第点だったらしい。肝心の好意は、やはり察しては貰えなかったけれど、あの水野が他人のご機嫌取りをしたのだから、少しだけ自惚れてみても良いだろう、と有希は微笑んだ。それを見た水野が、ほっとしたように息を吐くのを、有希は見逃さない。
 きっと、水野は有希に手紙を書くだろう。有希が彼に手紙を出せば、それに答えてくれる。不誠実だと思うが、約束を頻繁に反故にする人間ではないと思いたい。

「いつアメリカに戻るんだ?」
「来週。もうちょっと日本にいるよ」
「…そうか。気を付けてな」
「…ん、ありがと」

 見送りには、来てくれないのだろう。当たり前のことだと割り切ろうとして、上手く行かない。水野が暇だとは思えないのに、それでも、来て欲しかったと思うだけなら自由だ。返事の来ない手紙にも、掛けることすら出来ない電話にも、さっさと慣れてしまえば楽だったろうに。夢と恋を天秤に掛ければ、呆気なく夢に傾く二人だったから、未だに中学から変わらずただの友達として、記憶の中に在り会えば話だって出来るのだ。

「ばいばい、水野」

 そう言って別れるのは、自分への保険。だってどんな言葉を残して離れても水野は水野のまま、有希の帰りを待ち望んだりはしない。一度だって貰えない「おかえり」の言葉を、有希は馬鹿みたいに期待して、帰るのだ。「またね」とは、まだ言えない。
 嫌いになってしまえば楽になれると、とっくの昔に気付いたけれど。当分自分はこのままだ。そう自嘲して、有希は水野に背を向けて歩き出した。



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別にそういうとこ全部ひっくるめて好きなわけじゃないよ
Title by『深爪』





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