モテるというのは大変なのだなと、小野田坂道は嘆息する。
 裏庭に面する校舎の二階から見下ろした先には、今泉と坂道の知らない女子生徒が向かい合うように立っていた。向かい合うようにというのは、今泉の方は立ち去りたくて仕方がないというように用が済めば即座に踵を返せるよう女子生徒からは身体を逸らす様に立っているということだ。
 今泉の姿を上から見つけて、反射的に声を掛けようとしてしまった坂道は窓が閉まっていたことは幸運だと身を屈めてうっかり今泉が坂道の方を見上げても姿が見えないよう気遣った。この幸運と気遣いは、今泉にとってのものか坂道にとってのものかと問われると、恐らくは坂道自身の為のものだ。名前も顔も知らない女子生徒に対するかどうかは可能性すら思い浮かばない。
 異性からの告白というものを坂道は生まれてから一度も経験したことがなく、オタクという趣味と――それを分かち合う仲間がいなかったことからの孤立と――運動が不得手で、かといって学力もさして高くない坂道はそもそも異性にもてはやされるどころか会話したことすら少なく、高校で寒咲幹が坂道――と自転車――に興味を持っていなかったら、その傾向は未だに変わらなかっただろう。正反対に、今泉は生まれつき整った容姿のせいで本人は静寂を好んでいるにも関わらず異性からもてはやされて生きてきたようだ。初めて坂道と競ったときも、謎のギャラリーができていた。自転車に興味があるわけでもないその女子は、今泉と親密なわけでもないのにやけに一生懸命彼を応援していたことを坂道は覚えている。今泉はモテる。それは出会ってから、インターハイなど様々な経験を経て今泉への理解を深めても決して覆ることのない坂道の相手に対する認識だった。
 窓下で密やかに交わされる言葉は音として坂道の耳に届くことはないけれど容易く想像に浮かぶ女子生徒の言葉は「好き」の二文字だ。恥じらうようにスカートの裾を握りながら、きっと顔を真っ赤にしながら告げるのだ。対する今泉が首を掻くように手を動かすのは、異性に告白されることを恥じらってのものではなく混じりけのない困惑を誤魔化す仕草だ。今泉は不思議なくらい自転車競技に一途過ぎて、坂道からは想像できない人数の女の子に告白されているだろうに、この子ならいいかもしれないと揺らぐことすらないらしい。無理だと思ったら別れればいいのだからという楽観的な選択もしない。それは真剣に自分を好いてくれている相手への真摯さではなく、やはり自転車競技への熱量がそうさせているのだろう。
 今泉が自分に親切にしてくれるのは、自転車競技部の仲間だからだ。屈みこんだまま、坂道は胸が痛むのを他人事のように受け止めた。さっさと立ち去ってしまえばいいのに、せめて窓際から端に寄れば立ち上がっても今泉の視界にうっかりひっかかる偶然を引き寄せることもないのに。けれど坂道は廊下で不自然に膝を抱え込んだままじっと拾えもしない気配を探るように耳をそばだてている。
 坂道は今泉が好きだった。これはきっと恋だった。運動部というだけで苦手なカテゴリーに入ってしまう坂道にとって、今泉は自転車に対する熱心さで坂道を振り回し困惑させ、それから優しい人に落ち着いた。今泉が見つけてくれなかったら、坂道は自転車競技部に入る選択肢があるなんて気付きもしなかった。
 友だちもいないまま、人と深く親密に関わることをしてこなかったから、勘違いしているのかもしれない。そう縋るように自分の気持ちを振り分けようと試みたことも何度もある。その成果があるならば――或いは初めから懐いただけの心を恋愛と履き違えていたのなら――こんな風に今泉が異性に告白されている現場に遭遇する度に蹲る必要はないはずだった。放課後の部室で着替えながら、そういえばなんて切り口で告白されていたよねと囃したてることだってできるはずだった。実際、鳴子は今泉ばかりモテるのはおかしいと憤慨しながら彼が告白されていたという情報を得ると本人の前でそれを話題にしてしまうのだから。単純に性格の問題と割り切ることも難しい。何故なら今泉に関する告白を話題に盛り上がる場の中で坂道が言葉を発しようとすると、不思議なことに言葉が外へ出て行くのを拒んでいるかの如く喉が詰まってしまって適当な相槌を打つことすら苦痛で仕方がないのだ。困ったように笑って頷くだけで今のところやり取りは通っているけれどいつか他の部員たちに変に思われないように気を付けなければならない。要するに、自分の好きな相手が自分よりもよっぽど恋人として並び歩くに相応しい相手に告白されている事実に慣れる必要がある。それはどうにもしんどいことだと、坂道は言い訳をする。勿論、声には出さないで。
 どれくらいそうしていただろうか。ぼんやりとしていると時間の進みが早い。立ちくらみを起こさないよう、ゆっくりと立ち上がる。きっと今泉も彼に告白していた女子生徒も立ち去っているだろう。告白されている現場を目撃することは辛いのに、今泉がその告白を受け入れてしまったかもしれないと不安がらないのは傲慢だろうか。そんなことを思いながら、坂道は歩き出そうとした。

「――小野田」

 呼ばれて、それだけで声の主が分かってしまったから、小野田は信じられない想いで一度窓の外に視線を落としてしまった。やはりそこには既に誰もいなくて、ならばこの声が幻聴でなければ彼は自分の死角にいるのだろう。首だけで振り向けば今泉が立っている。瞬間移動なんてできるはずがないから、外からここまで移動するだけの時間、自分はずっと呆けていたのだなと坂道は把握する。具体的な時間は思い浮かびもしなかったけれど。

「今泉くん、珍しいね部活以外で――」
「見てたか?」
「え?」
「さっき、下の方、見てなかったか?」
「それは…ええっと、」
「一瞬見て、引っ込んだろう」
「………ごめん」

 気まずさに俯くために慌てて身体ごと今泉の方を向いた。告白現場を目撃することは罪ではないだろう。ぶしつけに眺める野次馬精神は好まれないが、坂道はきちんと姿を隠したしそもそも声なんて聞こえていなかった。告白現場というのは確率の高い予測でしかない。けれど今泉の様子を見る限りその予測は間違っていなかったのだ。彼が自転車という話題があり、かつ幼馴染の幹以外の女子と連れ立っている時点でほぼ確定事項なのだから坂道は落胆も納得もする必要はない。ただ、わざわざ坂道が見ていたような気がすると姿を隠した後にその場に確認に来るということは、何か都合の悪いことがあったのかもしれない。それならば、何も見ていないし聞いていないとはいえさっさと立ち去らなかったことをマナー違反として謝罪するべきだった。坂道はそう思う。嫌われる前に、怒られる前に、自分から頭を下げてしまった方がことはスムーズに進むはずだと思っている。

「違うからな!」
「えっと……?」
「お前が見たのは、違うから!」
「告白されてたんだよ…ね?」
「――っ」
「ええっと、今泉くんがモテるのは知ってるよ! 告白されても自転車に集中したいから断ってるのも! 大丈夫! 面白がって言い触らしたりしないから――」

 坂道が謝罪するよりも早く、今泉の方がまるで言い訳をするように捲し立てる。違うと言われても何が違うのか、告白されていたことは否定せず、けれど事態を否定して隠そうとするならばそれは坂道が彼の告白現場の目撃談を吹聴してまた部室で話のネタにされることを憂いているのだろう。
 先程から、今泉の言動に関して坂道は内側で勝手な予測を立ててそれに基づいてばかりいる。もどかしげな今泉の態度を、怒っているとばかり思っている。大切な人を怒らせてしまうのは怖いから、坂道は今泉の顔を直視することができない。

「小野田」
「はいっ!」
「オレは――お前が、」
「?」
「いや、何でもない」
「そ、そっか」
「ああ」

 そのまま会話が途切れて、けれど今泉からは真っ直ぐな視線が届いていることが感じられて坂道はちらちらと彼の顔を窺う。怒ってはいないようだった。けれど一度吐き出しかけて、飲み込まれた言葉の仕舞い場所を探しているのか今泉の眉は顰められたまま。気まずい空気はひたひたと頭上から満ちて行く。

「なあ、」
「何?」
「また今日みたいに、オレのことを見かけたら――」
「……うん」

 その仮定は、今泉には自惚れるなと指摘することができないほど有り触れた未来のひとつなのだ。坂道には、想像するだけで気が滅入ってしまうのに、彼は平然とそのもしもを口にする。

「隠れないでくれ」
「え、でも、それは……」
「それでもしもお前が、今日と同じような顔をしてるなら――」

 さて自分はどんな顔をしていたのだろう。一瞬、今泉が見つけた窓を隔てて女子生徒と向き合っている体の彼を見つめる坂道の顔は、きっと情けない顔をしていたことだろう。
 もしもまた、今泉が誰かに告白されている現場に遭遇して坂道が情けない顔をしていたら、そのときは。

「オレは、最大に自惚れてお前に好きだって言うよ」

 びしりと音を立てて、世界が割れてしまうかと思うほどの衝撃が坂道を襲った。混乱よりも静寂が一帯を支配して、呼吸すら止めてしまったような。
 好きにも様々な種類があることを坂道は知っている。対象を違えれば坂道にもたくさんの好きという感情が潜んでいる。だからここは慎重に、今泉の言葉の意味を考えなければならない。じっくりと、傷付かないように。相手に不快な思いをさせないように。
 けれど今泉の言葉は、坂道の心の奥の奥に逃げ込もうとする本音の上にすとんと落ちて、染み込んでしまった。

「あはは、今泉くんそれ、もう言っちゃってるよ」

 顔を上げて、坂道は泣き笑いの表情を見せた。今泉は今日漸く坂道の笑顔を見れたことに安堵し、それから暫くして坂道の言葉の意味を理解し、自分の発言を反芻し、硬直する。
 改めて、モテるというのは大変なのだと、小野田坂道は嘆息した。
 それと同じ瞬間、好きな相手に想いを伝えるということは大変なのだと、今泉俊輔は途方に暮れた。



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Title by『さよならの惑星』






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