※泉田♀化(塔一郎→塔子、一人称=私)注意





 どうして。
 黒田の頭に思い浮かぶ言葉は、いつだってこの言葉が一番初めにやってくる。
 どうして。どうして泣くんだろう。どうして泣かせてしまうんだろう。どうして幼馴染というだけで、こんなにも不用意に傷付けてしまうんだろう。
 呆然と立ち尽くす黒田の前には、幼馴染の塔子がいて、長い睫毛を震わせながら泣いている。そうして、普段気丈な彼女が黒田の前で涙を流す理由(というよりも原因)はいつだって彼の不適切な行動以外の何物でもないのであった。


 幼馴染というものは、気楽の様でいて実はかなり神経を使う距離感なのだ。特に性別の違う幼馴染は。黒田が葦木場に説明する度に、何もわかっていないような、如何にも天然ですという口調で「それは違うよ」とはっきりと言ってのけるのだ。

「ユキちゃんは、他人に神経を使わずに来たから、特別過敏になってるだけだよ」

 随分失礼な評価を下されている気がするのだが、言い返せるほど黒田には他人に神経を使って生きてきた記憶がないのであった。運動が出来るというだけで、小学生から中学生までの男子社会では上位に立てる。あとは人並みの明るさ、それも黒田には備わっていた。要するに、幼い頃の黒田は属するグループの中心的存在で、そんな彼の幼馴染である塔子は対照的にあまり運動が得意ではなかった。それでも、幼馴染を慕い自分の後を着いてくる彼女を黒田は邪険に扱ったことはなかったし、それでいて決して彼女の機嫌を取る必要がある、上等な対象とも思えないままずるずると一緒に過ごしてきた。お互いが、お互いの両親への受けが変に良かったこともあって猶更。
 ――問題は中学なんだ。
 そう、黒田はいつも責任をそこに押し付けることにしている。中学時代の自分ではない。中学生だった、その過去の時間そのもの。色気付いて来る同級生も、その変化に無頓着だった塔子も、それから全く精神的な成長を見せずに誰からも尊重されたがっていた自分も、全て高校生の黒田雪成から引き離して、そして悪者にしてしまうのだ。いじれない過去が悪いのならば、今この罪悪感すらも自分の責ではないのだと言えてしまいそうで、少しだけ気が楽になる。
 葦木場の言う、黒田の人に神経を使わずに来た時間。無神経だと、そう言われているのだとここにきて気付いた。
 ユキちゃんは大事なチームメイトで友だちだけど、塔子ちゃんのことも好きだから。そう言って葦木場は、黒田と塔子が揉める度に大体彼女の肩を持つ。言い分に比べて、全く平等ではないのだ。
 中学時代も、黒田は持ち前の運動神経だけで周囲を渡り歩いていたように思う。学力の有無はあまり価値がなかった。少なくとも彼が属するグループでは。ただ小学生と違うのは、制服によってはっきりと区切られた男女の世界で、異性について語る機会が増えて来てしまうことだろうか。それだけなら、黒田は気後れすることもなく顔や体型が好みの女の子の名前を先輩や隣のクラスから見繕って羅列してみせるだけでよかった。
 ――問題は中学なんだ。
 繰り返す。問題は中学と、女の幼馴染への謎の幻想。集団の先頭を走りたがるくせに、黒田はいつも肝心なところで迂闊なのだ。塔子を話題にいじられるとは思いもしなかったし、そのことに自分が覚えた羞恥と屈辱の意味を、正直今でも把握しかねている。中学に上がっても、一緒に帰るということが普通ではないと黒田はこのとき教えられたのだ。男女が一緒に帰るというのは、付き合っている男女の特権のようなものになっていた。だから、一緒に帰っている黒田と塔子も付き合っているのだろうというのが友人たちの主張で、実際はそんなことは(感情すらも)なかった。だから、その日から黒田は塔子と一緒に帰るのを止めた。だから。あの頃の、黒田の塔子に対する行動にはいつだってこのだからという、自分の本意ではないのだけれどという言い訳めいた言葉が着いて回っていた。


高校生になって、同じ部活に入って、一緒にいることをとやかく言われなくなって中学時代の全てが帳消しになった心積もりでいるのは勿論黒田にばかり都合のいいことだ。黒田のその場その場で良い顔をしたがる軽薄さのせいで傷付いて来たのはいつだって塔子なのだから。薬も何も差し出さないで、彼女なら自分に何をされても許してくれるという自惚れは、彼の責任転嫁の捌け口である中学時代を飛び越えて、もっと幼い頃からの、それこそいつの話をしているんだと呆れてしまうような時代の記憶からやってくる。
 けれど頭の中で、比較的冷静な自分が囁く声も黒田にはちゃんと聞こえているのだ。
 ――お前、そんなに塔子に懐深く受け入れて貰えるほどのことしてきたか?


 泣いている塔子を見るのは、随分と久しぶりだった。中学時代に、男同士の付き合いを優先することを決めて塔子を何度も何度も突き放した時に、たしか何度か彼女が泣いているのを見た。その時は、黒田に――或いは誰にも――見られたくなかったのか俯きながら、どこか一人になれる場所に駆けていく彼女の(それすらも鈍くさく黒田には映っていた)表情はよく見えなかった。見えなかったけれど、泣いているのはわかっていた。けれど自分にはどうすることもできないことも、黒田はまたしても他人を言い訳に確信していたのである。だから、追い駆けなかった。

「ユキはいつもそうだね」

 気まずい沈黙から逃げ出す為の回想を、黒田は自分から打ち切ることはできなかった。塔子の瞳は、涙に濡れている。言葉一つ、黒田は怯んで足を一歩引いてしまった。「あ、」と自分でも迂闊な声が漏れて、塔子は泣きながら笑った。
 どうして。
 黒田は何度も問いかける。どうして、幼馴染というだけで周囲は自分と塔子の間に特別な感情があると決めてかかるのだろう。どうして、自分はその言い掛かりを声を荒げずに、誰も貶める言葉を用いずに交わすことが出来ないのだろう。どうして、自分の言葉は塔子をいちいち傷付けてしまうのだろう。そんなことを考えながら、彼女の「いつもそうだね」という言葉に籠められた感情が、怒りなのか、失望なのか、諦観なのかを黒田は見抜こうとする。これ以上の非難の言葉を浴びる覚悟を、黒田は数秒で整えなければならないのだ。

「ユキはいつも――、私のことほったらかそうとしたがるよね」
「――は?」
「好きとか、嫌いとか、邪魔とか、大切とか、そういう感情を私に向けて抱く前にさ、」
「…………」
「周囲の人に、からかいの対象にされてる自分が可哀想で、可哀想って惨めったらしいから耐えられないんでしょ」
「そんなことは――」
「ないとは言わせない」

 女の涙は武器になる。塔子の場合、泣きだすまで黒田への鬱憤を溜め込んで、爆発したが最後妙に腹が据わってしまってもうちょっとやそっとじゃ黒田のつっけんどんな言動に引き下がったりはしなくなる。そして黒田は、そんな塔子に退くことを許可されていない。

「ユキは本当に、自分が好きだよね」

 その言葉には悪意がないだろうか。黒田が問うよりも、塔子が既に答えを決めている。積み重ねてきた経験だけが現実として根拠に成り得る。本当は優しくしたいなんて願望は、今この場では役に立たない。

「――でも、」

 まだ、待ってくれと脳内で必死に叫ぶ。何の覚悟も、決まっていないのだから。
 塔子の言葉を聞いてしまったら、たぶん、自分たちは決定的な一歩を踏み出さなければならなくなる。そんな予感がしている。

「そんなユキが、私は好きだよ」

 けれど言葉に出さない懇願が聞き届けられるはずもなく、塔子は眉尻を下げて、それだけのことだけれどと言外に付け足すように、それでいて黒田に聞こえなかったという言い訳は許さないように、言い切った。
 そしてそれは黒田にとっては予感した通りの決定的な一歩だったけれど、塔子にとってはただ口に出したのが今更であるというだけの、もうずっと長いこと彼女の傍に在り続けた、当たり前になってしまった気持ちに過ぎなかった。大切にしたいと願いながら、よりにもよって黒田によってばかり傷付けられてきた、恋心だった。

「――どうして」

 また、言い訳が浮かぶ。どうして、自分なんかを好きなのだ。どうして、それを言葉にしてしまうのだ。

「理由がいるの?」

 塔子の言葉は、黒田の及び腰を見事に払った。理由などいらないのだろう。好意が理由になって、人は誰かと向き合うのだから。

「ねえ、ユキ。私、言っちゃったから、もう退かないよ」

 塔子に挑むようなことを言われるのは初めてかもしれない。勉強では勝てなかったけれど、自分の得意分野で負けていなければそれでいいと、それを都合のいい世界の全てのように捉えてきた黒田は、たぶん今回は勝てないだろうなと早々に見切りをつけている。そうして突きつけられた結果を、自分にとっては意味がないからと拒絶して、無いように振舞って自分のプライドを守る術もないであろうことも想像がついていた。
 たぶん、結局は。黒田の都合のいい場所に塔子は降ってくる。勘繰られたくなくて、からかわれたくなくて、自分の特別を他人に決めつけられてその情報を共有されたくなくて身勝手に傷付けてきた塔子が、それでも何回も同じ失態を繰り返すまで不用意な距離感に存在していること自体、見え透いた結果の表れだった。
 だからそう、黒田に必要なのは勇気だけなのだ。たった一言、「好き」という勇気。それもその内、塔子に頬を張られるでもして力技で引き出されそうな気がしている。そうでもされなければ動けない自分が情けなくもあるのだけれど。
 他人に神経を使わずに生きてきた黒田には、ただの幼馴染とばかり思ってきた――或いは思おうとしてきた――塔子を好きだと認めることだけで、大した進歩なのであった。
 勿論、そんな主張が認められるはずもないのだけれど。取りあえず今日は、泣かせてしまったお詫びにたこ焼きを奢ることで手を打っていただきたい。
 黒田雪成と泉田塔子は付き合っていない、ただの幼馴染であった――――まだ。


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Title by『3gramme.』





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