きらきら光って落ちる粒の全てがキャンディみたいに甘くて掴める物だったのならば面白かったのに。幼い願望と妄想は入り混じって、陽の光を受け輝いて散っていく水飛沫が最近では気温の冷たさに触れることを億劫にさせる憂鬱に変化していくことを篠岡は少し残念に思う。真夏の日差しが容赦なく降り注いでいた頃は、少しでも涼を求める心を満たす貴重なシャワーだった。グラウンドへの放水を澄ませてジャグの準備とおにぎりの準備それぞれの算段を付けながらホースを仕舞う。冬は高校球児にとって貴重なレベルアップに力を注ぐ重要な時期だけれど、それでも篠岡は夏の何もかもが差し迫ってくる感覚の方が好きだと思う。めまぐるしい日々は季節を変えてもあっという間に過ぎ去ってしまうけれど、それでも。
 放課後、部活に向かう篠岡の口の中に放り込まれた飴は大玉で、放った友人曰く最後の一つだから味わって舐めてくれとのこと。ならば自分で舐めればいいのにともごもごと口を動かして伝える篠岡に、それは昼休みに友人皆に配っていたのに篠岡だけが不在で渡せなかった分なのだと説明された。昼休みの度にグラウンドの草むしりへと向かう篠岡は、友人間では既に馴染んだものと定着していて讃える者もいれば呆れる者もいて、不思議そうに応援してくれる者もいた。誰も彼もが自分だったら無理だと口を揃え、不平不満を述べるでもなく、自分が立つ訳でもないグラウンドをひとり黙々と草をむしり整える篠岡のことを褒めているようで理解できないと思われている様だった。
 これから冬が来れば草むしりの頻度も毎日とまでは行かなくなるかもしれない。味わって舐めてとの一言を友人の声で再生しながら篠岡は小さくなったそれを噛み砕いてしまった。そろそろ部活が始まるのだから、飴なんて舐めていられない。グラウンドに集合する選手たちも、監督も篠岡も練習着に長袖を着るようになって、ああ季節が変わるのだと感じる。夏から秋へ、秋から冬へ。明確に一本線を引くことは叶わずそれでもいつの間にか変化に対応し時間に逆らうことなく流れていく人。その、生まれてから何度も繰り返してきたはずの移ろいを今更になって物寂しいと感じるのは、アンニュイに囚われているからなのか。掛け声と共にランニングを始める選手たちは昨日も明日も同じように掲げた全国制覇の目標に向かって研磨し合っていくだけだというのに。口の中に広がり続ける飴玉の味がやけに甘ったるく引っかかる。数学準備室まで飲み物を用意しに行ったときにうがいでもして濯ごうと、それまでは気にしないのが一番だと作業に取り掛かる。広がる味は飲料として摂取するよりも濃いソーダで、篠岡はやはり夏が恋しくなる。


 十分間の休憩の際、田島が唐突に自宅の方に走り去っていくのを部員たちは珍しくもないことだと見送った。差し入れやらを持ち帰ってくることもあれば単に見かけた祖父母への声掛けが目的だったりもする。弟分扱いの三橋を振り回したり、休憩終了時間が迫れば花井に呼び戻され泉には実力行使で連れ戻される。だから篠岡も休憩の宣言と同時に走り出した田島の行先を視線で見抜いた後は彼を追うことはしなかった。米を研ぐためにグラウンドを離れる。少し前にうがいで濯いだ口の中は既にソーダの名残を消していて、今はただ米を研ぐための水に触れる手が冷たかった。指がかじかんで動かなくなる前に研ぎ終えてしまおうと気合いを入れて臨んだ瞬間、背後から大声で自分を呼ぶ声が響き驚きで停止する。こういう心臓に悪い呼び方をする人物の心当たりは、篠岡にはひとりしか存在しなかった。振り返れば満面の笑みと共に手を振り走り寄ってくる田島を見つけて、篠岡は苦笑を浮かべ出来るだけ大きな声で「何―?」と返した。声を大にする必要もなかったか、あっという間に田島は篠岡との距離を詰め終えて正面に辿り着く。

「田島君どうしたのー?そろそろ休憩終わるけど大丈夫?」
「わかってるからマッハで戻る!しのーか手出して!」
「手?」
「そう!違う逆、掌が上!」
「こう?」

 不思議そうに瞬きながらも田島の要求通り手を差し出す篠岡は優しい。自分が彼の意に添って満足させてやれば真面目に部活に戻ると知っているからそうする。これが見ず知らずの誰かだったら一体両の掌を差し出させてまさか物騒な物を乗せてくるのではないかと身構えたりもするのだろう。そもそもそんな事態は有り得ないのかもしれないが、田島が如何に自分に近しい場所にいるかを確認するためのもしもの話。悪戯少年のような無邪気さを残す田島だって、わざわざグラウンドから離れた篠岡を追ってまでふざけた真似はしないだろう。
 篠岡のいくつかの予想立てなんて気にもしない田島は、彼女の元へ駆け寄ってきた時から変わらず満面の笑みを浮かべたまま小さな二つの掌にこぼれんばかりの粒を降らした。透明な包みの下から覗く色とりどりのそれらが飴玉と気付くのに一拍の間を要し、理解しても篠岡は上手く言葉を発することが出来なかった。これまでも部員たちに家が近所という理由で食べ物を差し入れしてくれる回数は多かったが、一度にこんな沢山の物を受け取ったことはなかった。

「田島君、これ、おうちから持ってきたの?」
「おう!さっき休憩始まって即戻って取って来た!」

 途中見かけた田島の駆ける姿。それを思い出し、ああそうなのかと僅かばかりの納得。部活の休憩時間どころか今日中にも全て舐め終えることは出来ないであろう数の飴を与える理由の説明はして貰えるだろうか。無理ならば、改めて問い直さなければと篠岡が田島の次の言葉を待っている。すると田島は神妙な表情を作り篠岡の耳元に顔を寄せて呟いた。囁くというよりは、とりとめもないことを本人だけは大真面目に周囲から隠そうとしている子どもの真剣な遊びの類。

「――今日ってさ、ハロウィンなんだぞ」
「……へ?」
「俺も昼休みに隣のクラスの女子が話してるの廊下で聞いて気付いたんだけどさ、だけど俺そん時なあんも持ってなかったんだよ」
「…トリックオアトリートって言われなければ大丈夫だよ?」
「そうだけどさあ、楽しそうにしてるの見たら俺もやりたいなって思うじゃん、ゲンミツに!」

 同じ九組の面子にも同じ旨の発言をしたところ、三橋が食いついたのはハロウィンではなくお菓子の部分で、泉は女子が菓子を持ち寄って盛り上がるのは年がら年中のことだと真実を述べ、浜田は今月の所持金がピンチだからお菓子は貰えたら嬉しいけどあげる側には残念ながら回れないとせちがらいことを言う。むっとしたのでこの話はそこまでだった。それと同時に自宅に大量の飴があったことを思い出してしまったから、田島の思いつきはもう引き返すことを良しとしなかった。
 篠岡は、もしかしたら放課後わざわざ飴を口に放り込んでくれた友人も田島と同じ理由からだったのかもしれないと気付き、それが女同士の自分たちにはやはりイベント特有の盛り上がりもない日常茶飯事のひとつに埋没してしまっていたことを自覚する。カボチャに眼と鼻と口をくり抜くこともしない。篠岡に身近なものはジャックオーランタンではなく夕飯の食卓に並ぶカボチャの煮付けの方だ。
 それでも目の前できらきらと女の子と同じくらい大きな瞳を輝かせている田島に本音を言い聞かせることなど出来はしない。つい先ほど空に放物線を描きながら飛んだ水の滴の輝きを思い出す。夏にこそ最もきらめかしいものだと思ったそれと、田島の瞳に映る物は季節によって浮き沈みをすることはないのだろう。全国制覇を目指す以上、過ぎた夏に停滞することは有り得ないのだから。
 両手いっぱいの飴が、篠岡の前進を妨げる。早くお米を洗って炊いてしまわないと彼等のおにぎりが用意できないのだ。ジャージのポケットに分ければ収まるであろうそれらは量として結構な膨らみとなってしまうだろうから隙を見て通学鞄に移してしまうのが良いのだろう。楽しみ方は正攻法ではないけれど、ハロウィンという動機を持って篠岡にわざわざ届けてくれた物を突き返すつもりもない。頬笑んで礼を述べれば田島はやはり嬉しそうだった。

「でもごめんね、私田島君にあげられるお菓子持ってないよ」
「じゃあ悪戯する!」
「ええー?」
「しのーか、俺から飴貰ったって他の奴らに内緒な!」
「……?それが悪戯なの?秘密にすることが?」
「そう!ゲンミツに内緒だ!」
「どうして?」
「だってしのーかにあげた飴、もうないから」
「……えっとそれは――」

 この飴は自分にだけ寄越されたということなのか。尋ねるまでもなくそういうことなのだろう。悪戯が秘密の共有だなんて、これでは悪戯をされているのは篠岡ではなく他の部員たちである。わかっているのかいないのか。田島が他人に対して秘密事を持つよりは打ち明けて驚かせたい人種だから、これも悪戯になると思っているのかもしれない。
 トリックオアトリートなんて一言も発しない、けれどきっと田島がハロウィンをやりたいと言い出したそれが同じ意味合いを持っていた。それを断ったクラスメイトはお菓子は貰えないし悪戯だってされてしまうのだから散々だ。篠岡は、運が良かったのかハロウィンに参加したことになっているらしい。無意識だとしたって田島が篠岡を共犯者に選んだ意味なんてちっとも深く考えない。田島だからと根拠のない微笑ましさで事を住ませて男の子がいる仮装の必要もなく狼になるかもしれない可能性には気付けない。だってそれはやはり相手が田島だからということになっている。
 篠岡にわかっていることといえば、もう夏は過ぎて飴玉のソーダはくどく口内に残るということ。季節柄の物寂しさは田島を前にしては無意味に消し飛んで今日はもうハロウィンで、そんな理由で沢山の飴を降らせてくれた田島のことが篠岡は嫌いではないということ。そして急いで米を研いでしまわないとマネジの仕事が押してしまうということくらいだった。


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そんな季節
Title by『呪文』


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