「俺は一生野球するよ!」

 そう田島が話していたことを思い出す。相手はたしか三橋だっただろうか。毎月初めの練習に書き込む目標設定用紙の一番上、夢のような目標にも二番目の最低限の目標にも田島は死ぬまで野球をする気満々の目標を書き込んでいたから、篠岡は耳に入ってくる言葉を本気なんだなあと感心しながら聞き流していた。
 一生なんて括れるほど長い年月を生きてゴールに辿り着く直前に後ろを振り返るとき、自分たちは高校生の時に立てた目標を覚えているのだろうか。少なくとも篠岡にとって高校野球に携われている現在は人生で一番楽しい時期だけれど、この先待ち構えている出来事はどうだろうか。今より最良と後に語れるものだろうか。時折真面目に考えてみたりもするけれど、直ぐにマネージャーの仕事に追われて中途半端に終わってしまっていた。
 三年間なんてあっという間で、三年生として最後の夏を終えた篠岡の昼休みが草むしりに費やされなくなった頃、彼女と同じ三年生であるはずの田島は引退の二文字もどこ吹く風でグラウンドに姿を見せていた。彼に誘われて毎度何人かは三年生の姿があったけれど、その誰もが名目として後輩への指導、受験勉強の息抜きを掲げていた。しかし田島だけはいつだって野球をするためにそこにいた。だから篠岡は毎度田島は一生野球をするのだと心の中で確認し納得する。自分が毎月初めに回収していたボードに挟まれたプリント。そこに並んだ歪な文字を思い出しては彼等と野球をする日々が、野球をしていた日々という過去になってしまったことにひとり寂しさを募らせていた。
 田島とクラスの違う篠岡は引退以降彼と会う機会はめっきり少なくなっていた。それでも部活から離れてしまっては用事を拵えることも出来ずに会いに行くなんてことは出来ないし、そもそもそんなことをしてまで繋がりを維持しようと躍起になる関係でもなかった。選手とマネージャー。それだけなのにやけに田島のことを思い出すのは、やはり彼の輝きが一番に強烈だったからだろう。
 そんなことを考えながら、篠岡は図書室で勉強道具と受験先の資料やらを広げていた。部活動での成績がなかなかに優秀かつ個人の学業成績もそこそこのラインを保ち続けた為、進学先や他の生徒との競争率いかんでは推薦も狙えると担任との面談で言われたのが昨日のこと。いくつか候補を自分なりに絞ってみたものの決定にまで至っていないのが現状。大学にも野球部はあるが、マネージャーを続けるかどうかも決めていない。高校受験の時は必ず高校で野球部のマネージャーをやると勇んで受験したものの大学受験もそれで良いのかどうかもわからない。そんなないない尽くしの状況に篠岡が唸っていると、座っていた席の正面に誰かが腰を下ろす音がした。篠岡以外の生徒が殆どいない中わざわざそこに陣取るということは知り合いだろうと顔を上げれば、そこには図書室が全く似合わない田島の顔があり思わず硬直してしまった。
 田島は篠岡と目が合うとにかりと笑った。その笑顔は以前と全く変わっていなかったけれど、やはり図書室よりも青空の下で見た方が何倍も素敵に見えるのだなと頭の片隅で篠岡は思う。突然のことにぼけっとしている篠岡を置いて、田島は机に広げられたノートや資料を物色し始める。授業ノートを覗き込んだ田島は自分のものとは違い綺麗に纏められたそれにひどく感心している。それから、大学やら専門学校の資料に目を留める。目の前でわかりやすく視線を動かしたり止めたりしている田島を見ながら、そういえば彼の進路は聞いていないと思い出し、だけどどこにいたって彼は野球をしているのだろうから何処だって構わないと見切りをつける。

「しのーかは大学行くんでしょ!?」
「うーん、候補は絞ってるんだけどねー」
「俺知ってるとこ?」
「あはは、たぶん知らないと思うよ」

 今広げている資料は家庭の環境から介護系も考慮して選んだ学校ばかりだから、野球部の存在なんて全く加味して選んでいない。そうなれば田島が知っているとは思えなかった。案の定、手に取った資料の学校名を音読する田島の頭は徐々に傾いて表情は今にも頭上にはてなマークを浮かべそうなほどに戸惑っている。

「田島君はやっぱり野球部のある所でしょ?」
「当然!俺絶対神宮で優勝すんだ!」
「うん、田島君ならきっと出来るよ」
「――そう思う?」
「……?うん。だって田島君だもん」
「何だそれ!」

 もう私たちならと括ってはいけないこと。そしてそれを瞬時に自分の言葉に反映させられたことをこっそり自分で褒めてあげたい。無責任な応援かもしれないけれど、篠岡は田島なら大学でも大活躍するに違いないと信じている。そんな篠岡の返答に、田島はげらげらと笑っている。図書室だから静かにね、と注意しようとするも見渡せばいつの間にかこの室内にいるのは自分たちだけのようで、誰か来るまでは良いかと制止の言葉を先延ばしにした。

「篠岡は大学まだ決めてないんだ?」
「うん。田島君はもう決めたの?」
「ゲンミツに受かる!なあなあ、篠岡の大学こん中から俺が決めても良い?」
「へ!?」
「ここ!篠岡ここ受験して!」
「えええ!?」

 今度は田島ではなく篠岡が図書室に相応しくない声量で混乱の声を上げる。突然どうしたというのか、田島は篠岡が広げていた資料の一つを取って推してくる。先程までひとつも知っている大学名がない様子だったのにここに何があるというのか。気安く頷いて快諾する訳にもいかず取りあえず理由を尋ねれば田島は逆に「あれ、わかんないの?」と先程資料を見ていた時とは反対側に首を傾げた。

「俺、しのーかが好きだ!」
「……え」
「だから高校卒業しても篠岡と一緒にいたいわけ!」
「……え」
「そんでこの大学は俺が受ける大学とすっげー近い!」

 「だからお願いここ受けて!」と篠岡に資料をずいずい差し出してくる田島は言いたいことだけ言い切って、肝心な部分を落としたまま全く回収する気配を見せない。田島が自分のことを好きだったなんて篠岡からすれば予想外甚だしい告白であったにも関わらず彼は彼女からの返事を求める気配を一向に見せないどころか次の段階に進もうとしている。篠岡が田島のことを好きでなかったら大学の立地場所なんて気にするだけ無駄だというのに。
 だが篠岡も田島からの告白にひどく混乱してしまい上手く返事を纏めることが出来ない。そもそも最近会えずに寂しいとは思ったもののそれが恋愛感情かなんて考えたこともなかった。炎天下の下、昼休みグラウンドの草むしりをしていた時よりずっと顔が熱くなっているような気がする。これ以上は容量オーバーで爆発してしまいそうだ。兎に角、一度間を置いて色々と整理しなければ。今は二人きりという状況が急激に恥ずかしくなってしまい出来るならば即座に逃げ出したい。それは勿論、田島の告白が不快だったから何て理由ではない。田島の言葉と、差し出された資料に、思わず自分の未来を選択してしまいそうになった心の揺れを確かに認めてしまったから恥ずかしいのだ。だってそれは、自分が田島のことを好きだということになるのだから。
 だけど、足踏みをしてみたところで気付いてしまった真実はたったひとつ目の前に転がっているものだけ。ならば結局田島の差し出した選択肢が一番魅力的に思えてしまうのだろう。それはある意味当然のこと。

「た…田島君は、」
「ん?何?」
「私が田島君のこと好きかどうか聞かないの?」
「んー、聞きたいけどさ、別にどっちでも良いからさ!」
「どっちでも良い?」
「今はしのーかが俺のこと好きじゃなくてもこれから好きになって貰えば良い訳じゃん」
「ええー」
「でもしのーか俺のこと嫌いではないだろ?」
「…そだね、嫌いではないね」
「な!だから大丈夫だ!」

 一体何が大丈夫だというのだ。そんな篠岡の溜息にも似た気持ちを知る由もなく田島は相も変わらず田島のままだ。少し前まで寂しいなどと感じていた自分自身に呆れながら、篠岡は田島が未だに差出していた資料を受け取った。途端に顔を輝かせた田島に仕舞うだけだよと釘をさす。そのことで今度は頬を膨らませてしまった彼に苦笑しながら、帰ったらお母さんにも相談してみるねと精一杯の飴をやる。その言葉でまた直ぐに顔を輝かせる田島を見つめて、篠岡はどうせなら彼と同じ大学に行ってまた野球部のマネージャーをするのも楽しいかもと考えてしまう。
 ――ああでもこれじゃあ好きっていうタイミング見失っちゃったなあ。
 そんなことを思う篠岡の前で、田島は「しのーかの母ちゃん俺がゲンミツに説得する!」などと勇んでいる。相変わらずの誤用に、そのままでは近所の大学に通う以前に田島の方は進学すら危ういのではと不安に駆られる。だけどそれも仕方のないことだ。だって田島は一生野球をするのだから。だからそれ以外の部分は誰かがフォローしてあげなくてはいけないのかもしれない。そしてその誰かが自分か、他の誰かになるかの瀬戸際が今であるならば、篠岡が選ぶ選択肢はやはりひとつしかないのだ。一生野球をする田島の傍に、自分も一生寄り添うなんてこと、この時の篠岡はまだ知らないのだけれど。
 そしてこれは、これから先同じ大学に進んで同じ家に住んで同じ苗字を名乗ることになる二人が、同じ高校に通っていた頃のお話。



―――――――――――

20万打企画/真っ赤な春様リクエスト

あなたの言葉には対価がある
Title by『ダボスへ』



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -