高校一年目、数日にして同じクラスの部活仲間を、普段行動を共にする友人と定めてしまうと思いの外交友関係は広がらなかった。女子ではないから、そんな括りに拘る必要もなく、トイレだとか呼び出し等理由があれば直ぐ近くにいる人間と行動してみたりもするけれど、きっかけになるのは大抵知り合いの知り合いといった具合に栄口が積極的に意図を持って近付いて行ったりということはなかった。人付き合いが悪い訳ではないから、クラスの中で浮いたりということもなく、集団の中には上手く馴染んでいる。部活を優先して学校行事を疎かにしてしまっていることもあるから、きっと快く思っていない人間もいるのだろうけれど、それは野球部という集団への感情であって、栄口勇人という個人を敵視しているものとはまた違うからと、さして気にも留めていない。
 高校二年目に突入してもまた同じクラスに野球部の面子がいた為に他人との付き合い方に変化が生まれることもなく。しかし前年それなりに交友のあったクラスメイトと離れれば他のクラスに友人がいるということにもなるのだろう。時間が経てば見知った顔が増えるとは自然なことだ。去年の夏に一年生のみの創部一年目である野球部が、前年甲子園出場の強豪校を破って以降地味に売れた顔は栄口の知らない人間側にも染み込んでいたようで。新年度のクラス替えをしたその日に何度も挨拶のあとに栄口を指す語として添えられた「野球部」の一言に、彼は便利なものだとしみじみ感じ入っている。
 そんなことをつい振り返ってしまったのは、朝練を終えて下駄箱から上履きを取り出そうとした瞬間だった。余裕を持って部室を出てきて良かったと思う。これで予鈴ぎりぎりだったら、遅刻していたから考える間もなくそのきっかけを落とすか泥の付いた靴底で踏んづけていたかもしれないから。
 普段は存在しない手に触れた物を目で確認することはせずに取り出せば桃色の封筒。宛名として書かれた自分の名前を見て、差出人は書いてあるかと確認した裏面にはきちんと自分の物ではない名前がある。書かれていたのは聞き覚えのない女の子の名前。下駄箱の中に手紙とくれば当然中身を読まずともそれが何かの察しはつけられるもので。野球漬けの毎日を送っていても、否送っているからこそこうした野球とは違った青春くさい出来事にあっさりと栄口の心はときめいたりする。これが阿部だったら下駄箱にこんなもの入れるなよと若干キレ気味で手紙を放り捨てていただろう。あれは他人のときめきなど全く解さない男だ。しかしいくら栄口の心がときめいていたとしてもその間時計が止まってくれるわけもなく、さっさと教室に行かなければ遅刻になってしまうことを思い出した彼は慌てて手紙を鞄にしまうと折角部室を早めに出た余裕を無駄にして教室まで走った。
 結局、栄口が手紙の中身を確認したのは二限目が終わった後の休み時間だった。次の授業の担当教師はチャイムが鳴ってから職員室を出るので授業開始が遅いのだ。だから少しくらい大丈夫だろうと、手紙を持って面倒事を避ける為に自分の教室からは離れた場所にある男子トイレの個室に籠って数分。中身はやはりというか、栄口に宛てての恋文だった。慣れない好意の言葉が羅列された紙面を辿りながら、顔も認識できない相手だというのに顔が熱くなってしまう。それでもやはり、この気持ちに応えることは出来ないのだと、栄口の答えは封を切る前から決まっているのだ。
 そう心で割り切ってしまうと、未だ最後までなぞれない文面を喜びよりも申し訳なさが満たしていく。書き添えられた連絡先には、果たして答えが相手の意に叶わないものであったとしても何か言葉を発信するべきなのだろうか。迷って、それでも文面の一番末尾、連絡先よりも後に書かれた一文に、栄口の視線は止まる。

『お誕生日、おめでとうございます』

 思わず声に漏らして、栄口はきょとんと瞬く。確かに今日は栄口の誕生日で。昨晩は日付を跨ぐと同時におめでとうと電話やらメールを貰ったものだ。朝練がきつくなるから無理と言っていた部員達がそんなことをしてくれるものだから、思わず感動してしまったものだ。そんな、もう祝ってくれる人には祝いきってもらったと思っていた彼の誕生日を、まさかこんな形で祝われるとは思わなかった。感謝するよりも、知っている人もいるのだと以外に感じる。少なくとも高校に入ってから自分の誕生日を、声を大にして言い触らしたことはなかったから。
 この一文だけは素直に喜ぶべきなのだろうか。それは逆に現金だろうかと悩む間もなく、そろそろ授業だと教室に戻る為にトイレを出た。案外恋文をじっくり読み込む時間は取れないものだと栄口は本日初めて知った。別にそれほど心を傾けているわけではない。だって答えは決まっているのだから。それでも他人の気持ちの塊を自分の懐に忍ばせたままというのはどうにも落ち着かないと、溜息を吐きながら廊下を進む。もし野球部の誰かが隣を歩いていたのならば、トイレに行きたいのかと気遣われそうな顔をしながら。

「――栄口君、」
「へ?」

 悶々と歩を進めていた栄口を後ろから引っ張るように呼び止めた声に立ち止まり、振り返る。本当は呼び止められた瞬間相手が誰かなんてわかっていたのだけれど、このタイミングで彼女と出会うのは想定外であったから、念の為と心に保険をかけて気付かないふりをした。そんな保険は、直ぐに意味をなくすのだが。

「友井さん、」
「おはよう、珍しいね、栄口君がこっちの方までくるの」
「え?――ああ、うんちょっと…」
「――?……あ」

 予想通り、栄口の後ろにいたのは友井紋乃だった。人物は予想通りだったのだけれど、彼女の放った言葉が予想外で、かつ触れて欲しくない部分でもあったので栄口の応答は歯切れが悪いものとなる。今年もクラスがだいぶ離れている二人が廊下で偶然顔を合わせる回数はそう多くないので、こんな機会は喜ぶ以外にないものだというのに。実は恋文を貰って、自分の教室に近いトイレじゃ落ち着かないし誰かに見られたら面倒なのであまり知り合いがいない場所のトイレに籠っていた帰りなんだと正直に打ち明けるわけにもいかず。職員室や自販機といった言い訳の定番を持ち出すには現在地が悪い。
 そんな栄口の葛藤など知る由もない紋乃は、彼がトイレから手にしたままだった封筒に気付いてしまう。それが白い変哲もないものだったら、もしかしたら違うかもと希望を持って見なかったことにすることも出来たのだけれど。生憎その封筒が桃色で、目に入ってしまった「栄口勇人様」の文字が女の子らしい丸文字だった所為もあって彼女はあっさりと正解に辿り着いてしまう。勿論栄口がこの手紙を読むためにトイレに行った帰りだとは正確に予測できずに、単に恋文を受け取っただけか、もしくは同時に告白もされたか。にこやかに話しかけてくれた紋乃の顔が一瞬で強張るのを、栄口は見逃さなかった。

「……友井さん?」
「えっと、栄口君それ…ラブレター?」
「へっ、うわ!いや、あのこれは違くて!」
「違うの?」
「…違わないです」

 隠そうとした事態をあっさりと看破されて、栄口は気恥ずかしさと気まずさで力なく項垂れた。紋乃も紋乃で、尋ねてみたものの教えて貰ってどうするというのだという風に困った顔をしている。子細を話すほど込み入った状況でもなく、単に自分が返事をするかしないかの問題で、相談する必要もなく答えは決まっている。それに、他人の真剣な想いを話の種にするのは栄口の中でやってはいけないことだとしっかり認識されている為、猶更話題が見つからないのだ。
 紋乃は、栄口が気恥ずかしさでうっすらと染めた頬と、どう場を切り抜けようかと悩んでいる間の凌ぎとして浮かべた微笑を悪い方に捉え始めていた。栄口は、この恋文に喜んでいて、つまりその差出人の気持ちに応えようと考えているに違いない、と。そう思い始めると、先程強張ったばかりの紋乃の表情はどんどん悲壮なものに変わっていく。そして、それに気付いた栄口が慌てたように自分の名前を呼ぶまで、彼女は自分が今にも泣きそうな顔をしているとは気付けなかった。

「友井さん!?どうしたの!?」
「……栄口君」
「うん?」
「お誕生日おめでとう…」
「え」

 本当は、もっと笑って伝えたい言葉だったのだけれど。今日はもう、この場を逃したら伝えられない気がするのだ。何より、紋乃の心が笑って栄口に話し掛けるなんて到底無理だという時点に折れかけている。だって、好きな人の誕生日に、好きな人が恋文を貰って嬉しそうに笑っている姿を見てしまったのだから。
 そんな紋乃の勘違いを知らない栄口は、悲壮真っ只中な顔をした彼女の唐突な祝いの言葉をどう受け止めたらいいものかと悩んでいる。いやいやなのか、言葉は言葉通りで良いのか、だけども自分の誕生日を知っていてくれたことを喜びたいとか。

「えっと、ありがとう…。俺の誕生日知ってたんだ?」
「千代に聞いてて…それでおめでとうって言いたいなあって思ってて…」
「そっかあ…」
「でも呼び止めてごめんね、その手紙の返事しに行く所だったかな?」
「いや、違うよ!?それにこれはその…お断りするつもりだから…」

 あんまり他の人に知られたくなかったんだと苦笑する栄口に、紋乃はぽかんと口を開けて「そうなの?」と固まってしまった。一瞬とはいえ完全な勘違いで沈みきった心地のままで伝えてしまったお祝いがあまりに言葉の内容と表情が噛み合っていなかったことが悔やまれる。

「栄口君!」
「うわ、はい?」
「お誕生日おめでとう!」
「ん?うん、ありがとう…」
「今日中に言えて良かったあ…」

 泣きそうな顔から一転、安堵の表情で笑う綾乃に栄口は再度礼を述べる。彼女の感情の落差の理由はわからないけれど、誕生日当日という期間に拘って告げてくれたこと、そのことを彼女自身喜んでいることは、栄口にとっても幸いと噛み締めて良いことなのだろう。無意味と知りながらも紋乃の視界から消す様に背に隠した恋文への罪悪感は多少あっても栄口の良心を絞めるほどの存在感は今やなく。だけど、お断りはうやむやにせずきちんとしようと思う。目の前でおめでとうと言祝いでくれた少女に向かう気持ちを自覚してしまえば、相手にもしもを期待させるだけ無駄というものだから。
 とっくに授業開始のチャイムが鳴ってしまっていることを、栄口と綾乃はもう暫くは気付けない風で笑い合っている。


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Happy Birthday!! 6/8

手紙にだって日記にだって書けない
Title by『ダボスへ』




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