久し振りという程の間もなく、だけど同じ学校に通い同じ部活に属していたにも関わらず数日ぶりに見る篠岡の姿が、阿部には運動部とは無縁の女の子の様に映って、咄嗟に声を掛けるのを躊躇ってしまうほどだった。
 高校生活三度目の夏が終わって、秋が過ぎて冬が来た。当然部活の方は引退していて、阿部や田島などこの先も野球を続けて行く人間だけが未だに部活に顔を出しているのが現状で、マネージャーであった篠岡は最近めっきり顔を出していないと後輩たちも寂しそうにぼやいていたのを知っている。一年の時は同じだったクラスも進学と同時に分かれてしまったので、本当に用事がなければ会話すらしない程阿部と篠岡の距離は開ききっていた。
 こうして部活を離れて毎日何気なく視界によぎっていた姿を失うまで、阿部は篠岡というひとりの少女について思うことなどこれといってなかった。選手とマネージャーという距離はとても適切で、それ以上もそれ以下もなく二人を仲間という枠に括っていた。そしてそれが高校にいる間は続くものと、阿部は思い込んで疑わなかった。中学の時に学校の部活動ではなくシニアの野球チームに所属していた所為か、狭い付き合いの中での上手い距離の取り方がいまいち分からない。あの頃は、同じ中学の人間が仲間にいる方が稀だった。だから付き合いを継続させようと思えば当然自分から連絡を取ろうとしなければいけないと阿部自身理解していた。だけど、この西浦という枠の中で共に過ごした面子は、連絡を取り合うには近過ぎて、未だに廊下ですれ違うたびに会話を交わすし放課後だってその場で声を掛ければ予定が無ければあっさりと寄り道を決め込んでいる。そういうものだと、阿部は知ったつもりでいて、それ以外はないと思っていたのだが。どうやらそれは男同士の付き合いに限定されてしまうらしいと最近になって気付き始めた。

「今度野球部三年で飯食いに行こうぜ!」

 そんな異議の唱え辛い提案をしたのは、確か田島だったように思う。真っ先にそれいいねと喰いついたのは水谷だったか。誰も異を唱えなかったように、阿部だって別に構わなかった。篠岡への連絡を任されるまでは。何故自分に、と噛みつけば何故嫌がるのだと問われそうで黙るしかなかった。ただメールで予定してる日付に彼女に先約が無いかを聞いて、都合がよければ指定した時間と集合場所に来てくれれば良いからと送信するだけでいいのだ。夏以降、全く会話らしい会話に興じていない相手にメールを送ることを気後れする自分がいることに、阿部はその時初めて気が付いた。
 一年の春には部活内の連絡の為に部員全員が互いのメアドを登録していた。それでも実際の連絡事項は監督から部長へ、部長から部員へ一斉送信といった具合だったから、中には私事で一切連絡を取り合わない人間もいただろう。だって毎日顔を合わせていたのだ。よほど急を要することでなければメールも電話も必要ない。そんなもっともな理由で、阿部は三年間に渡って篠岡とメールのやり取りというものを数回しかしたことがないように振り返る。いつぞやの大会の初戦相手のデータを明日までに纏めて貰えるかといった、結局野球と部活からは離れられていない、そんなやりとりばかりだった。
 メールを送る指を止めてしまった気後れはなかなか阿部の中から払拭されることはなかった。ならば、学校で話しかけて伝えた方が的確かもしれないと思い、クラスまで行こうかと歩いていた廊下の途中、阿部は篠岡を見つけたのだ。髪を結わず、それでももう動きの邪魔になることはないからと夏の最後の記憶よりも伸ばされた髪が、友人と話しながら篠岡が笑う度にふわりと踊っている。化粧気は相変わらずないけれど、カーディガンの袖にひっこんでしまっている手や、首元にあるリボン、平均的な丈のスカートから伸びる脚を覆っている黒いタイツだとか、阿部の目に映る彼女を装飾しているもの全てが女の子特有のもので何故か怯んでしまう。まるで大人しいだけの女の子みたいで、豪快に米を研いだりおにぎりを作ったりドリンクを用意する為に自転車を漕いでいたイメージが一瞬で崩れ去ってしまいそうだった。だから、躊躇ってしまった自分を慌てて叱咤して彼女を呼び留めた。これ以上離れたら、もう追えないと、大袈裟なまでに阿部の中の何かが訴えていた。

「篠岡!」
「……阿部君?」

 突然の呼びとめに、その相手に、篠岡は驚いたように何度か瞬いて、それから一緒にいた友人に先に教室に戻っていてくれと人払いをした。それは、きっと阿部への配慮だったのだろう。もしかしたら、阿部の遠慮のない視線に晒されて気分を害することのないよう、友人への配慮だったかもしれない。どちらにせよ、一対一になったことで阿部も気が散ることなく彼女へと向かい合うことが出来るのだ。部外者がいると、口を挟んできやしないかとどうにも落ち着かない。そしてその意を汲みとれる篠岡は、どこまでも阿部とは野球部のマネージャーとして接しようとしている。それ以外の在り方などどこにもないと知っているかのように。

「今度野球部で飯食いに行かねって話しになったんだけどさ」
「へえ、なんかそういうの久し振りだね」
「おお、そんで篠岡の都合どうかなって思ったんだけど」
「…行っていいの?」
「は?」
「いや、だって私ただのマネージャーだし…男の子同士で集まった方が良くない?」
「関係ねーだろ。男同士の集まりじゃなくて、野球部の集まりなんだし。……篠岡が女一人は嫌だってんなら仕方ないけど」
「ううん、行く。みんなで勢揃いとかほんとに久し振りだもん」
「ん、じゃあ後でメールするわ」
「ありがとう、待ってるね」

 滞りなく進む業務連絡は阿部にとっては予想外でもあり、まあこうなるだろうという部分もあった。野球部の話だと彼女の予想を肯定してやれば、そうすれば二人はもう野球部の選手とマネージャーだった頃に立ち返って淡々と会話をこなすだけ。後の行動に支障をきたさないよう、事前の準備は肝心なのだ。
 だけど、この会話の輪を解いて背を向けて歩きだした時、阿部はまたどうしようもない距離感を前にすることになる。今まで無条件にあった野球部という前提を、次はどうして用意できるのかが分からない。元来女子と頻繁かつ気軽に会話する人間でもないがここまで意識して会話しなければならないこともなかったのに。阿部は自分のことながらに首を捻る。彼の前にいる篠岡は、そんな阿部の様子を不思議そうに見上げている。その仕草に、阿部はまたこんなに彼女は小さかったけなどと思考を脇道に逸らしてしまう。そうして、篠岡を女の子という当たり前の元で扱い、話し、向き合ったことなどなかったのだと、自覚する。必要はなかったかもしれない。だけど失礼だったかもしれない。謝るようなことでもないけれど、阿部は野球以外に、仲間にすら無頓着だった数か月前の自分に何とも言えない落胆を覚えた。
 仲間として、性差も関係なく一緒にいた篠岡がいた。では、これからは。そう思うと、阿部はまた彼女に感じた女の子らしさという違和感が一瞬の恐怖にもなって舞い戻ってくるのを感じる。きっともう、選手とマネージャーとしての気安さは手に入らない。それは一つの区切りを以て確かに終わってしまった関係なのだ。それ以外を、望むのならば。答えはもう、半分以上出掛かっている。感じた恐怖という違和感を、篠岡という女の子を形成するらしさだと受け入れしまえば良い。そして、それをするということはたった数か月前の輝きを過去と仕舞って、仲間という関係以外の繋がりを望んでいるということを認めるのと等しい。今更過ぎて、気恥ずかしさが邪魔をする。仲間だと割り切っていた相手にこんな葛藤を抱く申し訳なさもある。それでも、この先にあるかもしれない篠岡との繋がりを永遠に失って、ずっと高校時代の部活仲間に括られるよりはずっと価値のある決断だと思える。
 覚悟を決めて、阿部は篠岡の顔を正面から見据える。恥じらって目を逸らすこともしない彼女は、きっと阿部の忙しない思考回路の動きなど知る由もない。阿部の前にいる彼女は、まだ部活仲間だった頃の彼女のままだ。それでも、ただ一人阿部の瞳に映り込んでいるのは選手だとかマネージャーなんて立場は関係ない、ただの可愛らしい女の子だった。


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君のいない世界ほど価値のないものはない
Title by いづき様/15万打企画





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