※田島がプロ・同棲


 ホームでの試合に、数日前までの貧打が嘘のように打線が繋がり、チームは快勝。久しぶりに笑って試合終了を迎えた仲間を尻目に本日二本のホームランと総得点半分の打点を叩き出し、一番の活躍を見せた田島は観客席にまっしぐら。ファンからも頼れる四番と人気を得ている田島だから、ファンサービスと称して応援に対する礼でも述べに行ったのかもしれない。田島がバッターボックスに立った時のスタンドの熱気と来たら他の誰が打席を迎えるよりも凄まじいのだから。
 そんな風に、田島が駆ける姿を見送りながら、彼一人グラウンドに残しておく訳には行かないので、チームメイトも彼が戻ってくるのを待っている。顰蹙を買わないのが、もって生まれた田島の人柄というか、末っ子気質だと誰もが思う。だって、フェンスをよじ登るプロ選手なんて、田島でなければだいぶ素行不良に映るのに大概田島だからなあと誰も注意しないのだ。
 田島はフェンスの一番上に手を掛けて、ぐいっと上体を持ち上げて、何だ何だと観客の視線が集まる中、腹の底まで息を吸い込んで叫んだ。

「俺今日プロポーズすっからーー!ホームランボール持ってたら誰か返してくんねーー!?」

 まるで球場全体に響かんばかりの大声に、一瞬辺りが静まり返る。そして声量以上に内容が衝撃的で、次の瞬間には再び球場全体がわっと沸き立った。そして次々に頑張れよと激励の言葉が行き交い、気の早い祝福の言葉と結婚してもファンだからー!と若い女性からの歓声も聞かれた。誰が投げたのかは分からないが、ホームランボールが田島に向かって綺麗な放物線を描いて投げられる。それを左手でキャッチして、田島はひらりとフェンスから降りた。
 にかっと笑ってスタンドに向かい礼を言う。そしてベンチへ戻る途中に彼を待っていた仲間達が呆気に取られた顔で見ているので、また笑って今日はさっさと帰るからと宣言して、結局一番にロッカールームに引っ込んだのは田島だった。

「プロポーズにホームランボールって…打てなかったらどうしてたんだよ…」

 置き去りにされた中の誰かがポツリと呟いた疑問に、その場にいた全員が確かにと頷いた。しかし、こういう場面でこそ打つのが田島悠一郎なのだと、誰もが感嘆の息を吐いた。きっとこのプロポーズだって、田島なら大丈夫だろうと誰もが思っている。
 でも振り回されたなあと苦笑いをしながら、選手達もロッカールームへと引き上げていく。きっと、もう田島は着替えさえ済ませて帰路に着いていることだろう。



 ――今日は俺の試合見るの禁止な!ゲンミツに!
 球場に向かう田島が玄関先で、やけに真剣な顔をして言うものだから、篠岡は大人しく首を縦に振った。理由は勿論聞きたかったけれど、あまり引き留めていては田島が時間に遅れてしまう。篠岡が頷いたことを確認した田島はそのまま慌ただしくドアを開けて飛び出して行った。ドアは閉めていって欲しい。せめて、玄関だけでも。
 折角のテレビ中継なのに残念だけれど、ここは田島の要求を飲むことにした。でも、録画なら構わないだろうとリビングに戻れば何故かテレビの液晶にガムテープがバツ印に貼られていた。当然田島の仕業だろうが、全く気付かなかった。これは他の番組を見るのも難しい。きっとこれが剥がされていれば、田島は帰宅早々機嫌を損ねてしまうかもしれなかったし、意外な所で優れた観察眼を発揮する彼だから、一度剥がして貼り直してもその痕跡を見つけてしまうかもしれなかった。

「たぶんラジオとか携帯ニュースも駄目だよね」

 意図は掴めないけれど、田島はその意図がないことをやたらとする人間ではない。くだらなかったりすることは多いけれど、子どもみたいに何事にも全力な所が篠岡は好きだったから、余程無茶苦茶な要求をされない限りは田島のそれを聞き入れてしまう。高校時代の仲間は揃って甘過ぎると言うけれど、このままで良いのだ。過ぎる甘さを田島に与えるのが篠岡だけであるように、田島が過ぎる甘えを寄越すのもまた篠岡だけなのだから。
 田島が帰宅するまでの時間。テレビやネットといったマスメディアを封じられてしまった以上、普段より緩やかに流れていく時間をどう潰して行くか。篠岡は考えて、そして直ぐに夕飯を少しだけ豪勢にして、時間を掛けて料理をすることを決めた。そうと決まればと、篠岡はまだ独身で子育てをしている訳でもないのに着けっぱなしになっていたエプロンを外してリビングのソファに掛けて買い物に行く準備を始める。時間はあるのだし、今日は田島の好物でメニューを揃えてみても良いかもしれない。
 ――田島君なら、何を作っても美味しいって食べてくれるんだけどね。
 自然と緩む頬をそのままに、篠岡は田島とは違い静かに玄関の扉を開けて、そっと閉めた。


 「ただいまー!!」とたった一人の声と物音が賑やかに響く。この調子ならば試合は勝利してかつ個人の成績も良かったのだろう。おかえりと唱えながら玄関まで出迎えようとすればバタバタと足音が近付いてきて、開けようとしたリビングと玄関までの廊下を繋ぐ扉が篠岡の手が触れる前に勢いよく開いた。

「俺今日二ホーマーで四打点だった!」
「わあ!凄いね田島君!」
「これホームランボールな!しのーかにやる!」
「え…ありがとー。ファンの人が返してくれたの?」

 ホームランボールを持ち帰って来るなんて、プロになってから初めてホームランを打った日以来だ。そのボールは今でも田島の部屋に飾ってあるので、篠岡が田島からお土産と称して記念ボールを貰うこと自体初めてのことだった。観戦禁止令といい、今日は何か特別な日だったのだろうか。
 篠岡は田島から受け取ったボールを手に不思議そうに首を傾げる。

「結婚しよ!」
「……へ、」

 軽いキャッチボール並みのテンポで投げ掛けられた言葉に、篠岡の動きが止まる。しかし身体が硬直すればその分思考はオーバーヒート寸前まで加速する。田島の「だーかーらー」と篠岡の叫声が重なって。流石の田島も驚いて目を瞬かせた。防音性に優れている部屋で良かった。

「けけけ結婚!?」
「そ、やだ?」
「や、やじゃないよ!でもどうしよう私何も準備してない!」
「準備って何?」
「…何だろう?」
「しのーか落ち着けー」

 ゲラゲラと声を上げて笑いながら田島はテーブルの上に用意された夕食に気付いたらしく感嘆の声を漏らした。「俺の好物ばっかじゃーん!」と料理に向かってしまった田島に漸く篠岡もはっとして手の中にあるボールをじっと見た。
 これはもしかしなくともプロポーズで、このボールは婚約指輪のつもりなのだろうか。だとしたら何とも田島らしくて微笑ましい。指輪を渡すなんて、決まりきった型やお堅い雰囲気は苦手なのだ。篠岡も、着飾るアイテムよりも野球や田島に近しい物を与えられたら方が嬉しかった。指輪でもボールでも、そこに込められた気持ちが同じなら、差などあるはずもない。結局、お互いがいつまでも野球馬鹿の部分が抜けなくて、こんな子どもの飯事みたいなやり取りが愛しいまま大人になった。
 人生の節目になるやもしれないプロポーズの最中に、相手の返事を受け取る前に夕飯を摘み食いしている田島が、学生の頃から変わらず眩しい。これは永遠に近い、篠岡だけに掛けられたら魔法なのだ。田島が恋しくて愛しくて堪らない病にも近い魔法。だからプロポーズの返事だって最初から一つしかないに決まっている。

「しのーかは、俺に幸せにされるって、心の準備だけしとけばいーよ」

 口の端にエビフライの衣かすを着けたまま、とびっきりの口説き文句を放った田島に、とびっきり幸せにされようと決意しながら、篠岡は田島の腕に抱き付いた。
 翌朝、新聞のスポーツ欄に小さく『田島がホームランボールを手にプロポーズ宣言!』と記事にされているのを見つけた。情報が広がるのが早すぎやしないかと不思議に思いながらも、この記事を読んで慌てて電話を掛けてきた母親に、篠岡は「私結婚します」とはっきり宣言したのだった。


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となりにあるべきよ
Title by『Largo』




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