※栄口目線


 栄口は、何を探しているわけでもなかったけれど、ぐるりと周囲を見渡した。そして、視界に映り込んだ一対の男女を認めて、探しているわけではなかったけれどもいたいた、と視線をそこで固定した。
 栄口の視線の先にいた人物。阿部と篠岡は、栄口が自分たちの方を見ていることには全く気付いていない様子で、教室の窓縁に寄りかかって会話に興じているらしかった。興じているとはいっても阿部の口の動きからすると適当な相槌を打っているだけのように見える。篠岡も、阿部の方は見ないようにして、必死に口を動かしていた。緊張しているのか、頬は紅潮して、指先は所在なさげに何度もスカートのプリーツをいじっている。
 ――いじらしくしちゃってまあ、
 栄口の客観的な感想は、野球部という輪の中に於いては若干の偏りを含んだ個人の主観に成り下がる。よそよそしく映る阿部と篠岡が、実はお互いの気持ちを確認し合った上でお付き合いをしている恋人同士だと知っているのは、野球部の面子だけだ。それ以外に、打ち明ける気がないのか、必要がないのか、二人は誰にも自分たちの関係の変化を報告していないようだった。
 尤も、阿部に野球部以外の知り合いなどそう多くないし、口数多く自分のことを誰かに喋る人間ではない。誰と付き合おうとも、阿部は誰にも報告などしなかっただろう。ただ、相手が篠岡だったから、せめて野球部にくらいは、どうせすぐ気付かれるのだから、と先手を打つ形として自分たちに打ち明けたのだろう。基本的に、阿部は野球以外では他人に無関心な人間だ。
 篠岡は、阿部とは違うタイプの人間だった。人当たりなんて特に、真逆ともいえる。女の子だから、部活以外の場でも部員と連んでいればいい男子とも違う。クラスに女子の友達だっているのだから、そういう話題になって、篠岡に話が振られることだってあるだろう。そういう話題とは、勿論、今の阿部と篠岡のような関係に憧れたり、つついたり僻んだり、何故か上から目線で他人の恋路を批評しあうもの。通称、恋バナである。
 栄口は、女子ではないが思春期なので。自分から積極的に話題を探し回ったりはしないけれど、耳に入ってくる下世話な話題を無視することもしない。いつでも最新版の情報を保有している女子には及ばないが、知っていることはそれなりに知っている。阿部と篠岡が付き合っているんじゃないか、そんな事実に基づく噂は、今のところちっとも出回っていないみたいだった。
 ――つまらないなあ、
 栄口は、自分がわりかし単純というか、純情というか、男女の付き合いを経験していないことから来る夢見がちな面があることを、なんとなく自覚している。
 付き合うって、もっと甘酸っぱかったり、ときめいたり、幸せそうな雰囲気を纏っているものじゃないのか。栄口の、個人的な偏見であり、また常識だった。阿部と篠岡のお付き合い報告を受けたあと、彼女に淡い恋心を抱いていた水谷を励まし続けたのは栄口だ。また阿部が野球のパートナーとして自分ではなく篠岡を選んだのではと弾け飛んだ発想に行き着いた三橋を連れ戻したのも栄口だ。
 あの二人が付き合いだしてから、面倒なことが己の身に降りかかっていることを、栄口はちゃっかり気付いている。ただ、面倒事と呼ぶのはあまりに人が悪い気がするし、突っぱねる非情さを持ち合わせない自分の気質も原因のひとつだろうから、栄口は文句を言おうとは全く思っていない。それでも、降りかかる事象に対して疲労は着実に積もり続けているわけで。幸せそうな様子のひとつでも見られれば、それで流してやれるかもとこっそり様子を窺って見れば、これだ。
 阿部が、他人に申し訳ないだとか、傷つけたくないなんて理由で相手を受け入れるなんてことはまずない。だからきっと、阿部は篠岡のことがちゃんと好きなはずなのだ。言動どころか顔にすら浮かばない好意は、生憎中学からの付き合いでもある栄口には見抜けないのだが。篠岡は、どうなのだろう。栄口と同じ、阿部とは中学時代からの付き合いだ。付き合いとはいっても二人の間に接点はなかった。少なくとも、阿部は篠岡が同じ中学だとは覚えていなかったのだから、阿部の篠岡への好意は高校に入ってから芽生えたものだろう。
 篠岡のマネージャーとしての働きぶりは申し分なく素晴らしい。栄口から見ても、誰から見てもきっとそうだろう。阿部だって文句などあるはずもない。
 栄口は、阿部は篠岡を野球を通してしか見ていないのだろうと思っている。クラスが一緒だとかそんなことは、阿部にとっては大したことじゃない。
 篠岡に恋をしていた水谷が、栄口に頼んでもいないのに聞かせてくれた彼女の普段のクラスでの様子を、阿部はきっと知らないだろう。使っている筆箱やシャープペンが可愛らしいとか、真面目なようでいて授業中つい居眠りしそうになるのを必死に堪えていることとか、友達と話しているときの笑顔が、自分たちの前で見せるものとは違って見える時があるだとか、そんなこと。
 何だか、これだけ列挙してみると自分が篠岡をじろじろ見ていたようで気持ち悪い。正直、失恋の痛手で懐かしそうに水谷がこの話をすらすらと言ってのけたとき、栄口は彼の隣で引いていた。だけど今は、好きならばそれくらい気付くのだと思っておく。
 阿部はあまり、篠岡のことを知らない。もっと言えば、女の子のことを知らないし、同年代と上手く付き合っていく方法も知らないのだろう。この野球馬鹿は。そして阿部と同じように野球馬鹿な篠岡は、馬鹿みたいに阿部が好きで仕方ないのだ。未だ緊張気味な表情に浮かぶのは、焦りや不安などでは決してない。
 阿部は、きっとこれから篠岡のことを沢山知っていく。ただの野球部の仲間では知り得ないこと。
 栄口は、お節介と知りながら、阿部が知るのが篠岡のことだけであればいいと思う。篠岡という女の子のことではなく、篠岡という同年代との上手な付き合い方でもない。篠岡というひとりの人間と向き合って、知っていって欲しいと思う。つまり、大袈裟なくらい、二人の幸せを願っているのだ。
 教室の窓際に並ぶ二人に、誰も話し掛ける気配はない。きっと、部活の相談でもしていると思われているのだろう。それほどに、二人について回る野球部のイメージは強固なものだ。

「……なーんだ、」

 野球部の副キャプテンとマネージャー。正しいフレームの外から二人を眺めているクラスメイトたちは、きっと気付かない。阿部が、一瞬だけ篠岡に優しく微笑んだこと。忙しなくスカートのプリーツを弄る彼女の指を握って、見えないように彼女と壁の間に持っていったこと。それが出来るくらい、二人の間が縮まっていたこと。
 誰も気付かないけれど、栄口だけは気付いていて、そのままその場を離れた。
 教室まで戻る廊下の途中。栄口の、甘酸っぱいなー、という呟きに何人かは首を傾げて彼を振り返ったけれど、誰もその言葉の意とすることはわからない。
 とりあえず、他人の恋路は知らんぷりをしながら見守ってやるのが一番だ。
――お似合いだねお二人さん。
 栄口は、一生伝えることのないであろう言葉を心の中で呟いた。


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見ないふり、優しい人
Title by『にやり』




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