『出迎えは出来ないわ。ジムへの挑戦者が近頃多いの。来るときは予め連絡を頂戴ね』

 画面越しのカスミの物言いはどこかよそよそしくて、サトシは「何か怒ってる?」と尋ねるようとしてそれでは藪蛇だからとっさに「夏だもんな」と言葉をすり替えた。サトシの中では、近頃ハナダジムへの挑戦者が多いことへ対応した言葉だったのだが、どうやらカスミには上手く伝わらなかったようだ。「はあ?」と、たった二文字で意味が分からないと伝えてくる見事な発音で、眉を吊り上げている。昔なら、ここでサトシの選択肢はカスミと同じように気色ばむか、怯むかのどちらかだった。他人の感情を紐解くのは苦手で、幼さの直情で突っ走るのはいつだってサトシの専売特許だったから。それでも、付き合ってきた時間の蓄積は、二人の間に距離を挟んでからの方がずっとその力を発揮してくれる。時間が経てばあっさりと忘れてしまう不機嫌を、次の会話では突かないようにするとか、そういういつも一緒にいる人間のようにカスミを扱っては逆効果だとか。反射的に呟く「ごめん」は誠意がないとかいう理由で受け入れられた例がないとか。たぶんこれは、カスミを女の子扱いしようとしているからこその思考回路なのだ。サトシはその始まりを、カスミと旅路を共にしていた頃からのことか、別れてしまってからのことか今一つはっきりとさせることができないでいる。
 様々な地方を渡り歩いては、色々な人やポケモンと出会いながらサトシの目的はぶれることなくポケモンマスターになる為にその地方のジムリーダーに挑んではバッジを得、ポケモンリーグに出場することを目指している。出会ったことないポケモンも、出掛けていない地方もきっとまだまだあるのだろう。それでも、サトシが帰る場所はやはりマサラタウンしかないのだ。
 一つの地方への挑戦を終え、区切りが良いからとマサラタウンに帰ってきたサトシは自室のベッドの上でこれからオーキド博士に見せにいかなければならないポケモン図鑑を手持無沙汰に見直している。カスミとのテレビ電話は、彼女の休憩時間が終わったことで慌ただしく打ち切られた。その刺々しさに、探るような対応をしなければならなかったサトシは、きっともっと腹を立ててもいいはずなのだ。久しぶりに帰って来たのに、もっと歓迎の意を示してくれてもいいじゃないかとか、そんな理由で。

「でも久しぶりだからなあ」

 久しぶりにしか帰ってこないから、今まで通話だけで繋がっていた相手がやっと直接会えるかもしれないという現実の質量にカスミは警戒してしまうのかもしれない。喜びとかいう期待は、浮かれればそれだけ叶わなかったときの失望が痛いのだ。サトシの脇腹にぴったりと沿うように身体を丸めて目を閉じていたピカチュウは、耳だけを動かして彼の言葉に応えてくれた。
 出迎えはできないから、来るときは連絡を入れてから。カスミが提示した要求を、何度も頭の中で繰り返す。その要求は、必ずしも応えなければいけないものではないような気がするから。例えば、サトシの帰る場所がこのマサラタウンである以上、母親は歓迎の準備の為に文句を言うかもしれないが、出迎えを期待せず、連絡も入れずに帰って来たとしてもそれは悪いことではないはずだ。連絡を入れた方がより良いというだけで。
 同じように――同じようにと言っていいのか、実はサトシには自信がないけれど――、サトシがカスミを訪ねていくことに、旧知の客人をもてなすような恭しい対応をして欲しいわけではないのだと、彼女はわかってくれないのだろうか。それならばそもそも、連絡を入れなくてもいいではないかと自分に尋ねるのだけれど、女の子はいきなり男の子が訪ねて行くことを快く思わないケースの方が多いと言うことを、サトシはカスミにだけ教わって、彼女に対してはその通りだと理解していたから連絡しないわけにはいかなかったのだ。
 現実と理想はちぐはぐで、それはサトシのせいではなくてカスミの機嫌ひとつでいくらでも変動しようのあることだった。だからやっぱり、サトシは彼女の気紛れに辟易して、腹を立てて、放り出してもいい筈なのだ。そんなことをする気力はないけれど。だってそうだろう、会いたいと思って帰って来たのに、またわざわざ離れていくなんてどんなエネルギーを持ってすればそんなことができるのかサトシには想像もつかない。
 それでも、空想に浪費するエネルギーよりも、思いつきと衝動で走り出すエネルギーの方が自分には備わっていることを、サトシは知っているのである。



だから、ハナダジムの扉を開けて――丁度挑戦者の波が引いた頃合いだった――、サトシが随分久しぶりに歩くプールサイドを滑らないように慎重に通り抜けてカスミの前に辿り着いたとき――彼女はとっくに時折転びそうになりながらその度に肩に乗ったピカチュウにたしなめられるように頬をつつかれているサトシの来訪に気付いていたし、黙殺することもせずぼんやりと視線を送りながら待っていてくれた――、カスミがあまり嬉しそうな顔をしていなかったとしても別段傷ついたりはしなかったし不満もなかった。怒鳴られなかっただけ上出来だと思ってしまうのは、自分でもいささか押しが弱いとは思うけれども。

「――来たの?」

 そう尋ねるカスミの声は、心細く響いた。「うん」と頷くと、「そうよね、目の前にいるんだもんね」と諦めたように笑った。やっぱり悪いことをしたのかもしれない。正確には間違いではないのだけれど、間が悪いことをしたという感じ。相手に気を遣わせてしまう類の失敗は、鈍感な振りをしていた方がずっと場の空気の回復は早い。元々根が鈍感なサトシのようなタイプであれば尚更のこと。ただ、困らせるとはわかっていたけれど困らせたかったわけではないことをわかって欲しかった。それは、ジムリーダーとしてこの街に腰を落ち着けたカスミには、自由に旅をしているサトシの気儘さだけを浮き彫りにさせるとしても。

「やっぱり、会いたいって思ったときに会いに来たくてさ」
「――それじゃあ、まるで会いに来たときしかそうは思って無いみたいに聞こえるわよ」
「うっ」
「こっちに帰ってきたときしか会えないんだから、変な言葉使おうとしなくていいの」
「変かな」
「変よ」

 小まめに連絡を入れなきゃいけないと思っていたり、会いにくることにそうしたいという欲求があるからと打ち明けたり、そういう、女の子を扱う為の術を一生懸命自分に対して働き掛けているサトシは変なのよ。
 カスミは肩を竦めて、また「変なの、」と言葉を締め括る。別にそこまで変じゃないだろうとサトシは思うのだけれど、結論を出している女性の意見を否定して掛かるのはまた厄介な方向に事を転がしてしまう恐れがあると知っている。これもやはり、カスミに対してのみだけれど。

「なあカスミ、怒ってる?」
「怒ってない。疲れてるの」
「俺に?」
「あんたの突拍子のなさと、夏だからって水ポケモンのジムに殺到するよわっちいトレーナーたちに」
「ああ、うん、でもさ――」
「何よ」
「俺の言葉の使い方が変でもさ、変じゃないと思うんだよな。俺がカスミを好きって、それだけのことなんだからさ」

 さらりと好意を言葉にして、サトシはカスミのいう夏だからが自分が電話で彼女の怒ったような言動を挿げ替えようとして選んだ言葉だった。なんだ、怒っていても――本人は怒ってないと言っているが――、きちんと彼女は耳を傾けてくれているではないか。
 満足げなサトシとは裏腹に、カスミはこの男の無神経な――或いは屈託のない――態度に眉を顰め気恥ずかしさと苛立ちと喜びを持て余している。会いたいときに会えたらどれだけ素敵だろう。けれどそれが叶わないことを悲劇だと嘆くつもりもないのだ。だから、来る前は連絡を入れろと言い聞かせているのだと、どうしてこの男に察することが出来るだろう。
 ――あんたと会う時間をしっかり確保するのにジムリーダーがしなきゃいけないことなんて、出来るだけ挑戦者を片しておく以外にないんだから。
 溜息を吐いて、肩を回す。今日はやけに挑戦者が多かった。次から次へと締め切らずに受け入れたからだけれど。ポケモンたちにも随分無茶をさせてしまった。これからジムを閉めて、ポケモンセンターに行かなければならない。勿論サトシはついてくるだろう。今日頑張った分、明日はジムを休みにしてもいいだろう。本日吹っ飛ばして早速のリベンジに燃えてやってくるかもしれないトレーナーには申し訳ないけれど。

「ねえ、泊まって行くわよね」
「いいの?」
「顔だけ見せて帰るつもりだったら逆に失礼だわって殴り飛ばしてるわよ」

 カスミの言葉に、サトシはここに落ち着いていいのだと判断したピカチュウが久しぶりに彼女の肩に飛び乗った。それを受け止めて、頬をくっつけ合いながら、カスミはようやく打ち解けた柔らかい笑みを見せた。
 それを見たサトシは、何だか急に肩の力が抜けてしまって、場違いだとはわかっていても言葉を漏らさずにはいられなかった。

「……ただいま」
「――だから言葉の使い方、変だってば」

 でもまあおかえり。そう返したカスミに、ピカチュウがまた甘えるように頬を押し付けた。
 明日はきっと、ずっと一緒に居られる。それだけで、今は十分に満ち足りていると、二人と一匹は確かに感じていた。


―――――――――――

60万打企画/カナタ様リクエスト

たくさんの年月がきっとこれからも僕たちを待っている
Title by『にやり』






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -