パソコンの隣に置いていたライブキャスターが振動した時、ベルは机に両肘をついてうとうとと微睡みの中にいた。だから、突然の振動に驚いて、腕の支えを解いてしまい、額を机にぶつけてしまった。前髪で緩和されることのない形の良いおでこを抑えながら、自然と湧く涙を堪えることなく、どこか恨めしい視線を向けながらライブキャスターが止まるのを待った。

 アララギ博士の助手となり、彼女の現地調査の際は護衛を務めるようになった。そしてデータ収集が終わりカノコタウンに戻ればそのデータの集計やパソコンへの入力といった事務仕事も手伝うようになった。距離も近いからと、一定のデータを自宅に持ち帰ることも許可されていて、昨晩ベルは夜通しを覚悟でパソコンに向かい合っていた。これなら研究所に残って作業した方が余計な手間を挟まないのにと思うのだが、寝食を研究所で行うと、父親からの迷惑を掛けていないだろうかという心配を増長させてしまうことを過去何回かの経験で学んでいたベルは、夕飯は出来るだけ家族と一緒に取るようにしたし睡眠もしっかり自宅で取っていた。夜更かしの出来ないお子様時代はもうとっくに卒業したつもりだったし、旅をしていた頃に頻度は多くないものの野宿だってしていたのだ。柔らかい布団にくるまれて十分な睡眠を摂取しなければ翌日の行動に支障をきたし職場の皆様に多大なご迷惑をおかけするなんて事態に即直結することにはならないと思うのだが。それでもベルは、データを持ち帰る手間と両親から向けられる心配という名の愛情を秤にかけることはしなかった。だって比べるまでもないことだから。

 ライブキャスターの振動が収まってからそれを手に取る。用件は通話ではなくメールで、サンヨウジムからだった。正確には、そこに隣接するカフェからのお知らせという件名になっている。尤も、彼等の店がこうした広告じみたメールを寄越したことはなかったので、結局はジムリーダーの三つ子からの私的なメールだ。本文を開けば、やはりベルの予想は当たっている。
 十月いっぱいまでカフェの方でハロウィーンに因んだ期間限定のスイーツを出しているから、都合がよければ是非遊びに来てくれとのこと。勿論、友人としてであって、お金のことは気にしないで良いよと気さくな語尾の一文が添えられていた。それはそれで、店に人を招く文句としては問題があるのだろうが、自分がそういう密な関係を結んでいる相手だと認められているのは素直に嬉しい。余所の街の人とこうして連絡を取り合う度、ベルは確かに自分もかつて世界を旅していたのだと実感する。それはモンスターボールの中の友だちを見れば一目瞭然の事実だけれど、常に自分の身近にいるわけではない人々が自分のことを知っているということは不思議で心地良かった。
 ライブキャスターを置いていた方とはパソコンを挟んで反対側に置いていた卓上カレンダー、その今月末尾に赤ペンで印をつける。特別忙しいというわけではないから、行こうと思えば確実に出掛けて行けるはずだ。カラクサタウンを間に直ぐ、日帰りだって簡単な距離。だから逆にいつでも大丈夫と先延ばしにしてしまうから、期日はきちんと覚えておく。折角誘ってくれたのだから、早めに行くのが礼儀としては好ましいのかもしれないが、それはこれからのアララギ博士の分配する仕事量にもよる。
 大きく欠伸をして、ベルは研究所へ向かう。昨晩仕事を終えて気が抜けてしまったのか、パソコンの前で眠ってしまった。一度目が覚めてデータの確認をしてそれを終えると今度は頬杖を着きながら眠気に支配されてしまった。ベッドでぐっすりとは眠れなかったけれど、一先ず終わった分を提出して置こうと上着を羽織った。


 結局ベルがサンヨウシティを尋ねたのは、三つ子からお誘いのメールを受け取ってから二日後のことだった。アララギ博士に纏めたデータを提出したところ、連絡の取れる場所にさえいてくれるなら一週間ほど休んでくれて構わないと言われた。その日は研究所の自分のパソコン周りを片付けて、次の日はぐっすり睡眠をとった。そして翌日、久しぶりにひとりでサンヨウシティまでやって来たのである。前もって訪問をメールで返信して置いた所為か、カノコからサンヨウに至る入り口には三つ子のひとりであるコーンが迎えとして立っていた。

「ベルさん!」
「わっ、コーン君お店放っていいの?」
「大丈夫です。今日は午後から臨時休業なので」
「ええ!?そういうことは早く言ってよ…。折角来たのに…」
「――?ベルさんのおもてなしならきちんと準備してますよ?」
「へ?だって今日はもう閉店だって…」
「ベルさんはお客様じゃなくお友だちですから。僕らの個人的な招待を受けてくれたでしょう?」
「そうなの?」
「そうです」

 接客業で培われたのか、乱れない笑顔を浮かべながらコーンはベルを店まで案内する為に歩き出す。何度も来ているし、ジムなんて目立つ建物、少し探せばすぐ辿り着けるのに。厚意からの出迎えを迷惑だなどとは微塵も思わないが、そこまで心配して甘やかそうとしてくれなくても良いのにとは思う。まるで両親みたいで落ち着かない。
 すうっと深呼吸をすれば胸に冬の気配が広がる。秋もそろそろお終い。一年経てばまた同じ季節が巡ってくるとはいえ一つの季節が過ぎ去っていくことを実感するのはいつだって物悲しい。特に秋の終わりは、次にやって来る冬の静寂さがイメージとして付き纏うから猶更。けれど隣を歩くコーンの給仕姿は年間を通しても変化がない。空調を整えている屋内でずっと活動しているのだからそれは可能なことだろうけれど、季節感がないといえばそれもその通り。だから、季節の催し物をするからとメールを貰った時は少し不思議な気持ちもした。勿論彼等の用意する物だから、美味しいことに違いはないのだろうけれど。

「ねえねえコーン君、ハロウィーンのメニューってどんな物があるの?」
「そうですね、主にパンプキンを使用した物になります」
「パイとか?」
「あとはプリンとか、クッキーとか。お土産にキャンディを用意したり、そういえばケーキにも挑戦してましたね、デントは」
「そんなに?大変じゃない?」
「いいえ?折角ベルさんが遊びに来てくれるんですから張り切らない訳にはいかないじゃないですか」
「――うん?」

 笑顔のままきっぱりと言い切るコーンに、ベルは首を傾げる。先程から、時折コーンと会話が噛み合わない気がするのは何故だろう。お店で期間限定のメニューを用意しているから、ベルにも是非食べに来てくれと誘ってくれたのではなかったのか。つまり店の営業を盛り上げるのが最優先事項で、ベルの招待はあくまでついでだと思っていたのだが。コーンの物言いではまるでベルを持て成す為にハロウィーンに因んだパンプキンを使用したメニューを用意したと言わんばかりだ。もしこの場にベルの幼馴染がいてくれたのならば、彼女の鈍さに呆れていたことだろう。
 そんなの、端から――。
 「三つ子って女性の好みも一緒なの」とベルの幼馴染であるチェレンが三つ子に尋ねていたことを彼女は知らない。三人とも揃って首を振っていたけれど、それでもベルはたまたま、例外的で或いは運命。つまりはそういうことだった。
 お菓子をあげるから悪戯させてなんて頓珍漢なことは言い出さないだろう。甘いお菓子を餌に釣られた女の子を食べてしまうような狼ではないのだ。けれど、考え込むことに気を取られて歩行が覚束なくなったのを良いことにちゃっかりベルの手を繋いでしまったコーンは取り敢えず要注意人物である。けれどベルの脳内は全く警鐘を鳴らさない。別のことに気を取られている所為もあるだろう。美味しいお菓子をご馳走してくれる人を疑わない性格の所為もあるだろう。けれど何より、繋がれた手の温度がひどく馴染んで、何故だかちっとも嫌な感じがしないのだ。
 パンプキンのスイーツも楽しみだけれど、このまま歩き続けるのも良いかもしれない。そんな奇妙なことを思う。沢山眠って来た筈なのに、ベルは今にも微睡んでしまいそうだった。



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まどろみにまかせた
Title by『呪文』


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