久しぶりにカノコタウンに帰ってきたというのに、生憎幼馴染は二人とも帰って来てはいなかった。尤も、チャンピオンになってからふらふらと各地を転々としている方のトウヤに関しては端からいるとは思っていない。いるだろうと勝手な予想をしていたのは、近頃段々と女の子らしい落ち着きを付け始めたベルの方。
 ただ外の世界に飛び出して旅をしたかっただけの頃とは違う。アララギ博士のボディガードと称しながらも最近では研究の手伝いもしているらしく、自分がどうありたいか、その具体像を見出しつつあるのだろう。その点、最初の一歩を同時に踏み出した三人の中ではベルの成熟が一番早かった。トウヤに至っては現在絶賛迷子中といった風で。気の向くままの放浪は旅をしているといえば以前と変わりないものの、図鑑の完成に心血を注ぐでもなく目先の目的地もなく連絡すら寄越さないトウヤの様は失踪寸前の世迷い人だった。
 そんな彼を、全てを放り出して迎えに行くなんてことは、チェレンにもベルにも出来なくて。いつの間にか恋人同士になった二人に妙な遠慮をするようならお馬鹿さんと叱りつけてやるのだけれど、昔と変わらぬ控え目な微笑みと共に寄越されたおめでとうは紛れもないトウヤの本心だった。それくらいは容易く見抜ける。トウヤの祝辞に謝辞ではなく「トウヤのことだって大好きだよ!」と笑ったベルに彼は面食らっていたけれど、彼女の横に並んでいた彼氏のチェレンだってそっくりそのまま同じ言葉を心の底で贈っていたとは気付くまい。理性を説くのは容易いけれど、感情のまま抱き着いて安らぎを与えてやれるのはやはり自分ではなくベルの純粋さなのだと、チェレンはつくづく実感する。
 思えば、小さい頃から言葉にする頻度は個人差があったものの「好き」という感情はいつだって身近に存在していた。家族は勿論、カノコタウンで面識のある人たち、アララギ博士、本でしか見たことのないポケモン達だって好きだった。だけどもチェレンが抱く好意の筆頭はやはり幼馴染の二人に向かって集束していた。それは今でも変わらない。だけどいつからかベルにだけ抱くようになった好意をどのタイミングで恋と呼び始めたのか、チェレンはもうはっきりとは思い出せない。自覚をしたのは、旅に出て幼馴染がそれぞれに距離を挟むようになってからだ。真っ先に自覚した感情は恋心よりも毎日のように時間を共有して過ごしてきた幼馴染との間に顕在化した考え方の違いに対する憧憬と尚早。それぞれに戦って揺らいで落ち着く場所は違えども三者三様に自分以外の二人に似たような感情を抱いていた。それでもと貫いた自我の先に現在が連なっていたはずで。決定的な別れなど訪れることはなくチェレンはベルを幼馴染以外のカテゴリーにも分類される感情を持ってその手を引いた。振り払われるとは思っていなかったけれど、迷いなく、チェレンが彼女に向ける感情を恋と理解したうえで握り返してくれるとは流石に思っていなくて、チェレンもつい「本当に意味わかってるの?」と問えばベルの頬を膨らませてしまったことも今では随分と遠い思い出だ。
 「ベルちゃんなら明日帰るんですってよ」と自室への階段を上るチェレンの背中に母親から声が掛かる。息子の物足りなそうな顔にすべてをお見通しといった風に寄越される言葉はどうにも気恥ずかしいものでチェレンは「別にベルだけが目当てじゃないんだから」と母親に聞こえるか聞こえないかの声量で口早に呟くとさっさと自室に戻りベッドに飛び込んだ。瞼を閉じて、次に目を開くときはもう明日になっていたらいいのになんて、やっぱり帰郷の目当てはベルなんじゃないかと突っ込まれても仕方ない思考を抑えることも出来ず、チェレンは眠りに落ちていった。



 何時間眠っていたのか、部屋に差し込む日差しからまだ夕方辺りだと察してベッドから上体を起こしたチェレンの右手に何かが触れる。驚いて視線を向ければ、そこには眠る直前まで心に浮かべていたベルが縮こまって気持ちよさそうに眠りこけていた。幼馴染の時から、本人が眠っていたり不在だとしても部屋に誰かしら上り込んでいるという事態はお互い経験していたが、恋人になってからは初めてのことでチェレンはぎょっと目を見開いて固まってしまう。カノコに戻るのは明日だと聞いていたが、まさか丸一日と数時間眠っていたのかと慌ててライブキャスターを開けば流石に日付を跨いではいなかった。では彼女の方が予定より早く戻ったのかと、再びベルに視線を戻す。しまりのない安心しきった寝顔に、チェレンも毒気を抜かれて危機感なく異性の寝具に潜り込むベルの迂闊さを叱ろうとなんて気も徐々に霧散していく。

「―――チェレン?」
「おはようベル、起こした?」
「―――?起きたのはチェレンだよ?」
「ベルも寝てたよ。待とうとしないで起こしてくれれば良かったのに」

 チェレンが起きたことによるベッドの振動で目が覚めたのか、のそのそと起き上がり寝ぼけ眼をこするベルは未だ意識がはっきりとしていないようで。どうやら本人としては眠るつもりはなかったらしく、眠っているチェレンが起きるまで隣で待っていようとしたらしい。
 アララギ博士の実地調査でどの辺りまで遠出したのかは知らないが、もしかしたらひどく疲れているのかもしれない。格好からして、カノコに戻ってすぐにチェレン宅にやって来たようだが、誰かにチェレンが帰っていると聞いて急いで飛んできたのだろう。その姿がありありと簡単に想像できてしまって、チェレンは柔らかく微笑んで、未だ微睡んでいるベルの頬にそっと触れた。指先の感触がこそばゆいのか、それでも伝わる温度が心地よいとすり寄ってくるベルに、チェレンは旅を始めたばかりにチョロネコもこんな風に撫でてやると喜んだものだと思い出している。勿論、抱く愛しさの種類は違う物だけれど。

「ふふ、チェレンの手はあったかいね」
「……さっきまで寝てたしね」
「そっかあ…。あ、言いそびれてたけどおかえりなさい!」
「うん、ベルもおかえり」
「えへへ、ただいま!」

 帰る頻度と感覚はまちまちで、ホームシックにかかるような時期も通り越してしまったチェレンだったが、こうしてベルに「おかえり」と迎え入れて貰う度にああ帰って来たのだと実感する。家族や実家という括りとはまた違う。当たり前のようにそこに在るというものではなく、ベルならばたとえどこに移ろったとして自分を受け入れてくれるのではという微かな希望。彼女としてはカノコを活動拠点から移すつもりはないようだが、あくまで比喩として。人を帰る場所として据えるのは相手からしたら面倒なことかもしれないが、そこは幼馴染で恋人であるが故の過信を許したい。だってお互いがお互いだけなのだ。こんなにも距離を詰めて触れ合って無条件にこれからもと信じきれる相手は。この先、自分がどこに流れて辿り着くかなんて想像もつかないとしてもそれでも、きっと彼女だけは離されないと信じている。

「ベル、」
「なあに?」
「ただいま」
「――?おかえり」
「うん」
「変なチェレン!」

 頬に添えられたままのチェレンの手に自分の手を重ねながらベルが笑う。それにつられて笑い返しながら胸に広がる感情は確かに愛しさで、日の傾きと共に薄暗くなる部屋の中に於いても心身共に温かく満たされているような錯覚すら覚える。
 数日後にはきっと「いってきます」と「いってらっしゃい」を言い合って離れることになるだろうけれど、それでもいつかはまたベルの優しい「おかえり」を求めてチェレンは此処に帰ってくるのだろう。いつだって、愛しい彼女が待っているこの街に。


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あなたはわたしを故郷にかえし
Title by『ダボスへ』



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