昔話が多くなるのは老いた証拠なんだってさ。そう言って笑ったトウヤは数時間前に幼馴染に呼び出されて出かけてしまった。Nも一緒に来るかとはトウヤからも彼の幼馴染からも誘われたが断ってしまった。予定は特になかった。ただ、申し訳ないと思っただけだ。沢山の人に愛されていたトウヤを独り占めして暮らしている事実に。それを言葉にすると、トウヤは決まって曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。きっと彼は自分に降る愛を理解しきれていないのだろう。出来て家族と幼馴染からの愛ぐらいだ。 ふらふらと世界を旅することは気儘だけど寂しかった。だけどそれまで生きてきた目的を間違いと認めてしまった以上、何か新しい目的で抜け落ちてしまった部分を埋めなければ僕は死んでしまっていただろう。抜け殻になりかけた僕を心配そうに見つめたトウヤの瞳に縋るには、きっとまだ他を知らなすぎたから。 僕が世界を旅していた間、トウヤもだいぶふらふらと色々な場所を渡り歩いていたらしい。彼曰く、真っ直ぐに走る理由をなくしてしまったから蛇行していたとのこと。 「追いかけた背中が消えてから、随分後ろに引っ張られたよ」 その引っ張った手が、こうしてトウヤをここに繋ぎ止める存在だったのだろう。今でも時々トウヤを連れ出す二人分の手に、彼は振り払うという概念すら失念する程に守られたのだと言った。 僕がトウヤに向ける好きや愛してるとは違う愛に包まれてまた僕を見つけ出してくれた彼は、かつて対峙した時よりも穏やかに微笑んで「帰ろうよ」と手を伸ばしてきた。だけど僕は、まだ、何も見つけてはいなくて。それって凄く格好悪い気がして何も言えない僕にトウヤが同じように何も言わなかったから。ああ泣きたいんだなんてどうしてか気付いてしまって、そうしたら後はもう抱き締めるくらいしか脳内に選択肢が浮かんでこなかった。温い子ども体温が少しずつ伝わってきて、結局僕も君が恋しいだけのお馬鹿さんだったんだって気付いたんだ。いくら格好つけたって誤魔化せないのが心なのだと。そうして機能する心があるから、僕は最初から人形でも抜け殻でもなかったのだと。そんな簡単なことがまるで世界の難解な問題を全て解決していくみたいな気持ちになった。だからなのか、あの日交わしたただいまとおかえり以上の愛の言葉を、未だに僕は知らないんだ。 トウヤの隣に帰ってきても変わらず僕の世界は狭いまま。だけど視野は少し広がった気がする。二人で暮らし始めた部屋に、トウヤ目当てに訪ねてくる人間と会話したりもして。ベルと会話した際に言われた随分立体的になったねというフレーズは謎のまま記憶に残している。丸くなったという文句なら知っていたのだけれど。取り敢えず、悪い意味ではないらしい。 僕がチェレンやベルと話すことを、どうやらトウヤは喜んでいるみたいだった。自分の大切な人同士が仲良くしてくれるなら、それは彼にとっては嬉しいことであるらしい。 「勿論、大切のニュアンスは違うんだけど」 照れたように微笑みながら、トウヤはちゃんと言葉で教えてくれた。量りようのない差違であり、かけがえのない想いなのだと。それを、きっと彼等も理解してくれている。でなければ今頃もっと剣呑な態度を取られていたっておかしくないのだから。 トウヤが出掛けてしまってから、きっとひとりで時間を退屈に持て余すのだと思っていたけれど、彼との日々を振り返ると思う以上に時計の針は先へと進んでいた。リビングのソファにクッションを抱きながら寝転がっている。随分怠惰な姿勢だが、如何に時間が経とうともトウヤがいないという事実だけで大方が褪せて見える。自分すらも揺れている気がする。だから僕は時々過去の軌跡を振り返る。そっとしまって、滅多に思い出したくない記憶でも怖いもの見たさに得体の知れない箱をつつくように繰り返し思い返す。 でないと、僕は――。 でないと僕は、何もかもを忘れて、自制なくトウヤを求めたくなるかもしれないから。 薄暗さを帯び始めた思考の外側で、玄関の方から鍵を開ける音がする。それはまだとても微か。だけど真っ直ぐにこの部屋に向かってくるだろうから、意識して気配を探り続ける。 「ただいま、N。…電気着けないの?」 「――おかえり、トウヤ。ひとりだし勿体ないかと思ったんだ。着けて」 「勿体ないとかそういう問題じゃないよ。目が悪くなるじゃない」 「大丈夫、何もしてなかったから」 ああそう、と斜め掛けの鞄を外して僕の足元に 置いたトウヤはそのままリビングのカーテンを閉めた。昼過ぎに出掛けていったトウヤが帰ってくるのだからそれなりに時間は経っているに違いなかったが、まさか既に日が沈んでいるとは思わなかった。自分の世界に入り込んだ際の、周囲の時間の流れとのズレが思った以上に凄まじかったようだ。 トウヤは寝転がっていた僕にきちんと座るように言って、僕がその通りにすると空いた隣のスペースに腰を下ろす。それから、今日出掛けた先でのことを大まかに話してくれる。うんうんと相槌を打ちながら聞き入って、トウヤが見て来たであろう世界を想像してみる。時折、自分の記憶と発した言葉の与える印象が一致しないのか眉を顰めたりしながら語るトウヤの隣で、僕は僕なりに彼の伝えようとしている像を形作っていく。きっと大分違うのだろう。それはそれで、いつか自分の目で確かめたいから一緒に行こうなんて無意味な約束を取り付ける口実くらいにはなるのだが。 「楽しかったんだね」 「うん、楽しかったよ」 「じゃあ、また暫くは僕がトウヤを独り占めして良いんだよね」 「N?」 「あの二人が嫌いなんじゃないよ。トウヤの大切な人だからね。でも僕には君が突き抜けて大事なんだ」 「………」 「君の一等から揺らぎたくないよ」 隣にいるトウヤの肩に頭をもたれればいつだって彼は僕の髪がくすぐったいのだと身を捩る。だけど今日は僕に応えるようにもたれた頭に顔をすり寄せてくる。それから僕の頭を撫でて「Nは馬鹿だなあ」なんて心底愛おしげに呟かれるから、僕はもしも明日またあの幼馴染がトウヤを連れ出しに来たって大人しく見送ってしまうのだろう。 昔も今も変わらず馬鹿な僕の一等は、やはり変わらずただひとりだけだった。 ――――――――――― まだ僕が馬鹿だった頃の話 Title by 匿名様/15万打企画 |