少しばかり疲れてしまったのだと、トウヤはモンスターボールを手にまじまじとそれらを眺めた。ボール越しに伝わるはずもないけれど、伝わることも稀にあるので、トウヤは時々ボールの中の仲間に話し掛けたり念じたりしている。
 さて、どうやら世界は救われたようだとトウヤが辺りを見渡すと、自分の背を押した人々がやたらと褒め讃えたりして来るものだから、トウヤは喜ぶよりも戸惑いを覚えてしまった。もたらした結果がより多くの人間に支持されるとはいえ、自分は確かに他人の夢を潰してしまったのだから。誰かは夢ではなく野望だよなんて非難の色を浮かべていたけれど。野望だって夢みたいなもので、善悪で判じるより先に、結果に向かって行動を起こしていたという事実がトウヤには重いのだということを、残念ながら彼の周囲の人間は理解してはくれなかった。早々に対話を諦めてしまったトウヤにも非があるのかもしれない。けれども理論建てて簡潔に、誰も彼もを納得させるだけの言葉をトウヤは知らなかった。それになんだか面倒だった。今までは絆と呼んで、大切だった人々との関わりが急速に煩わしくなって来てしまった。
 どこか遠くに行ってしまいたいなあと思った。思ったと同時に声に出していた。別にお喋り厳禁の場でもないのだから大丈夫だろうとトウヤがそのままぼんやりと思考の海に身を沈めようとしたのを若干乱暴に邪魔したのは、いやに緊迫した表情を浮かべた二人の幼馴染だった。
 あまりに真剣な顔をしていたから、きっと何か話があるのだろうとどちらかが話し出すのをじっと待てば相手もトウヤの出方を窺うようにじっと見てくる。
 しばし、沈黙が続いた。
 先に耐えきれなくなったのはトウヤだった。呼吸さえしにくい空気に負けた。どうしたのだと問えばチェレンもベルもどうしたのではないと声を荒げるのだからトウヤからすればまさしくどうしたの状態だ。

「遠くに行きたいって何だよ。まさかイッシュを出て他の地方に行きたいとか言うんじゃないだろうね?」
「ねえトウヤ、やっとプラズマ団が解散してトウヤも楽になれたんだもの。暫くゆっくりしたっていいんじゃないかなあ?」
「大体トウヤはちゃんとチャンピオンになったかもあやふやだろう?まああんまり勝ち負けに拘るタイプじゃなかったからね。Nとの問題も解決したんだし、ベルの言う通り、少しゆっくりすれば?」
「久しぶりに三人でカノコに帰るとかはどう?ポケモンたちを放してのんびり遊ばせてあげようよ」

 トウヤの意見を挟む隙間もなく、チェレンとベルはどんどん交互に喋りかけてくるので段々と理解が追いつかなくなってくる。
――流されるんだろうな、これは。
 チェレンもベルも表情は穏やかに語りかけてきているのに口調やらがやたらと必死で、背後にある『お願い』という二人の希望が見えてしまうから、トウヤは真剣に二人の言葉を聞くのをやめて、ぼんやりとそれが途切れるのを待つことにした。
 昔から、幼馴染の三人で一緒にいると大半は自分ではない二人の意見に流されてきた。ベルが暴走して突っ走るのを見かねたチェレンが手を引いて最終的に先頭を歩く。そんな傾向があった。トウヤは最後まで見ている人間だった。通したい意見も意地も持たず、だけどずるずると流されるだけも自分がツラいから時折は意思表示を。折衷案を見つけてくるのはチェレンでコロリと方向転換をするのがベルだった。
 思い返せば子どもの頃から一緒にいて、今も変わらず子どものままのトウヤの経験上、チェレンやベルが理不尽な言い分を押し付けて来たことはない。強引であったとしても、それはお互いの性分の差によって微妙に認識のズレが生じているだけのことだった。
 だからトウヤは言葉にしたことはなかったけれど、幼馴染という枠に収まっている二人のことが好きだ。
 だけど時々。どんなに近しい人間でも理解の範疇外に飛び出してしまうことがある。
 例えば、今。

「――二人はカノコに帰るの?」
「僕等じゃないよ。トウヤはそうすればいいんじゃないかって話」
「…カノコだとアララギ博士もいて落ち着かなそうだし、やっぱりゆっくり他の地方とかを見て回りたいな…。カノコにはみんなを放して遊ばせるスペースもあまり無いし」
「ええ!?まだイッシュの図鑑だって完成してないでしょう?それなのに外に行っちゃうの?早くないかな?」

 結果的に流されようと、一応は自分の意見を言っておかなくてはとトウヤは漸く口を開いた。雰囲気に飲まれて、希薄な意志のまま進むといつの間にか世界の命運を背負わされていたりするので。
 チェレンとベルが、どうやら自分にイッシュ地方から出て欲しくないと思っていることは理解出来た。あわよくば、カノコに戻って欲しいと思っていることも。理解出来ないのは、トウヤが言う通りカノコに帰ったとして、二人に何の意図や利があるのかということだった。旅に出る前の日常に少し近づくだけ。戻ることは有り得ない。そんなことは、旅に出て己を知り、向かい合った彼等とてわかっていることだろう。

「俺がカノコに戻ったらさ…、二人はどうするの?」
「一緒に戻るよ」
「カノコなら、ジムリーダーも四天王もアデクさんも流石に会いに来れないよね!」
「うん?」
「私たちでトウヤを独り占め!」
「二人だよ、ベル」

 何故今更そんなこと聞くのかと、解りきったことだと言わんばかりの軽快さで二人はトウヤの疑問に答えてくれる。ベルは嬉しそうにトウヤの腕に抱き付いて、今からカノコに帰った際の想像でもしているのだろう。その笑顔があまりに幸せそうだったので、トウヤは益々流されるのだろうなという想いが強くなる。
 平然とした顔で立っているチェレンだって、ベルの態度を諫めなければ、彼女と意見は全面一致だという風でトウヤの回答を待っている。
 だから、やっぱりトウヤは流される。

「………帰ろっか、カノコに」
「本当に!?わあ、じゃあ帰ったらドーナツ持ってトウヤの家に遊びに行くね!」
「僕は本でも持って行くよ」
「うん、出来れば先に休ませてくれると嬉しいんだけどね」

 はしゃぐベルに届く筈もない言葉をぼそりと呟けば、チェレンは聞こえていたらしく大丈夫だよとトウヤにだけ聞こえるように呟いた。
 直前までベルと押し付けまがいな会話をしていたくせに、トウヤがカノコに帰ると決めた途端いつもの冷静なチェレンに戻ったらしい。
 思い立ったら即行動、ベルにせっつかれて、そのまま三人でカノコに帰郷した。優しく出迎えてくれた、息子がどれほどの大事件に巻き込まれていたかも知らない母親の態度が大層心安く感じられて、トウヤはあっさりと旅で無意識に張っていた気を緩めてベッドに潜り込んで目を閉じた。


 深い眠りは、耐え性のない幼馴染によって破られた。もう少し眠りたかったと、覚醒しきらない頭のままでトウヤはベッドに腰掛ける。

「だって私たちも含めてみんなトウヤのこと頑張れって背中押してくれたけど、全部解決した後にお疲れ様って言葉を投げてそれで終わってくれれば良いのにまたねとかまるで親しい友人みたいに振る舞うんだもん。だからちょっと我慢出来なくなっちゃったんだよ」
「滅多に言わないけどやっぱり三人が一番落ち着くと思ってるし、思われてたいんだよ」
「だからね、本当はお疲れ様って言葉だけじゃなくてぎゅーって抱き締めたかったんだけどそれじゃあ足りないからね、じゃあカノコに連れ帰っちゃえって思ったの」
「流石にこんなとこまでは余程急用じゃなければ訪ねてこないだろうし」

 つらつらと、床に広げたドーナツを頬張りながら述べる二人の言葉にしばし聞き入る。いつも以上に働かない頭では上手く返事を紡げない。
 うん、うんと相槌を打つばかりのトウヤにしびれを切らしたのか、床に座っていたベルが立ち上がって、トウヤの頬にキスをした。チェレンは座ったままぽんぽんとトウヤの膝を叩いた。それが、彼等からの愛情表現だと解るから。随分と心配をさせたのだと解るから。トウヤはありがとうと微笑む。そうして、隣で笑っているベルの口元に残っているドーナツの欠片を取ってやった。
 部屋には甘い香りが満ちて、それがチェレンとベルの甘さと混じって優しくて、トウヤはまた眠くなってしまう。
 寝てもいいよと言う二人の言葉に甘えて、トウヤは再びベッドに身を沈めて目を閉じた。両脇で、同じようにぼすんとベッドに飛び込む音がしたことには何も言えないまま、トウヤは意識を手放した。
 次に目が覚めた時にも、優しい幼馴染たちの姿がすぐ傍にあることを喜びながら。



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そしてさよならもない僕たち
Title by『Largo』



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