昔なら幼馴染というだけで泊まりがけで出掛ける母親の都合にかまけて小さな娘はあっさりと異性の部屋に放り込まれ良い子にしてるのよなんて笑顔を残して置き去りにされていた。置き去りにされるのは今でも変わらないとはいえ、今では留守番と称して子どもを自宅に一人残して行ってしまうのだから大人とはヒドいものだとコトネは思う。

「ヒビキ君に迷惑掛けちゃ駄目よ」

 極めつけに、この一言である。迷惑って、何だろう。一人で留守番するのは暇だから遊ぼうと誘いを掛けるのはいけないことだろうか。
 今真っ先にヒビキを呼びつけようと手にしていたポケギアを見つめながら、コトネはぼんやりと考える。そうしている内に、母親はあっさりと家を出て行った。夕飯は、自分用意して食べろとのことだった。
 留守番とはいえ、誰かが訪ねてくるから家にいてくれというものではない。だが親が用事で出掛けている間にまた旅に出るなんて冷たいじゃないと言われればじゃあ帰ってきてから行こうと思いとどまる程度にはコトネは母親のことが好きだった。家族だし、見送ってくれるならそれはそれで嬉しいものだ。
 どうやって時間を潰そうかと自室のベッドの上に転がりながら思案する。規則正しく音を発する時計の秒針が早く早くとコトネを急かす。だけどこのまま眠ってしまうのも一つの手段だとも思えてそっと瞼を閉じた。

「コトネー!」

 ぱちり。
 目を開けて、そのまま耳を澄まして相手の出方を窺う。ついさっきまで暇潰しの為に召喚しようと思っていたヒビキの声はよく通る。恐らくコトネの家の玄関前から張り上げた声は二階にある、窓もちゃんと閉めてある彼女の部屋まではっきりと届くのだ。
 暇ならば、ヒビキと遊ぼうとつい先程までは思っていたし、第一候補が唯一だった。だけどそれを、迷惑は掛けては駄目だと制されてしまったからコトネはベッドの上でじっと息を潜めるしか出来ずにいる。

「入るよー!」

 おいおいそれは駄目だろう。
 コトネの脳内のツッコミがヒビキに届くはずもなく、ガチャンとポストを開ける音がしてそれからすぐに家の扉が開かれる音が続いた。合い鍵の保管場所にポストというのはどうにも安直で危険な気はするのだけれど、家には他に適当な隠し場所もないのだと諦める。
 ばたばたと騒がしい足音が階段を駆け上ってコトネの部屋の戸をノックする。それが直前までの騒がしさとは打って変わって優しげな音だったことにぞわりと背筋に寒気が走る。嫌悪ではなく今更そんな気遣いしなくてもいいのだという主張。馴染んだ過去の生活と関係が、自分達の間に遠慮など気持ち悪いだけだという大前提を作り出している。

「コトネ入ってもいい?」
「……私は良いけど、」
「けど?」
「お母さんがヒビキ君に迷惑掛けちゃ駄目よって言うから…」
「でもコトネが一人で留守番してて暇だろうから時間あったら構ってやってって言ったのはおばさんだよ?」
「何それ!?」

 ヒビキの言葉に納得いかないと反射的に飛び起きればそれと同時に部屋の扉も開かれた。
 ひょこりと顔を覗かせたのは懐かしさも違和感も覚えないヒビキその人で、肩にはやはり見慣れたマリルがちょこんと乗っかっている。
 「コトネ居留守は駄目だよ」とにこやかに微笑みながら部屋に入ってくるヒビキに、他人様の家の合い鍵を勝手に使って侵入してはいけないのだと教えてやりたい。本当に留守にしていたらどうするのだ。だけどこれも結局ヒビキが相手だからなあの一言で済んでしまう。もし留守にしていたって、そのまま居座って帰ってきた時におかえりと言われたら問いつめるよりも先にただいまと返してしまうのだろう。慣れとは怖いものだ。

「あれ、コトネもう出発するの?」
「うん、お母さんが帰ってきたら出ようかと思って」
「ふーん」

 コトネがヒビキの肩からマリルを抱き上げたのと同時に、彼は突然拗ねたように口を尖らせて「ふーん」やら「へえ」などと短い言葉を繰り返しながらじろじろと視線を寄越してくる。
 ――駄々っ子だ。
 理由は察せられないけれど、今のヒビキの態度をコトネはこんな風に思う。普段の幼馴染としての二人に対して周囲は常にヒビキを兄の様に扱い続けてきた。何処へ行くにも、何をするにもヒビキがコトネの手を引いてやらなければならない。コトネは、何も出来なかった訳ではないけれど、ヒビキがいなければ何もしなかったかもしれないとは思う。だから周囲の認識は決して間違いばかりではない。
 ただ、どれだけ兄の様だと囁かれてもそれはあくまで雰囲気の形容であってヒビキ自身を正しく表現してはいないのだ。彼は決してコトネの兄ではないし、ましてや年齢だって変わらない。コトネという比較対象を無くしては大人びても映らない只の少年だった。
 コトネはこうして時折自分の前にさらけ出されるヒビキの等身大のらしさを珍しげもなく眺め、受け取る。だけどいつまで経っても正しいご機嫌とりは覚えられない。こうすれば良いなんてパターンがある訳でもないし、頻度だって高くはない。そうしてコトネが次の手をこまねいている間にヒビキは自分の中で答えを出してしまうのかいつものように笑って「ごめんね」と謝るのだ。それだけが、コトネにはもどかしい。ヒビキがやけに自分のことを理解してくれるのは、きっと自分達が幼馴染として多くの時間を共有して来たからなのだろう。だが、では自分はヒビキのことを一番に理解してやれているのかと問い掛ければ自信を持って頷くことは出来ない。理解してないことはないだろうけれど。馴染むことと理解することはまた別問題なのだから。

「ごめん、ヒビキ君なんで拗ねてるのかわかんないや」
「別に拗ねてないよ」
「顔はそう言ってないよ」

 ヒビキの顔に、抱きかかえていたマリルをむぎゅりと押し付ける。そのまま手を離してみるとマリルは楽しそうにヒビキの顔にしがみついているので放置しようとすれば直ぐにヒビキが引き離してしまう。まあよく考えればあのままでは呼吸が出来なかったろうから仕方ない。
 短時間とはいえ息苦しさからか、ヒビキの頬はうっすらと赤らんでいる。そしてマリルを抱える腕に少し力を込めたかと思うと俯いて、そのままポツリポツリと呟き始めた。

「だってコトネすぐにまた旅に出るつもりだったんでしょ?」
「……うん」
「なのにおばさんに言われたからって俺のこと呼ばないし」
「…ごめん?」
「わかってるのかなあ」
「ごめんなさいよく分かってないです」
「だよねえ、コトネだもん」

 仕方ないよと肩をすくめて笑うヒビキはやはりもう拗ねた表情など浮かべてはいない。だから今度はコトネの方が拗ねてしまう。ヒビキの言葉はちっとも要領を得ないのだから。
 ヒビキはそんなコトネの様子におかしそうに笑って彼女の頭を撫でる。普段の、兄の様な彼。

「取り敢えず、これからはワカバタウンに帰ったら必ず俺に連絡してね」

 ヒビキの言葉に、連絡しなくても狭い町だし噂は耳に届くでしょうと首を傾げれば「コトネのお馬鹿さん!」と頭に手刀を落とされた。
 意味はわからないし「理不尽!」と涙目でヒビキを睨んでもマリルさえコトネが悪いとでも言いたげに呆れかえった表情をしているので渋々黙り込んだ。
 そこまで言うのなら、連絡してやらないこともない。最初、ヒビキを呼び出そうとしてそのままベッドに放置していたポケギアのアドレス帳に登録されている番号の一番上に来ているのが誰か、そんなことは思い出す必要のないことだ。目の前で「全くコトネは!」としきりに憤慨しているヒビキにだって、教えなくて良いこと。だからコトネは、どうすればヒビキの機嫌が直るのか、そのことだけに集中しようと目を閉じた。
 馴染んだ相手との空間は、相も変わらず心地良い。


―――――――――――

愛をのこしておけない場所で
Title by『≠エーテル』




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -