一週間以上も前からハロウィンというこの日を楽しみにしていた筈のシキミが正午を迎えてもまだ自室から出てこないことにカトレアはことん、と首を傾げて見せた。カトレアの隣に座っていたレンブはそんな彼女の視線が部屋の入口に注がれているのを追って、何となく彼女の疑問を察した。

「シキミちゃん、具合でも悪いのかしら」
「昨晩は元気そうだったが…」

 心配そうにじっと扉を見つめ続けるカトレアの手には彼女の身体には幾分不釣り合いな大きいバスケットが抱えられている。蓋がついている為に中身は確認できないが、きっとハロウィンを楽しみにしていたシキミの為に用意したお菓子が目一杯詰め込まれているのだろう。カトレアは、シキミにハロウィンが楽しみだと話題を持ちかけられるまでそんな行事のことはさっぱり忘れていたらしい。そもそも、行事として何か仮装をしたりお菓子を頂戴しに練り歩いたことはないとのことだ。パンプキンパイなら食べたことがあるわと淡々と語ったカトレアに対しシキミはそれならば今年はハロウィンらしくお祝いしましょうと手を握り合いながら力説した。
 手始めにとシャンデラをジャックオーランタンの代わりだとオレンジ色のペンキで塗りたくろうとしたのでそれは流石に止めた。カトレアはポケモンと会話することなど出来ないが、その時は確かにシャンデラに助けてくれと求められたのだと思う。だって泣きそうに見えたのだ。
 ゴーストタイプで手持ちを固めている所為なのか、ハロウィンにつれシキミは楽しそうに過ごしていたし、そんなトレーナーの陽気な気配に感化されたのか彼女のポケモンたちも何やら楽しそうだった。カトレアはそんなシキミの様子を見ているだけで自分も満たされるような気がしていたし、レンブも仮装しないかと持ち掛けられた時は逃げ腰になっていたがお菓子だけは準備しておこうと約束していたのだ。それなのに、いざ当日になって見れば自分達をその気にさせた張本人がいつまで経っても姿を見せないのだから、カトレアは何だか不安な気持ちになって来てしまう。
 無意識に、何とかしてくれと期待を込めた眼差しでレンブを見上げれば彼もどうしたものかと眉を下げるしか出来ない。レンブが真っ先に頼りになる人物として連想するアデクは、ハロウィンにみんなでパーティーをしようと話を持ち掛けた途端ならばその為に少しばかり調達してくる物があるとポケモンリーグを後にして以来姿を見掛けない。果たして今日中に帰って来るのか、それすら怪しくなって来た。

「……ギ―マがいない」

 今の今までその存在を思い出しもしなかったというかの如く、カトレアがはっと目を見開いてもう一人、この場に姿を見せない人物の名前をぼそりと吐き出した。読んで字の如く、吐き出したのである。明確な嫌悪が宿っている訳ではないが、間違っても友好的な響きではない露骨な声音に、レンブは先ほどから下げたままの眉を元に戻すことが出来ない。
 カトレアは、きっとギ―マがシキミに何かしたと思っているに違いない。徐々に剣呑な色を帯びて行くカトレアの瞳は普段の寝ぼけ眼とは打って変わってクリアだ。今は、そんなことに感心している場合ではないけれど。いつの間にか両手で抱えていた筈のバスケットは着いていた取っ手を片手に持っており、もう片方の手にはモンスターボールが握られている。襲う気か。
 一瞬で血の気が引いて、ハロウィンはホラーとは違った筈なのにと思わずにはいられない。暴れられても困るので、まずはシキミの様子を見に行くべきだと説き伏せて納得させた。いつか自分に子どもが出来て、わがままや思春期を迎えた時はこうして滾々と言い聞かせてやらねばならないのだろうかと思うとどうにも独り身は気が楽だと自然と遠くを見つめてしまう。完璧な逃避である。

「シキミちゃん、入っても良い?」

 カトレアもレンブも大量のお菓子を抱えたままシキミの部屋の前までやって来て、そっと扉をノックして声を掛ければ中から鼻声で「どうぞー」と帰って来たのでノブを回して開ける。声の調子からして風邪でも引いたのかと思えば、視界に映ったシキミの様子からそうではないと直ぐに分かった。
 シキミは普段着には既に着替えているもののベッドの上で盛大に泣いていた。どうしたのと慌てて彼女に駆け寄るカトレアをよそにレンブは入口に立ち尽くしたままメガネは取った方が良いのではないかなどと考えていた。

「シキミちゃん、そんなに泣いたら頭が痛くなってしまうわよ」
「うう〜、だって!」
「ギ―マに何かされたの?」
「カトレア…そう決めて掛かっては…」
「あの人サイッテーなんです!」

 同じ男同士、女同士が結託して責められては可哀相だと此処にはいないギ―マを擁護するために開いた口と言い掛けた言葉は、カトレアの言いがかりを肯定するとも取れるシキミの絶叫に遮られた。
 カトレアの差し出したティッシュで盛大に音を鳴らしながら鼻をかんだシキミは大分落ち着いて来たらしく、それと同時にギ―マへの怒りも沸々と蘇って来たらしく、悲しみから一転悔しそうに歯噛みしながら聞いてよとカトレアに抱きついた。カトレアは「だからさっきから聞いているのだから早くお話しなさいな」と淡々と切り返す。

「何週間も前から!何週間も前からハロウィンを楽しみにしてたのに!それをあの人だって知ってたはずなのに!」
「そうね、シキミちゃんずっとハロウィンハロウィン騒いでいたわよね。小説の〆切りも気にしなくなるくらい…」
「カトレアちょっと黙って」
「……ごめんなさい」

 段々とヒートアップしてきたシキミの瞳は怖い。まるで先程ギ―マを敵視していた際のカトレアのようだとレンブは少しだけ離れた場所から静観を決め込む。なんだか、ギ―マとシキミの間に何があったのか想像がついてしまったので。それと同時にくだらないと思ってしまった自分を反省している最中でもあるので。

「あの人、昨日の夜日付が今日に変わったとたん私の部屋に来て『トリック・オア・トリート』って言い逃げして帰って行ったのよ!?」
「……それがどうかしたの?」
「私も最初はあの人何しに来たのかって思ったんだけど、そう言えば私数日前にギ―マさんに今年は一番にトリック・オア・トリートって言うって宣言したの思い出したのよ」
「つまり?」
「ただの嫌がらせよあんなの!」
「それは…」

 反応に困ったかのようにカトレアはシキミに向けていた視線を外してレンブの方を見る。再び、十数分前と同様、無意識に何とかしてくれと期待の色を浮かべた瞳で見詰めてくるカトレアに、レンブはこの場は何とか助けてやらなければなるまいと意を決する。カトレアには、ギ―マがシキミに掛けたちょっかいの意味も、シキミがそんなことで涙する理由もわからないのだろうから。だってカトレアは、ハロウィンとはお菓子を沢山食べられる日としか思っていないのだから。証拠に、彼女は今日一日、シキミにティッシュを差し出したり、背中をさすっている最中も片手にはお菓子の入ったバスケットを片時も手放さないのだ。これがなければ、ハロウィンを無事に過ごせないとでもいうかのように。

「ではギ―マは放っておいて三人でハロウィンパーティーでも始めるか」
「…そうね、それがいいわよシキミちゃん。ギ―マのことなんていちいち気にしていては駄目だわ」
「うう…そうだけど」
「私達、シキミちゃんがハロウィンを楽しみにしていると知ったから、沢山お菓子用意してたのよ」
「ああ。このままではそれが無駄になってしまう」
「……」
「シキミちゃん?」
「そうですね、それじゃあみんなでパーっとお菓子食べましょう!」

 目元と鼻は赤いままだが、漸く笑顔が戻ったシキミに、レンブとカトレアはほっと息を吐く。シキミの部屋を出て談話室に戻り用意していたお菓子を広げてる。ハロウィンパーティーとはいえ、いつもより盛大なお茶会といった所だ。
 途中巨大なかぼちゃを被ったバッフロンとアデクが部屋に突撃してきたり、シキミのシャンデラが結局ハロウィンカラーに塗りたくられていたりと大騒ぎしている内にシキミもギ―マから受けたささやかな嫌がらせなど忘れているようだった。嬉しそうに笑うシキミとカトレアの隣でところで肝心のギ―マは一体どこに行ってしまったのかと思いながらもレンブは言い出せないまま楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
 お茶会を終えた後、カトレアがぽつりと「そういえばギ―マに今日ハロウィンパーティするって言い忘れたかも」と呟いたのを拾ってしまったレンブは「これはたぶんわざとなんだろうなあ」という言葉を飲み込む為に、最後に一つだけ残っていたパンプキンパイを一切れ口に放り込んだ。


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悪戯な銀座
Title by『ダボスへ』



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