旅を初めてから、もう随分と時間が過ぎた。以前は割と頻繁にカノコにも足を向けていたのだけれど、旅に慣れ、ポケモンが少しずつ強くなって、見聞とやらが広がって行く内に足は自然と前ばかりに進んでいた。昔から、熱中し過ぎると他に気が回らなくなってしまうことが多々あった。チェレンはそんな自分をもう確立された個として認識していた為、両親に対して心配を掛ける申し訳なさはそれなりに抱けども特別踏み外したことをしているつもりもなかった。何かと便利な世の中だから、交通手段も連絡手段も多様にある。思い立ったらいつだって出来ることとは、大抵いつまで経っても思い立たない。
 先日ライブキャスターで久しぶりに連絡を取った幼馴染の少年は、チャンピオンを倒して以後は勝手気ままに、のらりくらりと旅を続けているらしい。瞳を輝かせて冒険を楽しむタイプではないくせに、その内この地方を飛び出して行きそうな勢いで動き回っている。いつかは、チェレンもこの生まれ育った場所を出て、他の地方にまで足を伸ばしてみたいと思う。世界には、まだ沢山の知らないこと、ポケモン、価値観やら人々が存在しているのだ。
 根掘り葉掘り尋ねたことはないけれど、自分の両親もきっとポケモントレーナーだったのだろう。大抵の人間がそうであるように。そこは何となく聞かずとも分かる。幼い我が子を他の子の親と共謀して旅に放り出すくらいだ。得る物を得て来た人達なのだ。きっと。だから心配する反面、暢気に自分の長引く旅にも渋い顔ひとつせず送ってくれる。
 旅の始まりがあれば、いつかどこかに終わりがある。チェレンには、未だそれはチラつくこともしない。まだあてもなく、確信もなくふらふらと旅を続けていけるものと、なんとなく思っている。それは、まだ自分が子どもだからで欲張りだからだ。もっともっとと、己の内側に何らかを拾い集めて置きたい。疲れを理由に留まり、居着くには若いから、足下よりも遠く朧気な景色に胸が躍り駆け出すことを当然のように享受してきた。
 いつかこの旅が終わる時が来たとして。果たして、その終着点はどこにあるのだろう。一本道を突き進むようにして、今はまだ見知らぬ土地に愛着を見出して腰を落ち着けるのか。それとも、ぐるりと円を描くようにして、再びカノコタウンに戻り静かに旅立つ前の日常に回帰するのか。それはまだ、チェレンには分からないことだ。
 ライブキャスターが突然音を立てた。ぼんやりと思考に耽っていたチェレンの心臓が、びくりと大きく揺れた。自分に連絡を入れてくる相手なんて数が知れている。大した確認もせず応じれば瞬間、もうひとりの幼馴染の声が響いた。

『チェレン!今どの辺にいる?アタシはライモンシティでミュージカルに夢中になってたら凄い時間が過ぎちゃってたよ!』
「…ベル、ちょっとうるさいよ」
『ええっ、ごめんね。アタシこれからカノコに帰るつもりなんだけどチェレンはどうする?』
「どうするって、僕はカノコに近い場所にはいないんだけど」
『そうなの?』

 相変わらず姦しく、他人の話を聞かないベルはチェレンに溜息を吐かせる天才だ。どこにいるのと問われて答えなかった。答える前にベルはチェレンの居場所をカノコ付近と決めつけて言外に一緒に帰ろうと誘っている。無計画なことだ。
 チェレンにとって、ベルはいつまで経っても放っておけない幼馴染だ。もうひとりの幼馴染も、あれはあれで放っておけないタイプだが、ベルとは正反対で手は掛からない。放っておけばいつまでも同じ場所でぼんやりとしている幼馴染と放っておけば勝手にうろちょろと動き回るお転婆な幼馴染。そのどちらの手も引いてやらなくてはというのがチェレンの義務なのだと、彼自身割と最近まで信じ込んでいた。今では、助けたり助けられたり、お互いに与え合うものがずっとあったのだと理解している。ベルも、旅に出てから色々と学び、成長し、緩やかに時を過ごしている。自分に出来ること、自分にしか出来ないことを模索しながら飾らない姿を、チェレンは今も昔も好ましく思っている。その感情を、ひとりの女の子として抱いているのかはわからない。比較対象がいないし、きっかけもなかった。少なくとも、ベルは只の幼馴染以上の自分を望んではいないだろうとは思っている。

『ねえねえチェレン、次はいつカノコに帰るの?結構直ぐならアタシ待ってるよ!』

 そういうの、圧迫感があるからやめた方が良いよ、とは思っただけで言わなかった。ベルも、相手が自分でなかったらここまで図々しくはならない。もうひとりの幼馴染は、ベルの甘えただとか全部受け止めてうんうんと頷いた後、だけどごめんねと断る術を持っていた。それ以上に甘やかす回数のが圧倒的に多かったけれど、ベルの機嫌を取るのはチェレンの役目と思っていた彼は基本的にチェレンとベルのやりとりを黙って聞いているだけだった。
 今更になって振り返れば、誰も彼もが閉鎖的な世界で生きていた。だから、放り出されたのかもしれない。仮定は仮定のまま、今という結果が良ければそれで十分だったし、いつかは必ず迎える分岐点のようなものだったのだろう。
 待ってるよ、と微笑むベルは、これからもカノコに足を向け続けるのだろう。遠のくばかりの自分とは大違いだ。
 チェレンは何となく、彼女の旅の終わりはカノコタウンなのではないかと思えてくる。故郷が本当にただの故郷になる。心配してくれる両親や親切にしてくれたアララギ博士、幼馴染の両親。それらを全て内包して故郷と呼ぶようになる。チェレンはそんな風に思い、そうなれば自分はもうあの町に骨を埋めたりはしないのだ。
 だけどベルは、きっとチェレンとは違う。彼女にとって故郷という言葉はよそよそしくて、カノコはいつだって帰る場所。いつまでだって自分の居場所のままだろう。
 そしてベルは待っている。大好きな幼馴染たちがただいまと帰り続けると思っている。段々とその頻度が減っていったとしても、彼女は変わらないのだ。

『チェレン?』
「…近い内に帰るよ。ベルが待ってるならね」
『ほんと!?おばさんにも言っとくね!あ、途中まで迎えに行こっか!』
「良いよ。なんかすれ違いそうだし。大人しく待ってて」

 了解、と言葉を最後に通信は切れた。急の沈黙に、チェレンはやれやれと首を振るとそのまま予定していた道に背を向けて歩き出す。暫くカノコに戻るつもりはなかったけれど、何せベルが待っていると言うので。それに乗せられて、帰ると言ってしまったので。
 歩を進めながら、自分のベルに対する甘さを切々と振り返り反省する。どうせずっとこのままだろうとはとっくに見切りをつけている。
 大人しく待っていろとは言ったものの、ベルはきっと自分を迎えにカノコを出てしまうだろう。どこかで合流して、また一緒に戻る。どこで再会してもベルはおかえりとチェレンの手を握る。ただいまと素直に言えれば良いのだけれど、気恥ずかしさと、カノコでもない場所で言う言葉でもないなと理屈っぽさが先立ってなかなか言えない。
 だからチェレンは歩調を速める。ベルが飛び出す前に、自分がカノコに着けば問題ない。
 そうしたら、ベルにもちゃんとただいまと言おう。この旅の終わりが、まだ見ぬどこかだったとしても。今は、自分の帰る場所はカノコタウンで、そこには自分を待つ彼女がいるのだから。



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寂しがり屋にはなりたくないのに留守番は長く続きそうもありません
Title by『深爪』




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