校庭でわいわいと遊んでいる子ども達を屋根の上に座り眺めながら、彼等より少しだけ大人である伊作は「可愛いなあ」と一言漏らして嘆息した。伊作の隣に腰掛けていた食満はそうだなあと共感する気持ちはあるのだけれどそれを言葉にして示すことはしなかった。一番に年の離れた位置にいる後輩が可愛くない者などいないだろう。大前提があるから、わざわざ自分の立場を明らかにする必要などない。
 ほんの五年前のこと。自分達も彼等と同じように校庭を駆け回っていたのだと食満は思い返す。今は只、こうして傍観するだけ。さて、一体いつ頃から友達と遊ぶことをしなくなったのだろう。戯れ程度の殴り合いや、性質が悪いと称される悪戯なら未だにけしかけ合っているけれど。校庭でかくれんぼやら鬼ごっこに興じるには少し年をとってしまったし、自分たちがそれ程無邪気でなくなったことを自覚してしまった。悲しくは、ない。

「あ、転んだ」

 伊作の声にはっとして、視線を廻らして渦中の場を見遣る。先程まで散らばっていた子どもたちはその転んだらしい子を囲むようにして集まっている。その所為で、誰が転んだのか、遠くにいる食満には確認することが出来ない。事の顛末を始終観察していた伊作は「大丈夫かなあ」と呟きながらもその腰を上げることをしなかった。少し、珍しい。

「いかないのか」
「何所へ?」
「転んだ奴、怪我したんじゃねえの」

 不思議そうに食満の顔を見詰めてくる伊作に、くい、と顎で子どもの輪を示せばそれで得心行ったと彼は微笑んだ。だが、相変わらずこの場を離れる気配はない。その間に、わらわらと一か所に群がっていた子ども等は道を開け、転んだ子は誰かの肩を借りて歩きだそうとしていた。医務室に行くのだろう。

「今日の保健委員の当番は僕じゃないよ」

 そう言って、伊作はまた視線を校庭に戻した。転んだ子どもと肩を貸している子ども以外は、この場に残って遊び続けるつもりらしい。まあ、大怪我でもないだろうからそれが妥当だろう。医務室にそう大量に押しかけても迷惑になるだけだ。
 その医務室に待機しているであろう保健委員の長である伊作は、何度も「大丈夫かなあ」と呟くだけで全くその心配を確認したり解消する為に動こうとはしない。そのことに、普段のお人好しの彼を知る食満は違和感を覚える。何故、駆けださないのかと疑問が浮かぶ。しかしその答えは伊作が既に出していた。今日の自分は当番ではないから。真っ当な理由だけれど、食満を納得させるには程遠い。当番だから云々で怪我の手当てをするしないを判じるような奴だったっけ、お前は。そうだと言われたら、それまでだ。でもそう言わせないだけの記憶や経験があったので、食満はやはり自分の腹の辺りでぐるぐると渦巻いている気持ち悪さを吐き出すように伊作の髪を軽く引っ張った。

「お前が手当てしにいってやれば良かったじゃねえか」
「えー?」
「軽い怪我の手当てするだけなら、どうせ道具持ち歩いてんだろ?」
「あー、そりゃあねえ」

 持っているけどもと懐中に手を突っ込んで取り出した小さな包みが、恐らく医療器具なのだろう。未だ髪を掴んでいる食満にそろそろ離してくれと彼の手をぺちぺちと叩く。すると食満は小さく詫びてその手を放した。こんな近くにいるのだから、髪を引っ張らずとも良かっただろうにとは思うが黙る。もしかしたら自分は、随分と心此処にあらずな反応をしていたのかもしれない。自室でも、薬の調合に熱中していると食満の呼びかけに生返事ばかりをしてしまい、髪を引っ張られたり物を投げられたり取られたりする。今回も、同じ具合だろう。

「どうしたの留さん。やけに突っかかるねえ」
「お前の流し方が雑なんだよ」
「だって言葉にしたら寂しいじゃない」
「寂しいって?」
「留さんも自分の仕事ばかりしていてはいけないよ」
「はあ?」

 取り出したばかりの包みを戻して、伊作は再び校庭で遊ぶ子ども等へと視線を戻す。食満もそれに倣う。だが伊作の言葉の意図はわからない。自分の仕事ばかりしていてはいけないと言われても、その仕事が大量なのだ。自分の委員会は特に所属している学年に異様な偏りがあるのだから。まともに仕事出来る人間が自分だけなら自分がするしかないではないか。
――あ。
 ああもしかして、と思い至って視線をまた伊作に向ける。彼は直ぐに気付いて食満のその視線に視線で応える。浮かんだ表情は、若干困ったように情けなく眉を下げていた。

「ね、寂しいだろう?」
「……寂しいな」

 やっと意図する想いを共感して、二人はしみじみと寂しい寂しいと頷き合った。見本を見せてやると開き直って自分の仕事ばかりしていては、後に続く者に残せるものがあまりに少なくなってしまうのだと言われた。技術は見るよりも、実践してこそ身に着くものだという考え方を、伊作は決して否定しない。寧ろその通りだと同意を示したいほどだ。だからこそ、いつまでも此処で自分の技術ばかりを研磨していてはいけないのだ。可愛い可愛い後輩たちの怪我を、いつまでも自分が看てやれる筈もないのだから。
 いつしか、自分を慕ってくれる後輩らを残して自分は此処を去る身。自分だけではなく、誰も彼もが此処を去る。今、伊作の隣にいる食満だって、そう。
 途端に黙り込んでしまった食満に、伊作は掛ける言葉を持たない。同輩として過ごした年月が長ければ長いだけ、何を考えているか察しやすい所もあるのだが、遠くない将来に学園を旅立つことを考える時ばかりはこの年月が、否が応でも邪魔になる。後輩と離れるのだって寂しいけれど、隣にいる彼と離れることだって凄く寂しいに決まっている。お互いが、お互いにこの六年間一番仲良くしてきた存在だと自負しているから、尚思う。離れたくないなんて、言わないけれど。

「寂しいねえ」

 ぽつりと呟かれた言葉に、帰って来る言葉はなかった。


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根っこはここから枯れて
Title by『ダボスへ』




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