具体的に、何かをしくじったという訳では無かった。ただ、一人で請け負った任務でそれほど深くもない傷を負っただけのこと。止血して持ち合わせた包帯で患部を覆えば少しだけ滲んだ血液も直ぐに広がりを止めた。任務自体は滞りなく終了した。情報収集だけのつもりが、相手方の忍と一戦交えることになったのは予想外だったが、始末して、出来るだけ事の露呈が遅れるようにもしておいた。その場で臨機応変に対応してさあ忍術学園に帰ろうと帰路に着き、やっとこさ学園に到着し門扉をくぐったのがつい先程のこと。そんな三郎の前に立ちながら現在進行形で咎めるような視線を送って来る勘右衛門に、三郎は理解が追い付かず同じように瞳を細めて睨み合いに応戦するしか出来ない。

「…何で帰って来てんの?」
「は?それは私に任務で死んでこいということか?」
「違うよ。今日委員会だって知ってて帰って来たのってことだよ」
「はあ、」
「帰って来るだけならいいよ。でもさ、鉢屋殺したろ。空気が物騒なんだよ。ちょっと血の匂いもするしさあ」
「そんなにひどいか」
「俺の可愛い後輩の前に出て来て欲しくない程度にはね」
「ふうん、」
 言われてみればそうかもしれない。気が立っているということはないが、付き合いの長い人間からするとあっさり見抜かれる程度には、任務から帰ったばかりの緊張感がまだ抜けきっていないのだろう。委員会があることは正直すっかり失念していたが、確かにこのままでは参加出来ないと納得する。何せ、学級委員長委員会の普段の活動は専らお茶会とお喋りと先輩より遙かに真面目な一年生の宿題の面倒を見ることなのだ。さながら和やかと形容して相応しい活動内容に、今の自分の気配やら面構えが相応しくないと勘右衛門は言いたいのだろう。それはそれで分かるのだが、何で帰って来てんのは流石にひどくないか。
 薄情者と茶化す気分でもないから目線に非難の色を込めて送ってやれば、先程まで睨みあっていた視線はあっさりと解かれていて、勘右衛門は上から下までじろじろと三郎を眺めまわしていた。これはこれで、なんとも落ち着かない。他人を観察するのが癖となっている三郎からすると、受け身に回るのは警戒に値する行為だ。

「鉢屋、怪我した?」
「少しな。何だ、心配でもしたか」
「いや、へまして衣服に血痕でも残っててそれを下級生に見つかったら厄介だなって思っただけ」
「あっそう」
「拗ねるなよ。喜んでる訳でもないんだからさ」
「そんなの当たり前だろ」
「うわ、言葉にされると腹立たしいね。その自信」

 ははっと鼻で笑うように短く息を吐いた勘右衛門に、三郎はいつも自分の非を疑わなくてはならない。どうしてこうも、棘のある会話にコロコロと転がってしまうのだろう。そんな、何年来の疑問はこんな時に解消されたりはしないのだろうから、適度に悩んで打ち切るようにしている。ところで、お前はそんなに下級生を気遣う程大好きだったっけか。疑問に思ったので、今度はお返しとばかりに三郎が勘右衛門を上から下までじろじろと眺める。任務帰りでもない彼の衣服は綺麗なままで、纏う空気だって平和な日常の中にいる普段そのままだ。遠くに聞こえる自分達と比べて高いはしゃぎ声は下級生達の遊び声だろう。そういえば、今は昼休みだったか。
 昼休みといえば、みんなは何をしているのだろう。竹谷は委員会で飼っている生き物の様子を見に行くのが日課だし、久々知は昼食を食べたら委員会か、午後の授業の予習をしているだろうし、雷蔵は今日はきっと図書委員の当番だ。では、今目の前にいる勘右衛門の習慣はどんなものだっただろう。三郎はここで、実際に首を傾げて眉を顰めて記憶を整理しながら目当ての情報を探る。竹谷に付き合っていることもあるし、久々知と予習をしていることもあるし、雷蔵が当番の仕事をしている間大人しく本を読んでいることもあったような気がする。だけどそれは、仲の良い連中の間では有り触れた光景だ。誰もが、誰かの習慣に時折付き合ってその次は何事もなかったように自分の習慣に帰って行く。そんなこと、今更振り返ることでもない。ただ、勘右衛門だけの習慣を言葉にしようとすると、三郎にはそれが出来ない。自主練も昼寝も下級生の面倒を見ることも、一定の間隔を以て実行されている様子ではない。単に、勘右衛門が気紛れだといってしまえばそれだけだった。そんな彼が、今日の昼休みに限って門を入ってすぐの屋根の上から自分の帰還に遭遇したことが、三郎には奇妙な縁が働いているような気がする。待ち詫びてくれていたならなんて淡い期待は、早々の一言で見事に打ち砕かれている。どちらも勘右衛門に言ったら、間違いなく気持ち悪いと一刀両断されそうな、妄想。

「鉢屋なに考え込んでんの?」
「いや、色々と、別に?」
「ふうん、ねえ、怪我ってどこしたの」
「左腕。浅いけどな」
「そう、まあ医務室行きなよ」
「それ程酷くない」
「じゃあ今日委員会には来ないでね」
「はあ!?」

 何でそうなるんだと続けようとして吸い込んだ空気は、言語に変換される前に無音のまま散ってしまった。理不尽に近い要求を三郎に突きつけた勘右衛門は、じっと三郎の左腕に視線を注いでいた。凝視する為目もとに力が入っているからだろう、通常より時間を開けて四度瞬きをした後、勘右衛門はついと三郎の顔を真正面から見た。その瞳が思っていたよりずっと真剣だったから、三郎は未だ沈黙を通している。相手に合わせることは別段苦ではないが、何故か勘右衛門に対しては後手に回ってしまうからそうなるのだ。これが単に彼が気紛れだから読めないなんて理由では片付けられないことは、三郎は何となく気付いている。深く突き詰めようとしないのは、今がそれなりに楽しいから。そんな理由付けが出来てしまう時点で、何となくという言葉が不適切なのは明らかだけれど。

「俺さ、結構鉢屋のことちゃんと好きだよ」
「へえ」
「鉢屋はなんか偶に勘違いしてるみたいだけど」
「お前の言動の所為だろう」
「かもね、でも今の話題はそっちじゃないんだよ」

 脱線しかけた話題を修正するためにか、勘右衛門はそこで一度会話を途絶えさせた。そして、言葉を選ぶように「うーん」と空を仰いだ。三郎は、やはり黙っている。勘右衛門の口から好きだと言われたことが、親愛の情でしかないと彼の一文からして明らかでも素直に嬉しかったから。勿論、表情に浮かべるような露骨さは見せないように留意している。

「だから、俺はお前のことが好きだから」
「うん」
「それ以上に委員会の後輩のことが大好きだからさ」
「おい、」
「任務帰りで物騒な空気のお前とか、怪我の治療をちゃんとしてないお前とか、それなりに心配してるよ。だからこそなんだよ」
「意味が分からない」
「お前を心配して情けない顔をしてる所を、後輩には見せたくないなあってこと」
「ほう、」

 分かるような、分からないような。筋が通っているような、通っていないような。総じて、曖昧な話だと三郎は思った。そして今度はそれが表情に浮かんでいたらしく、勘右衛門は「三郎って頭悪かったっけ」と責任転嫁甚だしい言葉をぼそりと呟いた。詰まる所、勘右衛門は後輩が大好きで、自分のことも大好きだと。そういうことで良いのだろうか。
 確認すれば、「ああもうそれでいいよ」と何故か勘右衛門の方が妥協してやった風に頷いたので三郎は拗ねたように口を尖らせる。鬱陶しそうに顔を顰める勘右衛門に、三郎もこれは確かに可愛くないなと気付いてやめた。
 こんな所でつまらない言い合いをしている場合ではないのだ。さっさと医務室に行って怪我の治療をして貰わなくてはならない。そして何食わぬ顔で委員会に参加して、後輩と他愛ない話に興じている勘右衛門をにやにやしながら観察することにしよう。情けない顔をする必要がなくなって良かったねなんて、彼はきっと凄く嫌そうな顔をするのだろう。それが、三郎には今から楽しみで仕方ない。
 突然したり顔で口端をいやらしく釣り上げた三郎に、勘右衛門は何かよからぬ気配を感じ取ったらしく。面倒だと言いたげに口端を三郎とは反対にへの字に曲げた。素直になんて、なるもんじゃない。昼休みの終了を告げる鐘の音を聴きながら、勘右衛門は盛大に溜息を吐いた。


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慈しんだら負けになるのか
Title by『ダボスへ』




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