01

 走る最中、ずっと見続けてきた背中がある。それはいつもふらりと自分の前から消えてしまうので、やはりその背中を見失わないよう必死になるし、見失ってしまえば今度は見つけようと躍起になって探すのだ。
 もはやマラソン委員会に改名しても良いのではないかというくらいに走っている。それは四郎兵衛が委員会に入った去年から変わらないスタイルだった。だから、二年目の自分はまだそれなりに着いて行くことができる。が、まだ一年目、入って数か月の金吾には厳しすぎるのだろう。裏山で、自分の後ろを走る彼の息遣いだとか足運びの気配を辿ってそろそろ限界なんじゃないか、そう心配で振り返ってみれば案の定、そこには顔面蒼白な金吾がいて直ぐに走るのをやめさせる。いけどんな委員長は既に自分たちの遥か前方を走っていて、その背中は小さく点のようにしか見えない。なので四年の滝夜叉丸に急いで声をかければすぐに駆け寄って来て、学園に戻ろうと決めた。しかし、金吾の心配ばかりしている内に、四郎兵衛はいつもの背中を見失っていたことに気付いた。無自覚な方向音痴の彼の姿が見えなくなっていたのである。
 このまま放っておく訳にもいかないので、滝夜叉丸には早く金吾を学園の医務室に連れ帰るよう頼んで、七松先輩と次屋先輩は自分が探しておきますと告げれば心配そうな顔をされた。だが直ぐに自分も戻るからと、滝夜叉丸は金吾を背負って学園への道を引き返して行った。

「七松せんぱーい、次屋せんぱーい」

 がさがさと茂みを踏み分けながら、取り敢えず名前を呼んでみる。当然、返事などありはしない。
 まあ、小平太は最上級生であるし、あの無限に近い体力を誇る彼だからと、四郎兵衛もそれほど心配はしていない。ストッパーがいないばかりに普段以上に行き過ぎてしまうことだけは気掛かりだが、それでも時間が経てば帰って来るに違いないと思っている。そんな委員長の彼のペースに、メンバーが着いていけないのはよくあることだ。だから四郎兵衛は次屋を探すことを優先しようと、当初の予定のマラソンコースから外れた小道に足を向けた。下手をして、自分も迷子にならないように気を付けながら。


02

 毎度々々のことながら不思議でならないと、ひとりぼっちの次屋は思った。
 どうしてみんな、マラソンをする度に迷子になるのだろう。下級生の四郎兵衛や金吾はともかく、上級生である小平太や滝夜叉丸までもがだ。
 自分が方向音痴だなんて微塵も思っていない次屋は委員会でマラソンをする度にいつの間にか自分だけひとりで走っている現象が不思議で仕方なかった。だから、委員会のメンバーを見つけた際に、毎度滝夜叉丸が怒り、小平太が笑い、金吾がほっと息を吐く理由が分からない。四郎兵衛はといえば、彼は何故か何かを探すような瞳をして次屋を見詰めている。
 不思議だらけの中で、四郎兵衛のリアクションが一番不思議でならない次屋は、何度も彼の頬をぺちぺちと叩いてみたり、むにっとつまんでみたり、撫でたり伸ばしたりとしてみるのだが、結局お互い意味が分からない、と微妙な空気が流れるばかりだった。
――でも、四郎兵衛が一番に俺のとこ来るんだよなあ。
 はぐれた自覚のない次屋には、四郎兵衛が自分を見つける、という発想はない。一番に自分の所にやって来るのに、最後まで何かを探し続ける四郎兵衛のお目当ての物は一体何なのだろう。別に何だって良い。けれど勝手にはぐれて人の所にやって来て、まるで目当てのものじゃなかったとがっかりされていたとしたら流石にむっとするものがある。
 近くにあった岩の上に腰をおろして、生えていた草をむしっては投げたり裂いたりを繰り返す。ただの手遊び。近くに人の気配はなくて、そればかりか今日の裏山はいつもより静かな気すらして来た。それは小さな心細さとなって次屋の胸に入り込む。

「みんなどこ行ったんだよ」

 今日初めて一人になってから発した声は、思った以上に弱々しいものだった。


03

 小平太がふと振り返ってみると、可愛い後輩たちの姿が見当たらない。どうやらまたいつものように途中に置き去りにしてきてしまったようだった。自覚はあるけれど、いかんせん加減というものが苦手な為、今日も今日とてメンバーと離れてしまった。
 慌てはせずに、だけど最速で来た道を戻るけれども、人の気配は見つけられない。ならば学園に戻っているか、また途中ではぐれた次屋を探しているか。一瞬迷ったが、まだ陽が高いことを考えると後者だろう。小平太は、いけいけどんどーん、と気合を入れてマラソンコースを逸れて走り出した。
 暫く走って見て来たのは小さな青い装束姿。小平太の近づく気配を察したのだろう。直ぐに彼の方を向き「いた!」と指をさして叫んだ。

「あれ?四郎兵衛ひとりなのか?」

 もう逃がさないようにと、小平太の装束の裾を捕まえながら、四郎兵衛は金吾の体調から始まり次屋の失踪までを手短に説明した。元より長々しい言葉など必要ない簡潔な事態である。四郎兵衛が次屋を探していると理解した小平太は、彼の言葉がまだ終わらないうちに彼を担ぎあげて肩車した。突然のことに驚く四郎兵衛をよそに、小平太は動物的な直感で、次屋は近くにいるような気がしたので、その勘に従って思った方向に走り出す。こうなれば、四郎兵衛はうっかり舌を噛んだりしないように、しっかりと口を引き結びながら小平太にしがみつくしか出来なかった。


04

ひとりぼっちの次屋はなんとなく、最初に立ち止った場所から動けないままでいた。いつもなら、もうそろそろ誰かが自分の元に来る頃なんじゃないか、と思いながらぼけっと座り続けている。
 そんな風に空を見上げていると、どこからか草を掻き分けながら進む音が聞こえてくる。そして、どんどん近付いてくるその音と気配に、次屋の中の無意識な心細さが払拭されて、座っていた岩から飛び降りる。
――ガサリ、
 物音と同時に茂みから飛び出してきたのは委員長の小平太で、その肩には四郎兵衛を乗せている。
 変な登場の仕方をするものだ。言葉にしないまま、そんな感想を抱く。肩車されている四郎兵衛は、小平太の人間をひとり背負っているとは思えないほどの走りのスピードが怖かったのか涙目になっていた。

「三之助見っけたー!」

 いつものように豪快に笑いながら次屋を指す小平太は、自分の頭上にある四郎兵衛の表情は全く見えていないので、今にも泣き出しそうな様子にもまるで気付いていないようだった。
 仕方ないなあと頭を掻きながら、次屋は小平太へと歩み寄り、四郎兵衛を渡すよう要求する。別に、降ろしてやれと頼めば良かったものを寄越せと言ったのはやはりひとりぼっちだったのが寂しくて、それから解放された安心感を実感したかったからだろう。その上で、人の熱は何よりも効果的だ。

「次屋先輩、僕、おんぶがいいです…」

 小平太から四郎兵衛を受け取ろうとした瞬間、四郎兵衛は未だに涙目ながらにか細い声でそう言った。発言の意図はまあ知らないが、拒む理由もない次屋は大人しく背を向けて、小平太はそこに四郎兵衛をよっと乗っけてやる。三年の中では長身の次屋と、二年の中でも小柄な四郎兵衛。
 次屋は軽々と四郎兵衛をおんぶして、上体を捻ったり揺すったり、赤ん坊をあやすような動きをしてみせた。そして、そんな二人を小平太は「兄弟みたいだなー」と笑って眺めていた。

05

 とにかく、金吾の様子も気になるから一先ず学園に戻ることにする。今度は決して走らずに、次屋は四郎兵衛をおぶったままで。背負われた四郎兵衛はまた次屋が道を逸れないようにと小平太の装束の袖辺りを掴んでいた。

「金吾大丈夫ですかね」
「滝夜叉丸がついているなら大丈夫だ!」
「はあ、そうっすか」

 根拠になるのかならないのか、微妙な理由で太鼓判を押す小平太の言葉に、次屋は今一つ納得しきれていない顔で頷く。しかし、背中の四郎兵衛も大きく頷く気配がしたから、この話題はこれでお終い。自分たち以外の気配が全くしないこの空間では、風が木々の葉を揺らす音すら大きく響く。まだ明るい午後の爽やかな空気の中を、急ぐでもなく歩いて学園に帰るだなんて、この委員会に入ってから初めてのことではないだろうか。歩きながら考えていると、背中の四郎兵衛が段々とずり下がって来てしまったのでよいせと背負い直す。どうやら彼は次屋の背中で眠ってしまったようだった。

「三之助は四郎兵衛の兄ちゃんみたいだな!」
「はあ、」
「…?嘘じゃないぞ!」
「別に疑ってないです」
「四郎兵衛が三之助の背中追いかけてる時の顔は、本当にお前のことが大好きって感じだしな!」
「…背中?」

 背中限定なのかと、少々気になったが、それ以上にどうしていつも自分たちよりずっと前を走っている小平太が自分の後ろを走る四郎兵衛の表情を理解しているのかが分からなかった。委員長とは、そうしたことも理解出来なくては務まらないのだろうか。
 疑問は尽きることはなかったけれど、なんとなく、三之助も一つ理解する。四郎兵衛はいつだって自分の背中を探していたのだと。その答えは、三之助の中にすとん、と落ちてやがて溶けた。
 急に後輩としての四郎兵衛が可愛らしく思えて来て、むずむずする。先輩と後輩。自分を慕ってくれているという事実。それら全てを噛みしめながら、もうひとりの可愛い後輩の元へ急ごうと、三之助は一歩踏み出した。


06

 医務室で横になりながら、熱中症と思しき症状の落ち着きを見せた金吾はといえば、布団にくるまってべしょべしょと頬と布団を濡らしながら泣いていた。体調不良の心細さより、自分だけが先輩たちの背中に着いて行けないという情けなさに負けている。 そんな金吾の背をぽんぽんと叩きながら、滝夜叉丸は保健委員長の伊作の小言にただ申し訳ありませんと頭を下げていた。

「まったく、小平太はまた後輩に無理させてしょうがないなあ!」
「いや、でもそろそろ気付いて引き返してくる頃だとは…思います」
「だといいんだけどね」

 ちょっとトイペの補充にいってくるよ、と伊作は立ち上がる。いってらっしゃいませと見送りながら、不運体質な彼は一度ここを出たら暫く戻ってこれないだろうと予想する。滝夜叉丸の同室は、今日もせっせと学園中に穴を掘っているだろうから。
 ぱたん、と医務室の戸がしまると、室内は途端にしんと静まり返った。時折、ずずっと金吾が鼻をすする音だけが響く。
 滝夜叉丸には、金吾が涙する理由も察せられるし、それは言葉で諭してやるよりも時間と己の努力のみが解決してくれるものだと経験上知っているから、ただ布団越しに金吾の背をさすってやるしか出来ない。最初から、あの小平太のペースに着いて来られる新入生などどこを探したっている訳がないのだから、そんなに落ち込む必要はないというのは、金吾に対してあまりに無粋だろう。自分でさえ未だにしんどいよ、と言うのは、無駄に高いプライドが邪魔をして言えない。上手い励まし文句も浮かんでこないなら、黙っていた方が良い。
 四朗兵衛は、無事小平太と次屋と合流できただろうかと、それだけが心配で戸の方へ視線だけ向ける。裏山は、ここからでは見える筈もないけれど。

「滝夜叉丸先輩…」
「なんだ?」
「…すいません」
「気にするな。私も三之助も四朗兵衛も最初はよくぶっ倒れたものだ」

 過去の自分なら、持ち出してもさほど癪に障らない。二年しか離れていない委員長との差をまじまじと感じ始めたのは、案外今よりもずっと昔のことかもしれない。後輩に打ち明けるような内容でないから言わないだけで、滝夜叉丸はいつだって自分の力不足を痛感し、精進せねばと自分を戒める。不思議と、嫉妬なんて感情を小平太に向けることはない。自然体過ぎる人だからか、そういう負の感情を向けても無駄だろうとは感じている。
 うつらうつらと、眠りの海に舟を漕ぎだしたらしい金吾の意識を起こさぬよう、滝夜叉丸はもう少しと彼の背をさする手を止めない。子供らしい無防備さは、自分に少なからず気を許したからだと都合の良いように解釈しておく。
 そうして金吾が眠りに落ちて暫く経った頃、バタバタととても忍を目指しているとは思えないほどのにぎやかな足音が近づいて来て、この部屋の戸を乱暴に開き見慣れた三人が駆け込んで来るのは、あと少しだけ先のことだ。


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収集のつかないやさしさ
Title by『ダボスへ』



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