先輩みたいなお兄ちゃんがいたら良かったのに。伊助が嬉しそうに頬を綻ばせながら呟く度に、久々知は曖昧な優しい笑みでその言葉を受け流す。伊助はいい子だから、そう幼い後輩の頭を撫でてやれば伊助はますます嬉しそうに笑みを深くする。歓びのループのように映る光景が、結局どちらも一方通行であることに気付いているのは、久々知本人だけだった。
人数が少ない委員会というのは、仕事量だけで見れば面倒だ。それでも、こうして幼い手を二つしかない自分の手で引いてやるにはうってつけだった。無理をせず、頼りなさい。諭すように、微笑みながら囁けば純粋な伊助はあっさりと久々知に懐いた。一つ年上の三郎次とはこの学園の伝統も相まって、二人きりにすると直ぐに三郎次が余計なちょっかいを出すということもあってあまり懐いていない様だった。だから、その反動として伊助はどんどん久々知に懐き、その思わぬ結果は彼を大いに満足させていた。

「タカ丸さん、ここ間違えてますよ」

 そう広くない火薬庫の中、作業に没頭しているようで実際は回想に没頭していた久々知の意識を、突然響いた伊助の声が引き戻す。視線を動かせば直ぐに斎藤タカ丸に、火薬の確認票の記入を間違えていたらしい彼に訂正を入れている伊助の姿が目に入る。自分より大分背の高いタカ丸の手元を覗き込む為に背伸びしている姿は見た通り年相応で少し安心する。だがしかし、タカ丸との距離が近過ぎやしないか。近過ぎたとしてなんだと言われれば答えに窮する他ないのだが、それでも自然と顰められる眉をどうすることも出来ない。
 タカ丸は呑気にありがとう、とミスを修正してまた作業に戻る。伊助もどういたしまして、とよく出来た子供のように答えて作業に戻った。その一連の光景を、視線を大分伊助側に寄らせて眺めながら思う。
 大事に、してやりたい。守ってやりたい。好きでいたい。どれだけ愛しさを募らせても、駆け寄ってくる伊助を抱き上げてやることは出来ても自分から抱きしめに行ってやることは出来ない。想いの丈の違い以上に、既に彼の知らない暗闇に片足を突っ込んでしまった故の後ろめたさが久々知の行動を縛ろうとする。この手で抱き上げるには、伊助はきっと綺麗過ぎるのだろう。もしくは、綺麗であって欲しいと思っている。

「伊助、おいで」
「久々知先輩?」

 おいでおいでと手招きすれば、不思議そうな顔をしながらもあっさりと駆け足で自分の元へ寄ってくる。よくないなあ、これは。優しさの刷り込みで懐柔したのは他でもない自分自身なのに、どこか釈然としない気分になる。委員会の最中にも拘わらずひょいと抱きあげれば伊助は勿論その様子を見ていたタカ丸や三郎次も何だ何だと注目しているのが分かる。別に今ここで伊助になにかをしようとかそんなことは考えていない。警戒心を持てなんて偉そうに説教出来る立場でもない。これから先この学園で日々を過ごす内にそういったものは少なからず身についていくものだ。では何故伊助を呼び寄せて抱き上げるのか。久々知もよく分かってはいないのだが取り敢えず抱き上げた伊助をそのままぎゅっと抱き締めてみる。

「久々知先輩、具合悪いんですか?」
「んー、良く分からないや」
「……ちょっと苦しいです」
「そっか、」

 ごめんね、と地面に降ろしてやる。相変わらず不思議そうに久々知の顔色を窺がい体調の良し悪しを見極めようとする伊助は本当に母親みたいだ。久々知からすれば小さすぎる身長、掌、その全てで自分と向き合う心が大きすぎて、ついまた降ろしたばかりの伊助を抱き上げてしまいたくなる。何だ、最早自分は只の変態じゃないか。
いやいやこれは人間としての可愛らしい物を前にした時の自然な衝動なのだと内なる葛藤を繰り広げる。

「…伊助は可愛いなあ」

 口を微かに動かすだけの、殆ど空気だけの言葉は目の前の伊助にすら届かなかったらしい。愛でるだけの対象ならばそれだけで十分じゃないか。だけど去年の自分を振り返ってそんなに三郎次に抱き上げたりしてやったかと言えば全くそんなことはなく。尤も彼の気質的に大人しく年上に抱きあげられたりはしなかっただろう。だから自分は、まるで言い訳のように延々と続く言葉。誰にする必要もなく、だけどしなければ久々知の中の琴線があっさりと千切れてしまいそうな気もする。
 段々と、タカ丸と三郎次が久々知に向ける視線が訝しげな色を帯びてくる。大して気には留めないけれど、一人になりたくて今日の委員会の終了を宣言する。納得いかないような二人ではあったがその後の予定でも入っていたのかねぎらいの言葉と共に火薬庫から出て行った。ただ一人、伊助を残して。

「まだお仕事終わってませんよね?」
「うん、でも良いんだ。今日はここまで」
「先輩一人でやったりしませんか?」
「はは、しないよ。続きはまた今度だ」

 穏やかに交わされる会話の中、久々知の意識はぐらぐらと揺れる。心配という意識の元自分から離れようとしないこの幼い子へ向ける自分の不確かな感情が、一気に外へ出ようと暴れ出して、それを抑えようとすればするほどタイミングが悪いのか伊助は自分との距離を詰める。
 無防備すぎやしないか。揺れる意志の責任をあろうことか伊助の所為にしたいのか、ちらりと火薬庫の入口を見る。開け放たれたままの扉を、今ここで伊助の横を通り抜けてしめ切ってしまえば、流石に伊助も自分を疑って脅えて、警戒するのだろうか。
 しかし、その感情を啓発させて自分はどうしたいのだろう。どうして自覚させたいのだろう。段々と薄暗い方向へ向かう思考はどうやら今回ばかりは止められない。

「久々知先輩?」

 ほら、そうやって呼ぶからいけない。あっさりと瓦解した自制を受け入れて、自分を見上げる伊助の口に噛みつく。
 やっぱり警戒心なんて抱かなくてもいい。全部全部、自分が独占してしまえば良い話なのだから。


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多少強引でも構いませんか
Title by『にやり』




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