鷹山が教員を目指すと言い出したのは大学に進学してからのことで、彼の数少ない友人等は大体がまあ良いんじゃないと適当にその背を押す者と、人見知りの上に特別子ども好きでもない彼に教員が務まるのか疑問視して沈黙する者の二通りに分けられた。因みに、当時高校を卒業すると同時にアメリカへ留学してしまった豹はといえば彼が教員を目指すことを決めた時にはやはり日本にいる筈もなく彼の志を知るころにはもう大学四年の春過ぎに教育実習を終えていた。端から鷹山は他人の意見など珍重しない人間だったので、意図して豹に自分の将来の指針を隠したつもりはない。似たようなことは高校時代からも度々繰り返されていて、大学進学の際も鷹山は豹に自分の志望校を無事試験に合格するまで明かさなかった。だって彼は部活を引退する夏頃から卒業後は日本を出ると豪語していたから、日本に残り学生を続ける自分の居所など知らせる必要が無いと思っていた。言った所で、豹はそれが何所に在るか、どんな特色があるかなんて理解している筈もない。彼が進路指導室などでそういった情報を調べている姿を、鷹山は知らなかった。
 大学生活最後の一年は、これまでの三年間を授業姿勢に於いてのみ真面目を貫いた鷹山にはかなりゆとりを持って臨むことができた。単位は残すところ卒論と学科の必修のひとつふたつを落とさなければ卒業できる。教員を目指している鷹山は他の学生と就職活動の時期も内容もずれていた。だから、気紛れに大学生の長い夏休みよりも前に日本に帰国した豹の怠惰な生活に朝から晩まで付き合うことも、数日間だけならと鷹山は少しも厭わなかった。
 もはや年単位ぶりの再会となるのだが、鷹山は一瞬豹の身長が高校時代から伸びているのか変わっているのかよく分からなかった。高校での部活を最後に、バスケ漬けの生活から身を引いた鷹山は、いつの間にかもう他人の身長にあまり目を止めなくなっていた。日常生活で身長差による不利益を被ることはさほどなかった。バスケのプレイヤーとしては低いと位置づけられていた鷹山も、バスケを離れればそれほど目立って低いとは思われない程度に身長を伸ばしていた。

「よーざん先生になるってマジかい?」
「うん。この間教育実習行ってきたよ」
「大栄?」
「違う。中学だから」
「ふーん」

 隣り合いながら、二人は豹の大学の敷地内を目的なくぶらぶらと散策していた。鷹山の大学を見てみたいと言い出した豹の提案を、鷹山は二つ返事で快諾した。大学に溢れ返る人ごみの中にはいつだってそこに籍を置いていない人間が混ざっていて、その大半は気付かれることも浮くこともなく平然としていることを知っている。高校の時は目立って仕方なかったオレンジの頭髪は未だに変らず人目を引くだろうけれど、今日一日なら目を奪われた人間も明日には忘れているだろうと鷹山は通い慣れた道を始めて豹を伴って歩く。
 流石に講義中の教室には入れないけれど、それはきっと豹も要求しないだろう。勉強なんて昔から嫌いだった。鷹山も好きではなかった。だけど今、自分は教員になりたいと人目を憚らず口にする。倍率とかそういう障害となる面から叶わなかった際の情けない自分への遠慮から沈黙するのとは違う。本来なら言葉にせずとも彼の挙動を見ている人間なら察せられる程度のことなのだ。教員になるには大学でそれ専門の講義を受講しなければならないのだから。
 ふと、隣りを歩く豹を見上げる。彼は初めての場所に様々に目移りしながら「ほー」などと感嘆の声を漏らしている。この場所に慣れてしまった鷹山には感じ得ない何かを彼は感じているらしい。単なる真新しさかもしれないが。思えば高校時代は彼が道標だった。実力があれば良いのだと思い込んで、迷わずに自分を肯定して歩き続ける為の安定剤だった。自分に何が足りないのかを最初から自覚しても、その不足を正確に補えない現実にくじけないよう必死だった。四六時中傍にあった大栄バスケ部のレギュラーとしてコートに立ちたいという願望を実現する為に必要な努力は惜しまなかったけれど、それはひとりでは無理だったと今になると妙に達観した心地で振り返ることが出来る。随分とあの場所が好きだった。それは自分が努力した成果がそこにあるからなのか。好きだからそこに成果が残ったのか。今となっては鷹山には分からないことだ。隣にいる豹が、今になって高校時代を振り返った時どんな感慨を抱くのかも、鷹山には分からない。

「……アメリカ楽しい?」
「おうよ!毎日バスケ三昧さね」
「それは…昔の僕が聞いたらすごく羨ましいと思うんだろうね」
「鷹山はもうバスケやらんのかい?」
「偶に。この大学バスケ部あまり真剣じゃないんだよね」
「なんでそんな大学入ったん!?」
「え…別にバスケ基準に選んでないから。それなら体育大行って体育の教育免許取るよ」
「ふーん」
「何か不満?」
「んー。高校の鷹山のイメージと離れ過ぎてて良く分からん」
「そう」

 正直な豹の感想は、鷹山は高校時代の知人に会うとよく言われるので意外でもなかった。殆どの人間が鷹山の変化を大人になったと褒める。正確には、褒めているつもりでいる。鷹山にはそれが褒め言葉かどうかは大した問題でもないし、そう言われる前の自分が悪かった訳でもないと思っているから彼等が感じた差とやらも知らない。
 そして豹の場合大人になったと感じたというよりバスケをしていないのが変だというその一点しか見ていないことに鷹山は安堵に似た気持ちを覚える。バスケという点でしか自分を判じ得ない彼はきっと昔から変わらず今もバスケ漬けの生活を謳歌しているのだろう。羨ましくはない。ただ自分の抱き続けた豹のらしさが損なわれていないことが嬉しかった。

「鷹山が先生になったら――」
「ん?」
「呼人みたいに不真面目な奴をぼっこぼこにしたりするんかい?」
「……僕の記憶の限りでは呼人にぼこぼこにされてた不真面目な奴は豹だけなんだけど」
「えっ」
「自覚なかったんだ?後ぼっこぼこにはしない。最近いろいろうるさいしね」
「おっ、それ呼人もなんか言ってた気がする!」
「僕はまだ教師じゃない」
「…卵?」
「…それも違うと思うよ」

 他愛ない話をする。今と、昔と。入れ替わり立ち替わり転換する話題は普段口数の少ない鷹山には少しだけ疲れる。だけど相手が豹だから、中断することもなくだらだらと喋り続けた。来週には日本を再び経つ豹と、次にこうして面と向かって言葉を交わす機会がいつ訪れるのかは定かではない。偶にするメールのやり取りは義務ではないし、惜しむほどではない継続させようという揚力のいるもので、会話と呼ぶには味気ないから。
 この次豹と再会する時、果たして自分はちゃんと教師として社会に出ているだろうかと思案して、そうあれるよう努力しようと思うに留める。今想像を展開しても何の意味もないことだ。
 鷹山は、豹のこれからについて一切の質問を投げない。きっと尋ねれば豹は応えてくれるだろう。さほど困難にぶち当っているようにも見えない。隠し立てなどされる要素は見当たらない。だけど鷹山は尋ねない。豹は今もバスケを続けている。それだけで鷹山は満足だ。
 隔たれた距離は日常を共に過ごすことを良しとしない。もう教科書や辞書を貸すことはない。テスト勉強を一緒にすることも、寮の部屋を行き来したり、教室から体育館までの道のりを一緒に歩くこともない。自分はもう、毎日のように手にしていたボールに執着することもない。それでも、良いのだ。大人になったとは言わないが、きっと子どもでもなくなってしまった。豹だって同じだろう。緩やかな時間の中で少しずつ変わっていく自分たちが、未だに声を掛けるだけで自然に隣りを歩いているだけで充分だと鷹山は思う。
 何だか真面目に考え過ぎてしまったかも知れない。我に返って、鷹山は歩を止めて豹を呼び止める。数歩先で立ち止まった彼に試しに一つくらい講義を聞いていくかと投げれば途端に顔を顰めたのを見て、鷹山は目を細めて「だろうね」と呟いた。開いてしまった数歩の距離を埋めて、食堂には行くだろうと尋ねればすぐさま気を良くして歩き出す豹に鷹山はもう一度小さな声で「だろうね」と呟いて、食堂への道を歩き出した。


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かくも地球に焦がれてどんなにお前が走ってきたかを俺は覚えている
Title by『ダボスへ』



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