二年に進級してからというもの、授業中、無意識に右隣に向けてしまう視線だとか、落とした消しゴムを拾ってくれた時に礼の後に自然と呼ぼうとしてしまう名前だとか。数週間前までは当たり前だった光景が唐突に脳裏を過ぎって、空は今日も胸をざわつかせながら躍起になって隣から視線を外そうと窓の外を眺める。その度に教師に注意と共に当てられて、外を見ていたが為に開いているべき教科書の頁すら曖昧で、やはり少し前なら自分を助ける小さな声が在ったことを思い出し、空はクラスメイトの視線など気にもせずに大きな溜息を吐いた。その吐き出した息に籠められていた寂しさに似た気持ちに気付く人間などこの教室内にはいないのだから、どうでも良いと思えた。
 休み時間、次が移動教室でもなかったので自分の席に着いたままぼんやりとしていると、誰かに呼ばれてるよと肩を叩かれた。はっとして視線を巡らせれば、入り口に新見の遠慮がちに手を振っている姿があった。

「新見さん」
「いきなりごめんね」
「ううん、大丈夫。どうしたの?」
「あの…、お昼休み良かったらシューティング付き合って貰えないかなって思ったんだけど、」
「…?うん、良いよ」

 どこか後込みした言い方をする新見に、空は理由が分からず疑問に思ったけれど、敢えて尋ねることはしなかった。同時にそれが自分の中で蘇った記憶が思考の大半を占領してしまって、言葉に出来なかっただけのこと。昼休みの予定なんて、以前ならもっと気楽に埋められたのに。じゃあねと要件だけ告げて自分の教室に戻ってしまった彼女の背中に掛ける言葉はまた同じようにじゃあね以外に見つからなくて、もう予鈴が鳴ったのだと気付くのにそれから暫くの時間を要した。
 後一時間で昼休み。授業中でも空は既に一時間後のことを考えている。体育館に行くのは、昼ご飯を食べてからで良いのかな、だとか集合は体育館で良いのかそれともどちらかが教室まで声を掛けに行って一緒に体育館まで向かうのか。シューティングに付き合うの言葉だけでは、曖昧な部分が多すぎるのだと、空は今この瞬間に自覚した。それでも同じクラスだった時には、お互いが探せば収まる視界の範疇で生活していたから問題なかった。少し相手の様子を伺えば簡単にペースを合わせることが出来たのだから。
 窓の外を見る。校庭の隅に並んだ桜は徐々に散り始め、吹き抜ける風は心地良い。春は、気持ちの良い季節だと空は思っている。そう思うのとは裏腹に、何かが萎んでいってしまうような感覚にも確かに襲われているのも事実で、空はその空気が抜けたように萎んでしまった何かの原型を取り戻すために考える。風船に、空気を吹き込むように。
 授業に取り組む体裁だけでも整えて置こうと手にしていたシャープペンを一回転。ぱしっと指ではなくしっかりと握り直して同じ手で筆箱の中から芯を探り当てる。手にした小さなケースに入った芯は残り数本で、これは明日にでも買っておかなければなるまい。次はもっと濃いのにしようかと思案し、その焦点がずれているような気がして、それならば修正をと思うのに、空の手はずっとシャー芯のケースの蓋を開けたり閉めたりとを繰り返している。
――新見さんのは、HBだったんだ。
 以前、一度だけ空は授業中に新見に頼まれて芯を分け与えたことがある。正直半分以上睡眠状態に足を突っ込んでいたのではっきりとは覚えていない。それでもその場だけでなく授業を終えてからも改まって礼を言われた記憶だけは鮮明に残っていて、彼女の真面目な性格がまたイメージとして重なっていく。
 その後、新見は空に貰ったのと同じようにとシャープペンの芯を二本くれた。あれは恐らく、お礼の一本が余分に追加されていたのだろう。言葉だけで、充分だったのに。空は思ったけれど、言わずに素直に彼女から芯を受け取って、シャープペンではなく芯のケースに仕舞った。筆箱に放り込めば中でごちゃごちゃと揺れて、一瞬で他のものと区別出来なくなった。そして、その時は何にも感じなかった。
 あの時貰った二本は、もう使用してしまっただろうかと、空はケースの中の数本を凝視する。確か、芯はあの時からまだ買い直していない筈だ。そして、芯を新しくしても、見慣れた色の濃淡に違和感を覚えたこともない。もし使ってしまっていたのなら、それは自分と彼女の使っている芯の濃さが一緒なのだろう。だから何だと自問して、別にただそれだけだと自答する。チラリと覗き見た右隣の生徒のノートは、自分のよりも綺麗で少しだけ濃いような気がした。

「車谷、この問題解いてみろ」
「――え、」
「問2だよ」
「すいません、解らないです」

 ついでに自分の気持ちも解らないです先生。
 空が話を聞いていなかったことを承知で当てに来るのだから、教師とは意地の悪いものだと思う。意地以外では、全て自分が悪いとは百も承知だ。
 開いている教科書の頁が正しいかも分からないまま、終業のベルがなり昼休みに突入した教室はがやがやと賑わい出す。空は、新見との約束を頭に置いて、昼ご飯をどうするべきかと暫く机上を整理することもせずに思案した。先に食べておくべきだろうとは思う。昼休み中シューティングをするのなら、今までもそうだったのだから。
 頭ではそう思うのに、空の体は自然と昼食を手に立ち上がり歩き出していた。先に新見を迎えに行って、まだ彼女も食べていないようだったら体育館で一緒に食べようと誘ってみよう。今までにはなかったけれど、話したいことはそれなりにあって、だけど会話に費やせる時間はめっきり少ないのだから。
 数十秒後、空は向かいから同じように昼食を手に歩いてくる新見と遭遇し、お互い同じことを考えていたのかとはにかむように笑い合うことになる。寂しさをはっきりと自覚することも出来ない、曖昧な気持ちのままで。


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さよならに見えない
Title by『告別』




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