その人に向けた感情は、きっと途方もない憧れだったに違いない。
 空が白石に抱いた感情に、それ程深い経緯も意味もありはしない。ただ彼のようになれたらと思っただけのこと。チームでのポジションと役割から見れば空ではなく千秋が憧れて然るべき相手だったが、彼が白石に憧れる日は永遠に訪れはしないだろう。千秋にとって、白石は勝ちたい相手であって、憧れて追いかける対象ではない。空が白石に憧れるのは、彼と競ったとして最終的にチームが勝てば良いと優先順位がはっきりしているからだ。空が勝ちたい相手は、初めから白石ではなかった。だからある意味、空が白石に抱く憧れは、最も強固と呼べるものではなかったのだろう。


 全てを賭けた夏が終わり、当たり前として秋が訪れる頃、大学には当然のように推薦で進むらしい白石に、空は何も言わなかった。頻繁に連絡を取り合う仲でもなく、学校も学年も違う二人はバスケ以外ではひどく怠惰だった。練習が終われば帰宅して食事入浴睡眠を規則正しい順序で行うだけ。勉学を挟まない生活の結果で悩むのはテスト前だけだった。
 それでも一般受験よりも早い時期に進学を決めた白石からの「決まった」という簡素なメールに此方も「おめでとうございます」とたった一言で返してしまったことを、空は数日の間思い返しては他に言いようがあったのではないかと悩んでいる。自分が頭を使って長々と祝い文句を綴ってもそれ程沢山の語彙が連なるはずもないし、言いたいことはおめでとうの一言に帰結するのだし、間違えたわけではないだろう。それでも小さな繋がりすらあっさりと手放してしまう自分の迂闊さばかりがチラついて空の思考を曇らせた。
 きっとこのまま離れて行くのだろう。なんとなく、空は白石との関係を楽観的に悲観していた。矛盾しているけれど、自分達が一緒にいられる未来なんて想像が着かないし、出来たとして、それを幸せと呼んでは白石に失礼だろうと思えた。現実の厳しさや無情さはそれなりに経験して来たつもりだし、それは自分だけではく誰の前にも壁として立ちはだかるものだと理解している。ただそこに、その壁を乗り越えられる人間と乗り越えられない人間の差が生まれることも現実として存在している。
 空は、白石は壁を乗り越えられる人間だと信じているし、それが憧れ故の偶像だと言われても意見は変わらない。いつか彼が夢としたアメリカの地にバスケの為に立つ日が来ようとも来るまいとも、問題ではなかった。それだけの時間が流れる頃、自分は白石とは何の関わりもない人間として生きている。それだけが空の確かな予感だった。

「英語は苦手なんです」
「………」
「英語だけじゃないですけど」
「…だろうな」
「白石さんは英語得意ですか」
「苦手ではないな」
「そうですか」

 久し振りに直接交わした会話はありきたりで、また自分の学力の無さを今更ながらに露呈しているだけで少し虚しい。自分が口を噤んでしまえばそこで会話が途切れてしまうことは分かっているけれど、他に上手い話題も持ち合わせていなかったので結局空は黙ることを選んだ。
 待ち合わせたストバスのコートは閑散としていて、白石と空以外の人影は見当たらなかった。その白石と空も、別にバスケを目的として此処にやって来た訳ではなく、二人とも制服という運動には不適切な格好をしていた。それでもバスケットボールだけは持って来ている辺りに二人の本質的な繋がりが露わになっている。
 基本的に空は自分から白石に接触を求めようとはしない。いつでも会えるからとか、いつ会えるか判らないからとかいう都合の良し悪しではなくて、いつ会えなくなっても仕方ないのだからと普段から当然として訪れる別離に備えているだけのこと。白石がそんな空のスタンスをどう受け止めているのかは分からない。きっと何とも思ってはいないのだろうな、と空は苦笑する。
 「土曜の四時辺りから会えるか」と寄越されたメールに、空は今度は「会えますよ」と一言、「場所はどうしますか」ともう一言を添えて返した。何度か折り返すメールを珍しいと思ってしまう自分に、空はお互いの無精と曖昧な関係を自覚する。そしてこのまま、消えることはあっても濃くなることがないように。白石の形跡を消すように受信フォルダに積もった彼からのメールを削除するようになった。携帯のメールを弄ったくらいでは、空の気持ちまで即座に削除されて行く訳ではないのだから、ある意味無意味な行為でもあるそれは、空にとっては予防線で、意味があると思い込んでいたい行為だった。

「……そろそろ寒くなりますね」
「ああ、」
「陽もどんどん短くなりますね」
「ああ、」
「………」

 聞いているのか、いないのか。自分の話題選びが下手なのか。どちらにせよ、空は空気の悪さに苦笑するしかない。白石からすればさほど悪くはないのかもしれないが、呼び出された側であるにも関わらず脳味噌を使って必死に何か喋らなくてはと焦る空には正直今すぐ帰りたいと思う程に気まずかった。
 それでも、白石が自分から呼び出したのだから何らかの用があるのだろうと空は必死に足をその場に縫いつけようと堪えている。

「白石さん、今日は何か用があったんじゃ―」
「別に、」
「…え、」
「別に用なんてない」
「はあ…。それはまた…えっと…」
「ただ会えたから。会おうと思っただけだ」

 何故、とはあまりに無神経な気がして、空は聞けなかったし、聞いても白石は答えてはくれなかっただろう。
 そして、聞かなくて良かったのだと思う。白石の口から、何か答えを聞いてしまえばそれが決定的な要素となって空に彼に対する執着を与えてしまうような気がした。それは、空にとってとても怖いことのように思えた。近過ぎず、寧ろ遠いくらいの距離を保つべきなのだ。自分が白石に向ける気持ちを憧れと呼んでいたいのならば。だから、白石の言葉に、自分の胸に広がった感情が戸惑いではなく喜びだったことを、空は本人に悟られないよう、また苦笑を浮かべることで誤魔化す。
 白石は、もう何も言わなかった。


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恋とは違う盲目的で美しい感情
Title by『告別』



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