――ああ、ハロウィンか。
 近頃、瀬名が購入してくるケーキを初めとする菓子類の味にパンプキンが存在を主張する様になったことに、危は合点が行った。暫く自分の心臓血管外科の手術が続いたこととその後処理などで小児外科の部屋を訪ねる頻度は減っていた。それなのに寂しがるどころかお菓子時にしかやってこないことを咎められてしまうのだから冷たいものだ。それとも、馴染んでいるからこその仕打ちだというのだろうか。
 冷蔵庫にケーキを仕舞ったであろう張本人の瀬名は回診か他の用事かで出払っているらしい。というよりも危以外は誰もいない状態で、それでも時間帯を見越して冷蔵庫には瀬名の文字で危宛てに『ケーキはひとり一個まで!』との注意書きが残されていた。先手を打たれて指摘をされるとそこまでがめつくはないと主張したくなるが、何も言われなければ軽く二つは平らげていたかもしれないので、危は大人しくそのメモに従うことにする。冷蔵庫から取り出した箱を開けると、まだ誰も手を付けていないらしく種類のばらばらなケーキがきっちり詰まっていた。そしてその内の半分が見たことのない新作メニューらしきことに気が付いて、危はハロウィンが近いことを漸く思い出した。
 小児外科にあるお菓子を我が物顔で平らげることになんの躊躇いも持たない危だが、そこまで菓子類ばかりをこよなく愛している訳ではない。単にいけばあるという状況が魅力的なのである。そして一仕事臨むには神経を張りつめる業種でもあるから、糖分摂取出来るという点は尚宜しい。それでもハロウィンは子どもが楽しむ行事という印象が強いので、自然と危の意識には引っかからない催し物となっていた。自宅に帰るのが面倒くさいと病院にこっそり住み着く不精な性質も影響して、季節感なんてものも殆ど気にしない。
 そんな危に比べたら、小児外科医である西條命辺りは子どもらしい行事にこそ興味関心を示すのだろう。院内学級にまで子どもたちの為とあらば飛び込むような男である。味気ない入院生活に子どもたちの心が萎んでしまわないように適度な刺激を。ハロウィンなんて、格好の娯楽と言えるだろう。流石に入院患者である子どもたちにハロウィンらしい仮装をさせることは出来ないし、お菓子を貰いに練り歩くことも出来ないだろうが。

「巨大カボチャを買ってきてジャックオーランタンを作ろうと言い出した時は流石に止めました」

 暫くして戻ってきた瀬名は、危がぽつり吐き出した意見をあっさり肯定した。「西條先生はハロウィンを凄く楽しみにしてるみたいですよ」と。衛生問題とか、やるならばやるで全員平等にだとか、作業の時間確保だとか。決して暇な科ではないというのに命は一度やろうと思い立ってしまうと何処までも精力的な男だった。長年アメリカで生活していた所為もあるのだろう。ハロウィンで盛り上がるのは本来欧米の文化だ。
 洗い物が増えてしまっては申し訳ないと、ケーキを直接掴んで被り着こうとした瞬間、瀬名が扉を開けて彼の態度を行儀悪いと叱った。危には自分で洗い物をして戻しておくという選択肢がないというのに。丁度いいから自分の分のお皿も出すし、ついでだからお茶も淹れるのでもう少し我慢するようにとのお達しに、危はしぶしぶながらに頷いた。勝手に食べることには何の抵抗もないのだが、提供者から目の前で支持を出されるとつい従ってしまう。最低限の礼儀なのかもしれない。危にも、良くわかっていない。それが、瀬名が言うからなんて理由だったら、何となく嫌だ。反抗期を知らない、母親の言うことには兎に角従おうとする子どもみたいだ。自分と彼女の間に在るのは、そんな古臭い物じゃない。

「ハロウィンって言えば、西條先生の提案で子どもたちの病室に飾りつけをすることにしたんですよ」
「カボチャ置くのか?」
「いいえー。最初はスノースプレーで窓に絵をかくのも考えたんですけど匂いとか考えるとあまり良い案じゃないし、そもそも黒いスプレーはないみたいで雰囲気出ないしで。なので天井から子どもたちの手が届かない高さから飾りをぶら下げてるんです。魔女とかジャックオーランタンとかお化けの形してるんですよ」
「へえ、」
「あと当日にはお菓子も用意しようかって話も出てるんです」
「それ余んねえの?」
「何の期待をしているんですか…」

 呆れた顔で、瀬名は危の前にティーカップを置く。据え置きの市販のティーバックで淹れた紅茶は同じカップで飲んでいる限り濃いも薄いも変化がなくて安心できる。下手に作り様がないものだと声に出すと自分では一度もお湯すら沸かしたことがないくせに偉そうなことを言うなと怒られるのだろう。感情に素直に従う瀬名の反応を予想することは、危には随分簡単なことのように思えた。実際簡単なのだからその通り。喜ばせたかったら命を彼女にけしかけてやればいい、褒めてやればいい。怒らせたかったら危が勝手に振舞えばいい。悲しませたかったら恋心を少し蹴飛ばしてやればいい。後者二つは、実行しようなどと思ったことはないけれど。
 随分話が脱線してしまったなと、危は自分の手元に意識を落とす。用意されたフォークで一口分ケーキを掬い上げて口に運ぶ。適当に箱から選んだそれは下の上にパンプキンの甘さを広げる。嫌いな味ではないが、頻繁に食べていては飽きが来そうだなと感じる。直結する季節柄があるならば、限定と幅を設けた方が需要も伸びるのだろう。そういうムードに弱い瀬名のような人間を標的にして。そのおこぼれに預かっている訳だから、ハロウィンじゃなくてもクリスマスやバレンタインに浮かれる意味が分からないと横槍を挟んだりはしない。どちらもケーキやチョコの恩恵が危にも降って来るならそれはそれで万々歳だ。尤も、それが瀬名からだとしたら、明らかに命に向かう好意の端から落ちた残骸が転がって来ただけなのだろうけれど。

「お菓子欲しいんだったら危先生も病室の飾りつけ手伝ってくださいよ」
「まだ終わってねえの?」
「天井となると西條先生と坂本先生しか男手がないですしね。診察も手術もあるし一気には捗らないんです」
「俺を暇人だと思うなよ…」
「少なくとも今は暇でしょう?」
「まあ待てまだケーキが食い終わってない」
「はいはい」

 面倒になるとすぐこれだ。アテにならないと諦めたのか、瀬名も自分の選んだケーキにフォークを落とす。彼女の皿に乗っている物がシンプルなショートケーキだったことに、危は違和感を覚える。まだ幾つか残っていたハロウィン限定のケーキには手を出さないつもりなのか。季節の風に浮かされて限定物に手を出したというのに。
 じとりとねめつけるような視線を送る危に、瀬名は何を勘違いしたのか「自分の分があるでしょう?」と皿を引いてあげないという意思表示をする。「そんなんじゃねえよ」と悪態で返す危に、瀬名はあっさりと話題を転換して「その味、美味しいですか?」と尋ねてくる。危が選んだケーキがハロウィンの物だと、彼女は気付いていなかったようだ。

「おう、カボチャの味がするぞ」
「そりゃあパンプキンが売りのケーキですからねえ」
「お前なんでショートケーキ食ってんの?他にも似たようなのあったじゃん。カボチャの」
「ああ、まあそうなんですけど。無性に苺が食べたい気分だったんです」
「そんなもんかよ」
「そんなもんです。ハロウィン限定って、結構まだいろんな場所で見かけるし、全部にがっついてたら太っちゃいます」
「財布の心配もしとけよ」
「そこは上手くやりくりしてますのでご心配なく!」
「はいはい、」

 二人きりの会話にしては珍しく売り言葉に買い言葉の喧嘩腰にならなかった。医療を離れるとつい瀬名をからかいたくなるのが危の悪い癖なので、ほっとする。それから二言三言他愛ない会話を交わして、二人ともケーキを完食しティーカップも空になる。直ぐに洗い物をしてから仕事に戻るという流し台に立つ瀬名の後姿を見つめながら、危はぼんやりと彼女のことではなくここにはいない命のことを考える。忙しい仕事の隙間にも全力でハロウィンの準備に勤しんでいるらしき愛すべき同僚。不思議な魅力で他者を巻き込んで突き進むその様は病院改革という面では兄との確執がある危には見ていて清々しい物があるのだがハロウィンとなるとまた心境は別だ。そこまでやるかと感心と呆れが半々。瀬名は命の提案に大抵乗っかってしまうから、こんなこと思わないだろう。捻くれたものの見方をするのは性分だ。間違っても、瀬名の盲目さが目につくから敢えて穿ってしまうなんて、そんな筈はない。

「なあ、ハロウィンの準備って明日でもまだ残ってるか?」
「―――?そうですね、残ってると思いますけど。それがどうかしました?」
「俺明日午後からだし、午前にちょっと早く起きて手伝ってやるよ」
「……何かあったんですか?っていうかまた病院に寝泊まりする気ですね!?」
「どうでも良いだろうがそんなこと。じゃあ、また後でな」
「―――はあ、そうですか…」
「何も企んでねえって、ただちょっと菓子貰えれば儲けもんだなって程度だよ」
「その時点で何も、ではないでしょうに…」

 洗い物で濡れた手を拭いている瀬名は溜息を吐きながらも危に手伝ってほしい病室を教える。「了解」と頷いて、危は部屋を後にする。口の中には未だケーキの甘味が残っていて、ハロウィンの一語が頭の中でぐるぐる回る。
 明日、たった一度。部屋の飾りつけを手伝っただけで自分はハロウィンに参加したということになるのだろうか。そうであればありがたい。それならば、自分の存在も瀬名の思い出の中に入り込めるだろうから。子どもたちを喜ばせる命ばかりが美化して再生されてしまう思い出は、危にはどうにも癪だった。



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焦燥焦燥、そして空腹
Title by『呪文』

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