※歌パロ


 ハートランドシティの交通網の要であるモノレールは、始発ということもあり璃緒の乗り込んだ車両に他の乗客はいなかった。
 あと一時間もすれば通学や出勤へ向かう乗客たちで満員になるであろうモノレールに乗って、璃緒は朝一番にハートランドシティの中心から離れていく。夏の朝の光は早くて、始発に乗って出かけても日の出はとっくに過ぎていた。それでも昼間の攻撃的な日差しよりはずっと優しい、モノレールの窓から差し込む白んだ光を受けながら璃緒は海へと出掛けていく。一人きりで、泳げもしない、ハートランドシティ郊外の工業地帯から臨める防波堤からの海を眺めながら、来てくれるかもわからない相手を、気の向くまま待ってみるつもりだった。


 去年の夏、璃緒は生まれて初めて夜が明ける前から友だちと遊ぶという経験をした。夏休みにはしゃいだ遊馬とその仲間たちに誘われて、仄暗い日の出前に相手の顔もはっきりとは見えない夜の中連れ立って笑い声をあげながら海まで花火をしようと歩いた。遠かったのに、不思議と誰も不満を言わなかった。先頭に立っていたのが元々行動的な遊馬だったからかもしれない。普段ショッピングモールや、偶に遠出しても凌牙のバイクの後ろに乗って出かけることが大半の璃緒の行動範囲が狭いから遠いと感じただけで、彼等には普段の行動範囲の中を移動していただけだったのかもしれない。ただ、楽しいことをしているのだという気持ちだけが彼女の胸を満たしていて、事実それは間違いではなかった。珍しく兄の凌牙も「遊ぼう」という単純な誘い文句に、詮索も注文もつけることなく一緒に着いてきていたのも、璃緒の胸の高鳴りに拍車をかけていたのだろう。夏休みだからこそ許される、夜の待ち合わせは大人に見つかれば叱られてしまうもので、けれどそんなことに怯んで不安げな顔をする人間はいなかったことが、あの時の璃緒には無性に嬉しかったのだと記憶している。
 ハートランドから一番近い海は工業地帯に面しているので、整備が進んでいて砂浜や海水浴場となるともっと遠くまで出かけなければならない。けれど遊馬たちは花火がしたいだけだからと、迷いなく爆発事故が起きて以降封鎖されたままの工場に張り巡らされていた進入禁止のテープを乗り越えて行った。呆れたように立ち尽くしていると、きちんと許可は取っているから大丈夫だってと遊馬と小鳥に手招かれた。詳しくは聞かなかったが、この施設の所有権は現在カイトが持っており、爆発には遊馬を初めこの場にいるナンバーズクラブも関わっていた為彼等は何の抵抗もなく歩を進めていたらしい。そういうことならと彼等の後に続いた璃緒が驚いたのは、ようやく海が見える、花火ができそうな開けた場所に出たと思ったらそこにはVとWが先に来ていたことだ。
 璃緒たちと同じように遊馬に呼ばれた彼等は前日に夜までWの仕事が入っていたので行けそうだったら直接行くという約束をしていたらしい。来れてよかったと嬉しそうにハイタッチを交わす遊馬とVの横で、満更でもない表情で立っているWを見つめながら、璃緒は呆気に取られていた。遊ぼうと誘われて、ああ遊ぼうと応じるような人だとは正直思っていなかったから。プロのデュエリストとはそういうものだと、心の片隅で勝手に決めつけていた。
 火消しの水を汲まなければと駆けていく遊馬とVを見送って、Wは凌牙を見つけて彼の方へと歩いてきた。璃緒は凌牙の隣に立っていたので、必然的にWは彼女の方へも向かって来ていた。無意識に背筋を伸ばして、全身が強張っていたように思う。それはWを警戒していたというよりも、彼に対して何と言えばいいかも、何を言ってしまうかもわからない自分自身に対してへの緊張。そしてどうやら、璃緒には完全に理解できない友情で繋がっているらしい凌牙とWのやりとりを間近でまざまざと見せつけられとき、自分はどう振る舞うべきなのだろうという足早な寂しさへの身構えであった。
 ――逃げ出したい。
 そんな璃緒の弱腰を許すように、タイミングよく小鳥が彼女の名前を呼んだ。花火を選ばないと――勢いがいいのはすぐ遊馬たちが持ってちゃいますから――キャットちゃん、それでいいの? じゃあ璃緒さんは――。細部までははっきりと聞こえなかった。ただ花火と璃緒の間を交互に視線を移す小鳥と、その隣にいるキャッシーの元へ璃緒は歩き出していた。まだ薄暗い中、彼女たちの姿はボーダーのシャツと水色のワンピースという夏らしい組み合わせに混ざって境界線が曖昧だ。そしてそんな彼女たちを可愛らしいとも羨ましいとも思った瞬間、擦れ違ったWとかち合った瞳は一瞬ではぐれてしまったけれど、思っていたよりもすっと外れてしまったことに落胆すらしていた。
 ――気にし過ぎ……って恥ずかしい人みたい。
 Wのことを、どうして見つけた途端意識したのだろう。自分ばっかりと、徐々に恥ずかしさが込み上げてくる。たった一回、勝敗の決しなかったデュエルをしただけ。その結果は、凌牙や璃緒の一年間を無為にした。二人の時間が動き出してからも(殊に凌牙は)随分と振り回されてしまった。勿論Wも、その顔に負った傷を抱えたまま生きていくことを選ぶくらい璃緒との一件に関して過ぎたことと割り切ることは出来ないでいたらしい。捻くれてはいるけれど、真っ直ぐでもあるのだ。言葉にしてみると璃緒には意味がおかしいとしか思えないけれど、凌牙にはわかっているらしい。男同士だからこそだろうか、これも璃緒にはわからない。だからWは凌牙の友だち。璃緒にとっては、何だろう。
 考えれば考えるだけ腹立たしくなってくるだけで、璃緒はひとり手にしていた花火でぐるりと円を描く。タイミング悪く、走り回りながら花火を振り回している遊馬を叱る小鳥の声が重なって、自分が注意された気がして極まりが悪いと唇を尖らせながら顔を背ける。それと同時に、璃緒の隣に人影が立つ。Wだと、はっきりわかったのは自分がさっきから彼のことばかり考えていたからではなく、単純に花火によって照らされた視界がはっきりとその顔を映したからだと思いたい。

「花火、叱られたな」

 一瞬、何のことを言われているのかわからなかった。しかし直ぐにまた小鳥の「遊馬――!!」という怒声に「ああ、」と頷き、過ぎ去った極まりの悪さが蘇る。苦々しい、顔を顰めた。

「あれは、違いますわ」
「でも、花火を振り回してはいけませんよねえ」
「余計なお世話!」
「それは失礼」

 ぷいっとそっぽを向く璃緒に、Wは肩を揺らす。笑ったのだろう。騒がしかった遊馬は小鳥に首根っこを掴まれて萎れている。凌牙はそんな彼を呆れた顔で眺めていて、Vは小鳥の怒りがエスカレートしないように「まあまあ」と宥めるポーズを取っている。他のみんなも、花火に夢中になるか彼等のやりとりを眺めているかしていて、璃緒は自分だけが外側からそんな賑やかな風景を眺めているような錯覚にとらわれる。何度も自分を呼び込んでくれた小鳥は今遊馬に付きっきりだったし、何より隣にWがいては声も掛けづらいだろう。どこから調達したか分からないバケツに、とっくに終わってしまった花火を放り込むために璃緒はその場を離れる。Wが着いて来る気配がして、着いてこないで噛みつくには移動距離が短かった。自意識過剰、璃緒は気持ちを落ち着ける為に大きく息を吐く。

「そういえば、貴方きちんと花火してます?」

 バケツの横に置かれていた残りの花火の中から適当に数本を掴んで、Wに向かって突き出す。受け取ったものの、Wは渋い顔をして黙り込んでしまった。遊馬の誘いに応じて自分の意思でやって来たのだから、もっと積極的に楽しむべきだ。置いてあったライターを引っ掴んで、さっさと火を点けてしまおうとする璃緒の手を、唐突にWの手が包んで押し留めた。

「……一体何?」
「あーー、貸せ、俺が点けてやる」
「はあ?」
「いいから。…………火傷したら困るだろ」

 璃緒の掌中からライターを抜き取る際に触れたWの指先は、ひどく暑く、乾いて、震えていた。



 どうやら微睡んでいたらしい。瞼を開けると、モノレールは丁度速度を落として降りる駅へと入っていくところだった。乗客も、下車する人間も璃緒しかいない。誰もいないホームを璃緒は真っ直ぐに背筋を伸ばして歩いていく。誰もいなくても動き続けるエスカレーターが、いってらっしゃいと見送りの役目を果たしているように見えた。
 一年前の夏の日。結局Wは最後まで花火をしなかった。璃緒が手に取る花火に律儀に火を点け続けて、頑なに彼女にはライターを持たせようとしなかった。
 あの日の出来事を、その後璃緒は何度も思い返したけれどその度にバカみたいだと吐き出さずにはいられなかった。傅くように、怯えるように、璃緒の手の先に灯され続けた火が彼女を傷付けないように。その肌を焼かないように。怯えていたのは璃緒ではなくWの方だった。痕も残さずに癒えたはずだった彼女の傷が、彼の顔の傷痕として一生表層に浮かんでいることを知った。
 ――バカみたい。
 全部過ぎ去ったことなのに。Wは凌牙の友だちなのに。それなのにどうして璃緒の前にも同じ姿で立っていてくれないのか。いつかの加害者と被害者を引き摺って、Wは今でも璃緒を「凌牙の妹」と呼んでいる。それが彼の役目だったから。「凌牙の妹」を傷付けること、凌牙を陥れる為に。そんな理不尽な仕打ちを、あの、Wとデュエルをしていたときの自分だったら決して許さなかっただろうと、璃緒はぼんやりと振り返る。しかし現実は時間の流れと共に移ろって、成長とは呼べなくとも人の心は変化する。璃緒の心もまた少しずつ移ろったのだ。凌牙だけしかいなかった世界から、仲間と呼べる存在を受け入れて。Wだってそうなのだろう。凌牙と向き合い、遊馬に救われて。璃緒も同じようにして流れ着いたのだ。
 ――今、ここに。
 明確な約束は交わさなかった。ただ、花火に火が点いてパチパチと弾け出しWがライターを持つ手をひっこめた瞬間、璃緒はその手を掴んでいて、輝き出したばかりの花火を海水の張られたバケツに突っ込んでいた。ご機嫌取りなんてうんざりだった。だってそんなの楽しくないから。璃緒はここに来るまでに膨らませていた、初めて夜明け前を友だちと連れ立って歩く高揚感と、夏休みだからといつもならばしないことをしているという背徳感に背を押される形でWの顔を覗き込んでいた。火を点ける為に屈んでたWは、咄嗟に立ち上がることも出来ずに、無防備な子どもみたいに呆けた表情で璃緒を見上げていた。
 夏の朝は早い。いつの間にか、白んで来た空の下ではっきりとWの顔が見える。彼の瞳に映る自身の不機嫌な顔すら、鮮明に。

「また来年、今度は、貴方と――」

 はて、何と誘い文句を謳ったのだか。璃緒は一年経っても相変わらず放置され若干廃墟の気が増した工場周りの立ち入り禁止テープを文字通り飛び越えた。
 結局あの夜、璃緒はWの所為で最初から最後まで無邪気にはしゃいで楽しむことは出来なかった。けれどやはり楽しかったと思いたい。またいつか、今年でも来年でもみんなで来ようなんて言葉も飛び交って、しかし今年はまだその場当たり的な口約束は果たされていないのだけれど。尤も、同じメンバーで出歩くことなら、この一年を通して何度もあった。ハートランド学園に通っているVはともかく、Wも一緒にということは殆どなく、遊馬や凌牙が個人的に会うことはあっても璃緒は滅多に彼と顔を合わせることはなかった。連絡先だって知らない。
 Wがいなくても、璃緒の世界は鮮やかだった。凌牙以外の誰かと遊んで、笑って、楽しいと思いながら過ごしてきた。Wがいなくても平気で、それが当たり前だった。
 それなのに。
 朝の太陽に煌めく海面の眩しさに目を細めながら、璃緒はほっと息を吐く。来てほしいとも言わなかった。来てくれなくても平気だった。それなのにどうしてか、貴方ならきっと来てくれるのでしょうねと不思議な確信が璃緒の胸には満ちている。波がゆらゆらと揺れるに合わせて、その確信が璃緒の胸から溢れようとするようだった。

「――ねえ、おかしいでしょう?」

 振り向いた先に立っていた彼に、璃緒は微笑みかける。太陽が眩しくて、見えないかもしれない。けれど構わなかった。近付けば見えるはずだから。
 だから早く、ここまで来てほしい。もう逃げないで、怖がらないで、陥れる為に傷付けた少女なんて備考は塗り潰して。兄の友だちでも友だちの妹でもなくて、たった今この瞬間からでいいから神代璃緒という一人の私を見て欲しいと願う。火傷なんかしない。毒にだって犯されない。運命にだって負けない。Wの瞳に凛とありのままで映る自分になりたかった。それだけ。

「物好きな御嬢さんだな」
「ええ。けれど趣味はいい方ですのよ」
「はっ! どうだかねえ――」

 肩を竦めて、歩み寄るWは手を伸ばせば触れる距離にいる。璃緒は迷うことなく彼の手を取って、指を絡めてまた海へと視線を投げた。
 何をするでもなく、二人して立ち尽くしたまま。それでもまだ帰りたくないのと言い募れば彼は一体どんな反応をするだろう。そういえば凌牙に何も言わずに出て来てしまったから、目が覚めたら驚くかもしれない。その上このままWを連れて帰ったら一層の衝撃だろう。
 想像したら愉快で、思わず声を漏らして笑ってしまっていた。怪訝な顔で見下ろしてくるWは、手を繋いでいることへの戸惑いも恥ずかしさも表情からは読み取れなくて、璃緒はちょっとだけ悔しい。やっぱり、このまま凌牙の前まで連れて行ってしまおうか。
 考えて、やめようと首を振る。自分と一緒にいてくれるWを、凌牙の前に突きだしてしまっては結局何も変わらないから。兄の友だちであるWなんて、璃緒はもう飽きるほど感じて来たのだ。そしてそれ以外を欲しがったから、こうしてWの手に繋がっている。

「――いつからかしら」
「ん?」
「私、私だけの貴方が欲しいと思い始めたのは」
「――――な」

 振り返ってみても、やはりはっきりとした起点は見いだせない。
 だが焦って答えを見つけることもないだろう。Wの腕に体を預けるように寄り掛かる。一瞬強張った彼の身体が直ぐに璃緒のバランスを崩さない程度に力を抜くのを感じて、彼女の唇は緩く微笑みを象った。
 それでもまだ物足りないと感じてしまうのは、きっと璃緒が抱き締めて欲しいと願っていたからだ。
 そして湧き上がるこの願いを恋と呼ぶことも、璃緒はちゃんとわかっている。
 だからこの夏は、Wにはしっかり覚悟を決めて置いて欲しい。私を受け止める、その覚悟を。拒否権は、地味になかったりする。



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柴咲コウ/invitation

招待状は君だけに
20150320



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