「ぼく、明日香先輩ってずるいと思うな。すっごく」

 レイの、すっごくに力を込めた言い方に明日香は怯んだ。この、五つも年下の少女は出会った頃から歳の差などものともしない直情差で明日香の前に立つ。こういうとき、レイが頭に思い浮かべている人物はたった一人だ。恋という感情で突き動かされているレイは、明日香を先輩ではなく敵対し得る(あるいはもう、敵だと認識しているのかもしれない)女だと思っている。

「――ずるいって?」

 出来るだけ平静を装ったけれど、効果のほどはわからない。そもそも、レイは明日香の顔色など窺ってはいないのだから。デュエルアカデミアのエントランスは騒々しく、設置されているいくつかのテーブルは殆ど埋まっている。和やかに談笑している席もあれば、気難しい顔でテーブルの上に勉強道具を広げている席もある。一年生は、明日物理のテストがあるらしい。
 初めはレイも明日のテスト勉強をここでしたいから相席をしてもいいかと先に席に座っていた明日香の元へと駆け寄って来たのだ。断る理由がなかったので二つ返事で頷いたけれど。デュエルの実力では高等部に編入が許されるほどの彼女が、果たして一般科目も高等部の生徒と同レベルにこなしているかは知らないが、明日香の前でテスト勉強を始めた表情の晴れやかなところを見る限り問題ないのだろう。黙々と手を動かすレイと、そんな彼女を見守る明日香。時折、レイから投げられた質問に明日香が丁寧に答えて教えてやる。傍から見たら、仲の良い先輩と後輩の姿に映っただろうか。想像しただけでぞっとする。女の、表と裏を入れ替える抜け目のなさときたら。その点、オベリスクブルーの女王だと美しさまでももてはやされて、それでもデュエル一辺倒な学生生活を送ってきた明日香よりもずっと、レイの方が女として成熟していたに違いない。

「明日香先輩、十代さまのこと好きなんでしょ?」

 それでもこの真っ直ぐな物言いは好ましく、また悲しかった。二人の間に、明け透けな物言いが入れるヒビを恐れないレイの正直さは、彼女の中で明日香という存在の外様さを物語っている。もっとも、レイからすれば十代以外の誰も彼もが外様だろうが。編入してきた当初はラーイエロー所属の友だちがいたようだが、彼は既に退学してしまっている。
 レイの先制攻撃に、明日香の心臓はばくばくと煩いくらい動揺して脈打っている。けれど、それが表情に現れることはなかった。もしかしたらこれが、明日香の内にある女としての矜持だったのかもしれない。先手を取ったくらいでいい気になるなと、彼女の闘争本能が無意識に迎撃態勢を取っている。
 遊城十代のことを好きかと聞かれれば、明日香はイエスと答えよう。勿論、いい友達――或いはライバル――としてよなんて白々しい惚け方はしない。ただこれは恋なのよと人前に晒そうとすれば、明日香は途端に十代の姿を見失ってしまうから、一度だってこの想いが彼女の口を衝いてでたことはない。いつかデュエルに恋したと語ったように、つむじ風に寄せた恋心は明日香の胸の内で、いつだって好きだったという形を取って鎮座している。変わっていく十代に戸惑い、忙しなく自覚のない頃から揺れ続けていた思いではあるが、こうして卒業を控えるだけの身となった今ではどこまでも穏やかにその気持ちを受け入れている。避けられない別れに、それでも絆を信じているからだろうか。どうしたってそれは、恋の為のものではないけれど。

「明日香先輩も、十代さまが好きなんでしょ?」

 返事がないことに納得がいかないのか、レイは問いを言い直した。不躾なことを言ったと、沈黙に甘えて話題を変えようとしないところは、彼女は本当に強い恋する乙女だと明日香は感心すら覚えている。

「――ええ、好きよ」

 初めて音に乗せた気持ちを響かせるように、エントランスが無音になった気がするがきっと錯覚だ。単純に、明日香の耳が自分の声以外の音を遮断してしまったのだ。
 レイは自分から尋ねたくせに明日香がこうもはっきりと宣言するとは思わなかったのか呆然と口を開けて二の句が継げないと固まっている。そんなに可笑しかっただろうかと、明日香は眉を下げる。その瞬間、対照的にレイは眉を吊り上げていた。

「明日香先輩、ずっるい!」

 不機嫌に頬を膨らませるレイの仕草があまりに可愛らしく見えて、明日香は思わず声を上げて笑ってしまった。何人か、エントランスにいる生徒たちの視線が彼女たちの方を向いたが気にしない。レイはぷいっとそっぽを向いてしまう。明日香は目尻に涙が浮かぶのを感じた。
 そう、ずるい恋を選んだ。自覚している。芽生えた気持ちを、抱いた相手に伝えて恋のまま消化し結末を得るのではなく秘めたまま、十代自身が口にした絆で繋がることを選んだ。ずるく見えるだろう。恋に身を焦がす、追い駆けることを迷わずにやってきた少女には。追い駆けないでも、いつかきっとまたどこかでと微笑んでしまう明日香の答えは、きっと。
 だけど。

「私は、レイちゃんのそういうところ可愛くて好きよ」

 偽りのない本音は、そういう如何にもな年上の余裕って本当にずるいと言って、またずるいずるいと繰り返してぷりぷり怒り出すレイに手厳しくはねつけられる。
 ――貴方のその正直さに、嫉妬したこともあるのよ。
 本当はこれっぽっちも、年上の余裕なんてなかったことを、明日香はわかってもらおうとは思わない。ただ出来るならこれから先長い間、レイが気付かずに済めばいいと思う。彼女が今抱いている恋も、明日香が今仕舞っている恋も、結果として同じ物であることに。十代の背中を追い駆けて、彼女自身が走っている内は気付かないかもしれない。遊城十代という人間が、つむじ風のように多くの人間の前を――レイの前からも例外はなく――吹き抜けて去って行ってしまう瞬きのような存在だったことを。
 それでも。このデュエルアカデミアで重なり合った時間を宝として、十代とは別の方向を向いて歩いていくことを決めた明日香はこの安らかな心地が良いか悪いかどうかはわからない。ただ一つ確かなのは、十代に一途に恋するレイを可愛いとは思っても応援してあげたいとは思ってあげられない辺り、自分は確かに十代のことが好きだったということ、それだけだ。



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燻る熱もあの花も、もうどこにもないだろう
Title by『3gramme.』


20141210


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