空港はひどく混み合っていた。
 腕時計を確認しながら大きなカバンを肩に背負って駆けていくスーツ姿の男性や、両手いっぱいに空港内の店のロゴが入った紙袋をぶらさげている女性たち。母親に走らないよう叱られながら、それでも笑って一丁前にこれから旅に出るのですと言わんばかりの格好に身を包んでいる子どもたち。搭乗ゲートへ向かう手前で今生の別れでもない別れを惜しみ合う恋人たち。そういった様々な人たちをひと通り眺め尽くしてから、十代はやれやれと座ったベンチの背もたれにどっかりと体重を預けた。目の前のガラス窓の向こう側にはいくつもの飛行機が見える。ある機体はゆっくりと方向転換を試み、また別のある機体は乗客を迎え入れる為に行儀よく停止している。一見つるりとした巨大な鉄の塊にしか見えないそれらが立派に何時間も雲の上を飛行することは飛行機の開発以降疑う余地のない事実なのだけれど、あと数十分後には自分もその鉄の塊に乗り込んで空を飛ばなければならないのかと思うと十代の口からは無意識のうちに溜息が零れてしまうのであった。
 遊城十代がデュエルアカデミアを卒業してからの進路を説明するには、恐らく旅人という表現が無難だろうと十代自身も思っている。三年間の思い出と共に卒業式の夜に世界へ飛び出してから、出来るだけ真っ直ぐに進んで生きてきた。それは時に生き様の話でもあり、ただの行く先の指針でもあった。バカみたいに直進しているだけでは激突する壁があることを知っている。知っているけれど、友人たちがふと十代のことを思い出し、声が聴きたいと思ったときに簡単に連絡が取れるような場所にはほとんど留まっていられなかった。明確な目的があるわけでも、忙しさに殺されそうになっているわけでもない。プロのデュエリストやまだ学生としてデュエルの勉強を続けている連中の方がよっぽど規則正しく、そして忙しく暮らしているのだろうと十代は思う。上着の内ポケットから取り出した航空券は、十代の彩度の低い想像を振り払うように「それはまあそれとして、一先ず空を飛んでみようと」と急かしてくるのだから、十代はまたしても溜息を吐いた。
 十代は飛行機が好きではない。嫌いというほどでもないのだが、乗ってみると毎度落ち着かない気持ちになってしまっていけない。一度上昇してしまうと外の景色からでは自分がどこにいるかわからないからだとか、万が一のことが起きたときに船や汽車旅と違って飛び降りたり、身一つで泳いだり歩いたりという代替案が利かないからだとか、客室乗務員の言うことを乗り合わせた人間全員で大人しく従い同じ向きでじっと座り黙っているのが退屈だからだとか、それらしい理由を列挙することはできる。同時に飛行機の便利さもわかってはいるのだ。移動時間の短縮はワールドワイドな時代にはもはや欠かせないものであるし、世界中と簡単に繋がることができてしまう時代だからこそ、予期せぬ事態で予期せぬ場所に向かわなければならないときなどには最も優れ、適した移動手段が飛行機なのだ。
 その予期せぬ事態は、十代が級友であった丸藤翔の家に転がり込んでいるときにやってきた。明日の予定も未定な身の上の十代は、一週間後の予定も一年後の予定も空いていると同時に埋まっている。ようは気分と廻り合わせ次第だから。とはいえ一度引き受けてしまった予定をそうだっけととぼけて踏み倒すわけにもいかない。忘れていたとしても思い出してしまった以上は。十代はいつ引き受けたか全く思い出せない万丈目との約束――どうやらプロアマ問わずのデュエル大会にエドをはじめとする見知った顔が大勢参加するので貴様も参加しろ登録は済ませてやったという事後承認という形でいつかの十代は請け負ってしまったらしい――を果たすため、物理的な距離をいっきに縮めるために十代は飛行機という手段でもって移動しなければならなくなった。

「……カイザーは出ないのか」
「ああ。仕事が忙しいからな」
「大会で暴れた方がいい宣伝になりそうだけどな」
「宣伝以前の問題だ」
「くっそー」
「たまにはいだろう。見世物になってこい」

 十代の座っている席から二つ空席を挟み、くつくつと喉を鳴らして笑う丸藤亮に、十代は唇を尖らせて不満を訴えるもそんなものが通じる相手ではない。翔の家で寛いでいるところに急きょかかった呼び出しのためにこの航空券を取る手続きを引き受けてくれただけでも十代に対する亮の扱いが特別であると自惚れてもいいくらいなのだから。
 翔が卒業してから、兄弟で新しいプロリーグの設立を目指し十代よりもずっと仕事量では単純に忙しい日々を送っているのだろう。新しいデッキを組むという話は聞いていたがそれ以降人前で亮がデュエルをしている場面を十代は目撃していない。まさかリーグの運営者にひっこんでプロデュエリストとしては一線から引いてしまうとは思いもしない。身体は休養さえとればいずれ回復するものだと十代は信じている。これが単純に、彼におだやかすぎる身の引き際を許さない我儘だとしたら十代は期待しすぎている自分を恥じなければならないのだろう。ただどうしてか、いつからか。亮ならば、カイザーならばと思ってしまっている自分がいることを十代は否定できなかった。
 デュエルアカデミアに入学したころは、デュエルする相手全てがこれまで出会ったことのない実力を持っていて、それを倒し乗り越えていくことがただただ純粋に楽しくて仕方がなかった。最後まで勝たせてはくれなかったけれど、亮とのデュエルは未だに十代の内に温かい熱を残している。純粋に強いと尊敬できる相手だった。乗り越えることを諦めようとは思わなかったけれど、自分よりもずっと先――或いは似ているようでいて全く別の道――を歩いているような相手だった。諭されてばかりで、とうとう見返すことができないままここまで来てしまったような気がする。
 憧憬だけで済むならば、もっと綺麗に子どもらしさを終えられただろうか。
 十代の懐古の連鎖は、ひっきりなしに続くアナウンスによって一度途切れた。

「十代」
「んー?」
「アナウンスだ。12番ゲート。お前の乗るやつだ」
「お? おう、そっか」

 手続きの全てを亮に任せてしまったので、うっかり騙されて目的地と別の場所に連れて行かれてしまっても仕方ない。十代は手にした航空券の座席番号だけを確認し、12番ゲートとやらはどちらにあるのだと辺りを見渡す。大都市の駅よりはわかりやすいなとゲートの案内板を見つけ出し、十代は席を立つ。アカデミアを卒業するときから愛用している鞄――周囲にはずた袋と称されているが十代としては荷物、もしくは鞄である――を肩にかけて歩き出す。
 どうやら見送りはここまでらしい。座ったままでいる亮の前を通り過ぎると彼も立ち上がる気配がしたが、十代の後ろをついて歩くような彼ではない。追い駆けることも、並ぶことも、置き去りにすることもしなかった。

「なあ、カイザー」

 どうせまたしばらく顔を見ることはないだろうから、十代は一度だけ亮の方を振り向く。搭乗アナウンスが始まっているということは、急いだ方がいいのだろう。今生の別れではないのだから、どれだけ時間がかかってもまた今度という言い訳があった方が旅立ちは気儘になることも十代は経験として理解している。それは大好きな仲間たちへの、一種の甘えだった。だからこそ、その甘えは亮には通じない気がしている。命燃え尽きるまで、戦い抜いてしまった彼にどうしてか十代は情けない姿を見せられなかった。航空券の取得を丸投げしてしまう自分のことは棚に上げて、ただ、後悔とか未練だとかを背中に張り付けてカイザーと呼ばれた彼の視線を受けて旅立ちたくはなかったのだ。
 だって彼が教えてくれたことだから。

「なあカイザー、世界って広いんだな」

 子どものまま見つめる世界と、大人として飛び込む世界はそれこそ異世界とまでは言わないけれど(言えるはずがない)まるで違っていて。十代はかつて自身の意思を使命と照らし合わせて自覚したあの日から踏み出した大人というものに自身を染めながら、時折何もわかっていなかった自分を振り返ってしまう。
 世界の広さも知らないで、自分の感情だけを振りかざして。それでも総じてみれば楽しいと思えたあの日々を。子どもらしい日々を。楽しいだけではいられないと、まず教えてくれたのはたぶん、亮だった。

「――ああ、知っているさ」
「……そっか、だよな!」
「お前なら、自由に飛び回れてしまうだろうこともな」
「全然だろ、俺飛行機とかあんま使わないからさ。あー、チケットありがとな!」

 ひらひらと、十代は笑って手を振った。振り返しては貰えなかったけれど(第一らしくない)眼差しが一等優しく細まってそれが二人の別れの挨拶となる。
 再び歩き出してかき分ける人混みに、果たして彼は自分の背中を見つけていてくれるだろうか。それとも十代の背中なんて、亮は見ないのかもしれない。
 ――うん、きっとそうだ。
 納得して、歩幅はいつもより意識して大きく進んだ。誰かは忙しそうに時計を確認しながらせかせかと歩き、誰かと誰かはこれからの旅路に心を躍らせて談笑しながらゆっくりと歩いている。有り触れた風景に溶け込んでいく十代はそれでもたった一人、胸を張って真っ直ぐと世界を歩いていく十代だった。
 搭乗ゲートを抜けて、客室乗務員の「よい旅を」という優しい決まり文句に、十代は「勿論、でもありがとう」と頷いて、飛行機へと乗り込んだ。
 よい旅にしよう。それが十代の、人生という最良で最長の旅だった。



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ではまた軌道の交わるころに
Title by『わたしのしるかぎりでは』
20150615



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