「番長さーん!」

 明る過ぎるほどの、それでいて斬夜の背には緊張を走らせる声が耳を掠めたとき、彼はつい足を止めて声がした方向に視線を向けていた。急に立ち止まってしまった斬夜を、月影が不思議そうに見上げてくる。斬夜の視線の先では、見つけただけで賑々しい空気を発散している少女が駆けていく。その速度に合わせて追い駆けた先にいる人物を、きっと彼女の声を聞いた瞬間から理解していた。
 水色のパーカーのフードにずんぐりと身体を滑り込ませたバディモンスターを居着かせている少女――富士宮風音は遠巻きにもわかるほど喜色満面の笑顔で以て目的地であり目的物でもある少年に思いきり飛びついていた。ぐらつきもせずあっさりとその重みを受け止めている姿に、斬夜はどうしてかほっとしていた。
 ――未門牙王。彼本人の名乗るところによると、斬夜のライバルであるらしい。斬夜自身、ABCカップ決勝で牙王とファイトした際、その前夜に露骨な拒絶と挑発を受けながらそれでも自分は斬夜のライバルだと観衆の面前で憚らず宣言した彼に敗北を認めている(つかなかったと判断された勝敗の行方と、牙王をライバルだと受け入れるという意味で)。認めたけれど、だから何が劇的に変わるのか斬夜にはわからなかった。靴を脱いで同級生の自宅に招き入れられたのは新鮮だった。しかしそれならば自分より弟の暁の方が随分と居心地良さ気に寛いでいる気がする。修練から逃げ出す度に避難所にするのはやめるようキツク言い含めなければと斬夜はたった今決める。牙王の祖母が作るたこ焼きは確かに美味しかった。けれどもそれはライバルの距離感だろうか。今までライバルを作ったことのない斬夜にはわからない。誰かと切磋琢磨するのではなく、一人でその切っ先を研いだ方が効率的だと思っていた。集団の中で圧倒的であってこそ達成される夢に、同年代の子どもたちと足並みを揃えていては近づけなかった。だから、憧れはこの世で最も優れたバディファイターに向けられてきた。
 牙王の宣誓によれば、彼はバディファイトをした相手全員とダチになるのが目標らしく、それならば斬夜はライバルかダチなのか。兼ねることができるのかも判断が付かず、牙王がダチと書いてライバルと読ませていることなど知る由もない。
 そして、たった今牙王に駆け寄って行った風音も斬夜と同じ、牙王のライバルなのだ。――同じ。その括りをはっきりと意識した時、斬夜はちくりと胸が痛むのを感じ、慌てて眼鏡のブリッジを挙げる仕草でその痛みの不自然さを誤魔化した。誰が気付くはずがなくとも、体裁は整えておきたかった。懸命になることは厭わない。しかしそれを表にありありと浮かべて如何にも自分は努力しましたと宣伝するようなことは斬夜の理想とする己の在り方ではなかった。身に付けた白を汚さないことが、斬夜の矜持だった。

「じゃあ約束だよ! 放課後キャッスルで! じゃあね番長さん!」

 風音が手を振りながら牙王の元を離れていく。交わされた約束はちっとも秘めやかではなく、白日の下にさらされながらどこか輝いていた。きっとバディファイトの約束をしたのだ。ライバルなら、いつだってファイトしてもおかしくない。理由がなくても、理由をこじつけてもいい。それは、斬夜の瞳には目新しい真実のように映った。
 轟ゲンマのように、自分を負かした相手に勝利することでその成長を確かなものとする。そんな理由でしか対戦相手を定めたことはなかった。あとは誰であっても、自分の道を塞がれないように、自分の腕が磨かれていることを確認する為に、新たなデッキを調整する為に。誰であっても自分のスタイルを突き詰めていく、最良の一手を極めていく。求道者のようにただ真っ直ぐに。情熱はいつだって斬夜の中で燃えている。けれど対戦相手の親しみや、ファイトすること――その相手を知るからこその楽しみとは随分距離を置いていたことに今更ながらに気付いてします。
 ――でもそれが僕だ。
 斬夜は思う。
 ――アイツは、こんな僕を変だとは思わないだろう。
 牙王は、そんな斬夜のライバルになると言ったのだ。そして斬夜はその宣言を受け取った。

「――あれ、兄者さんだ!」

 ――ピシリ。
 走った亀裂音は、斬夜の眼鏡のものか彼の硬直状態を表したものか果たして。
 牙王の元を走り去った風音は斬夜の方へと向かって来ていたようで、不覚にも牙王ばかり眺めていた斬夜はそのことに気付くのが遅れてしまった。
 女子はどうしてか得意ではない。自分を脅かす恐ろしい要素などないはずなのに、緊張してしまうとか恥ずかしいとか淡い思春期の準備期間といった初々しい理由からではなく単純に苦手だった。間合いに入られると、つい反射的に逃げ出したくて堪らなくなる。それが無礼で、情けないかもしれないとは思っても無理なものは無理なのだ。

「兄者さんも番長さんに用があるの? ほら、おーい! 番長さーん! 兄者さんが呼んでるよー!」
「なっ、別に僕は牙王に用なんて――!」
「? だって見てたから――」

 風音は幸いにも斬夜の臨界点ぎりぎりの距離で立ち止まり、それでも泳ぐ斬夜が一種の救いのように見遣った牙王に目敏くも気付き、しかしその意図までは察しようがなく好意的な勘違いをしたまま、先程まで彼女が懐き居着いていた彼を大声で、呼んだ。
 用なんてない。世間話に持ち出すような話題も――牙王のクラスが初等部の校長に学園地下のダンジョンでバディファイトをけしかけてきて、それを彼が受けて立ったことや、どうやら最近弟の暁が牙王の妹の花子とどっちのお兄ちゃんが凄いか自慢で口の達者さで惜しくも敗北を喫したことだとか、斬夜の中で落ち着いてしまった話題を再度掘り起こして話題にしてもいいということを残念ながら彼は知らなかったので――見つけられなかった。だから、クラスが違う自分たちは同じ学年でも校舎内で殆ど顔を合わせることがないのだ。お互いの教室に行き来する理由もなく、昼休みは大抵屋上で昼食を取っていることは牙王とその友人たちとの会話の流れで知っていたが、だからといってそこに訪ねて行く理由も斬夜にはないのだ。月影が、オロオロした眼差しで斬夜と風音、斬夜と牙王を交互に見遣る。そんな顔をするなと言ってやりたかったが、出来なかった。
 ――理由。
 斬夜はそれが大事だと思っている。理由があるから、真っ直ぐに自分の道を見据えることが出来るのだと。意味もなく、思いつきで、行き当たりばったりに、その場しのぎで事を成しても仕方ない。斬夜の中でマイナス要素の言葉ばかりを積み上げて己を擁護すると、決まってその対岸に――つまりマイナスの塊――牙王の姿が浮かんでしまうのは、不本意なのだけれど。不本意だけれど、きっと牙王に対して想像と実像の齟齬が斬夜にはまだまだ存在していて、それを取り払いたいと思う。それはたぶん、牙王に向かって口を開く理由になるのだろう。
 斬夜には、それが大事だった。

「おう斬夜、俺に用だって?」
「うーん、ごめん番長さん。何かあたしの勘違いだったみたいで……」
「――牙王」
「うん?」
「僕と――ファイトしないか。その、急ぎはしないが、できれば――近い内に」
「…………」
「べ、別に嫌なら――」
「いいぜ! やろう! 今すぐやろう! すっげえ! 斬夜から誘ってくれるなんて思わなかった!! な、な、今からやろうぜ」
「い、今から……?」
「えー! ずるいよ番長さんだったらあたしも兄者さんの次でいいから今からファイトしたいーー!!」

 歩み寄りは、詰まる所自分から踏み出す方が確実だった。有り触れた言葉だ。恐らく、バディファイトが盛んなこの学校では、至る所で今斬夜が口にした言葉を多くの子どもたちが使っているに違いなかった。
 ――ファイトしよう。
 けれどこんな短い言葉を、斬夜は他人に向かって発するのはもう随分と久しくなかったことだと、澱みなくその言葉を発した唇を労わるように指先で触れた。改まってしまっている自分の気持ちが少しだけ恥ずかしくて、牙王の注意を斬夜から逸らしている風音に今は感謝したかった。
 ――今は?
 その限定的な発想に、斬夜は漸く「番長さん」と彼女だけの言い回しを用いて牙王に駆け寄って行く姿に、認めがたくも嫉妬染みた感情を抱いていたのだと思い至る。成程、目が離せなくなったわけだと納得もした。
 斬夜は今、牙王に対して自分だけの特別を見つけることが出来ない。呼び方も、関係も、バディファイトも。それはこれから作って行けるだろうから、焦るのはやめておこう。明確な目標に、堅実に歩みを進めていくのは得意な方だ。揺らがなければ、斬夜は強い。苦手な女子が先導する会話に割り込んで、牙王の興味を取り戻さなければならない。
 ――キミの順番は、僕の次だ。
 この言い方は意地が悪いな。密かに苦笑しながら、それでも斬夜は今日の牙王の一番は譲らないと確固たる意志を持って、牙王の名前を呼んだ。



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きっと、君を好き過ぎた
Title by『3gramme.』


20141014



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