※未来捏造 ※モブの存在が大きい 虎堂ノボルが三日前から付き合い始めた少女から、『未門牙王の妹に殴られたんだけど!!』という怒りのメールが届いたのが四分前。ノボルは文章の意味をそのまま受け取って、理解し、受け入れる為にまず空を見上げた。快晴。ほっと息を吐いてから、ノボルは率直に返事を送った。 ――お前、あいつに何したんだよ。 あからさまに花子よりも彼女の非を疑っているメールの送信完了メッセージを確認してから一分を待たず、『死ね』という文面と共にノボルはフラれた。 「えっ、ノボルもう彼女と別れたのか?」 翌日。ノボルの席の前の椅子を拝借して、彼の机の上に自分の宿題を広げている未門牙王は驚きの声を上げる。 誰の妹さんのせいだと思っているのやらと皮肉ってやりたかったが、相手が告白して来たから応じただけで、さして未練もないので構わなかった。ノボルの恋愛は来るのも去るのも相手の女性からと相場が決まっている。牙王の妹である花子がノボルの彼女――だった――を殴ったというのは真実らしく――牙王曰く本人は拳ではなく掌で一発お見舞いしたので殴ったのではなく叩いたと主張しているらしいがそれはどっちでもいい――、しかしそれほど大問題にならなかったのは殴られた相手の怒りが花子よりもノボルの態度に向かったことと、兄であろう牙王がひたすら謝り倒し、後日必ず本人にも謝らせるからと約束したからだろう。後処理という意味では、別れた時点で我関せずなノボルよりも目の前で宿題に頭を悩ませている牙王の方が大変なことになっている。提出はたしか次の授業だったか。あと五分で終わらせられるかは非常に怪しかった。 小学六年で迎えた海外留学から日本へ帰って来たとき、ノボルは以前と同じように相棒学園に籍を置いた。それは友人たちがいることやバディファイトの授業があること、住む場所から考えても当然の成り行きだったように思う。ただ大学部まで存在する広大な学園で、中等部からそのまま高等部に進むかどうか選ぶ時期にさしかかったとき、ノボルは外の学校を受験することを選んだ。バディファイトへの情熱は衰えてはいなかったが、楽しいだけの環境にいるのはどうかと思ったし、どこへいてもバディファイトは出来ること、距離を挟んだくらいで消えてしまうような友情を築いてきたわけではないことをこのときのノボルは既に知っていた。 予想外だったのは、牙王も相棒学園を出ると言い出したことだ。しかもノボルと同じ学校を希望していて――牙王に限って他人に倣って将来を選択するとは思えないので、単純に偶然だろう――、当時の成績だと当落線上ギリギリであった為にノボルはスパルタで牙王の受験勉強の面倒を見ていた。自分も受験生だったが、牙王に比べれば余裕があったので文句は言いつつも途中で突き放したりはしなかった。それ以来、牙王は未だに勉強でわからないことがあるとノボルに尋ねてくる。 初等部時代に仲が良かった面子はノボルと牙王を覗いて全員が相棒学園に残った。そして今回問題を起こした牙王の妹である花子も相棒学園の中等部に在籍しているはずである。制服着用の義務がない学園内で、誰の影響か言うまでもなくセーラー服で通っている。以前花子のその姿を見かけたとき、ノボルは思わず牙王に「学ランの妥協案としてのセーラー服じゃねえだろうな」と聞いてしまったほどだ。この言葉に対する返答は、覇気のない苦笑いだった。 キャッスルが牙王の家に行けば大抵の友人とは顔を合わせる機会がある。それにしても近頃花子とは会っていなかったことを思い出してノボルは大きく息を吐いた。原因に含まれる悪意の比重がどちらに傾いているにせよ、武術の試合中でもなく他人を殴るのは暴力だ。花子がそんなことをするとは、正直ノボルは未だに信じがたい気持ちでいる。小さい頃から合気柔術の道場主かつ母である師範に礼儀面では正しく躾けられていたはずだし、彼女がいたく憧れていた太陽番長である兄もその小さな妹の前では正しく力を奮ってきたはずだ。出会ってから、自分への態度は年上の尊敬に溢れたものではなかったけれど、生意気だと徹底的に拒絶しなければというほどでもなかった。どうにも上手く扱えないのは、純粋な眼差しで見つめてくる感触がむず痒くて仕方がなかったからだろうと今ならばわかる。 「――なあ、牙王」 実の兄ならば、自分よりも詳しい事情を知っているのかもしれない。何せ殴られた元彼女に、妹をきちんと謝りに行かせるからと約束しているのだから、謝らなければいけない事情とやらをきちんと花子から聞き出しているはずだ。 宿題を終わらせることに熱中している牙王は、ノボルを見遣ることもなくノートに齧りついている。目が近い。視力が落ちるぞという警告と、ちょっと話を聞けという意を込めて、ノボルは牙王の後頭部に手刀を落とした。予想外の攻撃に、牙王の額が勢いよく机にぶつかったが額をさすり痛がりながらも「何だ?」とあっさりノボルに向き合う辺り頑丈だ。花子がこの兄の頑強さを基準に元彼女を殴っていなければ良いのだけれど。ノボルは初めて元彼女に心配に近しい感情を抱いた。 「昨日の騒動の原因、何だったんだよ」 「騒動?」 「お前の妹が俺の元彼女殴ったっていう、アレだよ」 「ああー! てか、ノボルそれ本気で聞いてんのか?」 「? どういう意味だよ」 「そんなのノボルしかないだろー?」 「はあ?」 「もっと考えて女子と付き合ってくれねえとさあ、俺だって困るわけ!」 「意味わからねえ」と語気を強めれば、二人の周囲の生徒が驚いたようにこちらを見た。舌打ちしても牙王に威嚇の効果があるはずもなく、予鈴が鳴ってしまえば牙王はノートを抱えて慌ただしく席に戻って行った。結局宿題は終わっていない。恐らく放課後に居残りで課題が出されるだろう。 どうやら、今日の帰路には一人で就くことになりそうだ。 「ノボル、女の趣味悪いぞ!」 校門脇で仁王立ちしている少女の前を大股で通り抜ける。予想外の珍客だった。牙王はやはり、宿題が間に合わなかったペナルティを課されて居残りとなっていた。 「虎堂センパイ、だろ」 振り向きざまに指摘すれば、拗ねて頬を膨らませる未門花子がいた。 相棒学園を出たノボルが通う学校には当然のように制服があって、白いシャツにネクタイとブレザーというありふれた格好に埋もれた彼のことを、かつてその格好の特徴から「猫シャツ」だの「虎シャツ」だのと名付けていた花子は呼び方に窮した挙げ句兄の同級生をまさかの呼び捨てにするという現在に至っていた。一応指摘はするけれど、きっと無駄だろうとノボルも諦めている。花子は出会った頃からこうなのだから、今更どう矯正しようという気はなかった。ただ昨日の出来事に関しては多少問い質さなければならないだろう。 昨日の今日なので、てっきり牙王に呼ばれたかノボルの元彼女への謝罪にやってきたのかと思ったが、ノボルの跡をついてきているので違ったのだろう。初めて会ったときよりは随分と背が伸びたが、それでもノボルに比べると幾分低い位置にある頭。全身から湧き上がる快活さに、日頃兄である牙王と連れ立っているにも関わらず怯んでしまうのはどうしてか。花子のノボルに対する態度は出会ってからずっと変わらない。けれど変わらないものなどあるだろうか。本当に――? 「……お前、人殴るなよ」 「――殴ってないよ」 「叩くのも同じだろ」 「むう、そうだけどお!」 子どもの屁理屈が通じるノボルではない。年下のおませを上回る程度には、ノボルは頭を使えるのだから。 年上ぶって叱られていると思ったのか、花子の機嫌は下がる一方だ。それも仕方ないだろう。積極的に繋がった相手ではなかったが、人間関係をかき回されたのは事実だ。 「でも! ノボルのこと頭が良くて他の人にモテてるからって自慢の彼氏なんて言う女の人より花子の方が絶対ノボルのこと好きだもん!!」 花子の癇癪じみた叫び声は、予想外に、容赦なくノボルの頭を打った。それはもう、ガツーンと一撃。勿論、ノボルの元彼女が彼のことを装飾品のように思っていたことを暴露されたことがショックだったわけではない。その辺りは割り切っていて、そもそもノボルとて愛情だとかそんな理由で相手を受け入れていたことなどない。そもそも理由すらなかったのだ。ただなんとなく。そういう意味では、ノボルを他者からの自己評価を向上させる為に利用していたことに腹は立てども相手には一応自分を選んだ理由があったのだなと感心すらする。それくらい、今のノボルの思考回路はあちらこちらへと回線が飛んでしまっている。 ――もっと考えて女子と付き合ってくれねえとさあ! 昼間の牙王の言葉が蘇る。考えなしに、偶々告白してきた女子と付き合って、それがノボルのことを悪しざまに自慢できるからと彼の人となりを無視するような発言を――どうやら不運にも花子の前で――していて。そうして花子は、初対面のはずのノボルの彼女を平手打ちしたとなれば――。 ――ああ、そういう……。 そういうことかと理解するも何も、答えは既に花子が往来のど真ん中から叫んでしまったのだが。 何の反応もしてこないノボルを怪しんで、花子が下から覗きこんでくる。恐らく思考の混乱がありありと浮かび上がった情けない表情をしているだろうから、それを見られることは咄嗟に花子の頭に手を置いてわしゃわしゃと撫で回すことで回避した。 抗議の声を上げる花子を置いて、ノボルはまたさっさと歩き出す。 「何すんだノボル――!!」 「虎堂センパイな!!」 どれだけ大股で歩いても、どうせすぐに花子は小走りで二人の間に開いた距離を埋めるだろう。あるいはものともしないのだ。 今日、出会い頭で花子が言い放った言葉が頭を掠める。 ――ノボル、女の趣味悪いぞ! それはきっと、自分の彼氏を装飾品にように語り殴られた挙句彼氏に死ねという怒りのメールを叩きつけてくるような女の子のことを指している。その女のことは、もう終わった。 けれどたぶん、次も――。 「違いねー」 今回よりも性質の悪い、真っ直ぐな、ありったけの好意をぶつけてくる女の子に捕まってしまう気がするのであった。 ――――――――――― ちょっとは懲りたらいかがです Title by『さよならの惑星』 |