未門牙王は、本来自己完結型の人間である。周囲の人間と繋がることを喜びとするけれど、その為に相手にどう働きかけるかよりも、まず自身を律し、確固たるその地盤から揺らごうとはしない。惹きつける体質だから、それでいいのかもしれない。そう、無責任にタスクは思い始めている。彼に惹きつけられた大勢の内の一人として、それでも特別でありたくて人生で初めての愛の告白をした。牙王は、その告白を受け入れてくれたはずなのに――タスクは溜息を吐く。同じ気持ちだと思っていた。数ある好きの種類の中から、恋愛のカテゴリを選択して付き合うようになった。おおっぴらにできない関係ではあったけれど、だからといってそれは期間限定とつくような関係ではなかったはずだ。
 ――タスク先輩のは、違うんだよ。
 牙王は時々、傍にタスクがいることを忘れてしまったかのようにぼんやりとしながら呟く。
 ――何が違うの?
 その度に、タスクは苛立ちが声に滲まないよう気持ちを押さえて聞き返してきた。牙王は、向けられる好意には鈍いくせに観察眼は鋭い。隠しても、タスクの内側に生えた棘を直ぐに見抜く。それなのにどうして、一番底にあり、一番剥きだしの本音だけは見つけてくれないのだろう。こんなにも言葉にして、仕草で、行動で。牙王だけに差し出して来たものばかりなのに。


 牙王と連絡が取れない。そのことを、タスクはまだ誰にも相談していない。相談するには、まず牙王と喧嘩したことを話さなければならない。タスクにとって身近なバディポリスの大人たちは、タスクが同年代の子どもである牙王と喧嘩したことを微笑ましく思うかもしれない。激しい感情をぶつけ合うような子どもではないと、タスクは努めて冷静な人間であろうと奮起して来たから。けれど事はそう簡単ではないのだ。
 学校の席で頬杖をつきながら、タスクはぼんやりとしている。もしもこの喧嘩が収束に向かったら。最高の結果は普通に仲直りをすること。後を引かず何もかも元通りに戻る。中間の結果は、仲直りはするけれど、恋人関係は解消して元のライバル関係に戻りましょうという――そんなことできるだろうかと、タスクは疑っている――もの。最悪の結果は、このまま音信不通。さようなら、あなたの顔など二度と見たくないものですから。
 ――それはダメだ!!
 ガタッと派手な音を立てて立ちあがったタスクに、クラス中の視線が集まる(だがタスクは気付かない)。机に両手を突いて、打ちひしがれているタスクに声を掛ける猛者はいない。話し掛けたとしても、今のタスクは心ここに在らず状態でとてもまともな答えは返ってこなかっただろう。
 ここ数日は、本来の勤務時間外に緊急呼び出しがタスクの携帯に入ることはなかった。だからタスクの携帯の通話、メール共々着信履歴は止まっている。牙王からすらも、何の音沙汰もなかったから。それがこんなにも、タスクを容易く打ちのめしていた。


 牙王は枕元に携帯を放り出して、ベッドに横になって目を閉じている。眠るつもりはないので、掛布団の上から横になった。タスクと喧嘩をしてから――喧嘩だったのだろうかと、そもそも牙王は疑っている――、牙王はあまり携帯を弄らなくなった。彼はきっと、自分からの連絡を待っているのかもしれない。喧嘩の原因が牙王にあるから謝るべきだと思っているわけではなく、他者への踏み出し方を知らないタスクは、こちらの出方を窺うしかできないのだ。ぶつかることを未知なる領域の出来事のように捉え、最後にあった日も、牙王の言葉にわかりやすく目を丸くしていた。その反応が、牙王をひどく突き放しているように感じられたことを、タスク本人に打ち明ける日はきっとこないだろう。上手く説明できる気がしない。難しいことは苦手なのだ。だから本音を言うならば、たぶん、後悔もしている。タスクと恋人という関係になる一歩を踏み出してしまったことを。純粋にバディファイトをしているだけで十分だと思っていた。その時間が積み上げてきた確かな信頼を、どうして顧みなかったのだろう。告白してくれたのはタスクからだったけれど、牙王は自分の方が重たいものを彼に向けているような気がしている。周囲の人間は、二人の恋愛感情を知らないままにタスクはとても牙王を大切にしていると判断している。牙王も、随分大切にされているという自覚があった。そしてそれは、イコール蔑ろにされているということでもあるということに気付いた日から、牙王は覚悟を決めたのだ。この恋心を殺しきれない限り、いつか自分はタスクを失う日が来るということを、牙王はもう、確定事項のように知っている。そこで牙王の思考は完結し、周囲からの影響を――厄介なことに牙王と共に当事者である筈のタスクの言動ですら――受けて揺らぐことを良しとしないのである。


 嘘を吐いたのはタスクの方だ。けれどそれは戯れで、怒りという激しさよりもちょっとした腹立たしさを内側から発散させる為に、何か刺々しい代替の言葉を吐き出す必要があったからだ。
 ――牙王くんのそういうところ、嫌いだよ!
 そう言った瞬間の牙王の顔を、実はタスクはよく覚えていないのだ。それよりも、僅かに考え込む仕草を見せた牙王が、伏せていた瞳を上げた瞬間の表情の方が鮮明に脳裏に焼き付いている。凛として、けれど泣きそうに見えた。瞳には炎が煌々と燃えているような苛烈さと、全てを投げた諦観の海が広がっていた。
 ――うん、知ってた。
 牙王の答えに、タスクは目を見開いて、信じられないものを見るような目で彼を見ていたように思う。何を言っているのだと、タスクの不用意な一言を挟む前までは、お互いに通じ合った想いを抱えていた筈のたった一人が突然態度を翻したような衝撃が襲ってきて、全く身動きが取れなかった。
 ――牙王くん?
 謝れば良かったのだろうか。違うよ、嫌いなんて嘘だよ、大好きだよと。しかし一方で直感が見抜いてもいたのだ。そんな愛の言葉の何もかも。タスクが牙王に差し出してきた想いの何もかもを、牙王はもうずっと前から疑っていたということを。
 ――タスク先輩のは、俺のとは違うんだよ。
 今まで何度も聞かされて、「何が?」と問い返しながらも深く詳細を求めなかった言葉。突き放されているようで苦々しくも思ってきた言葉のその意味を――意味ではない、正しい文面を――、タスクはこのときようやく理解した。
 ――タスク先輩の好きは、俺の好きとは違うんだよ。
 牙王はずっとそう、タスクに警告していた。タスクが恋だと差し出した気持ちを受け取ってくれたのに。同じ気持ちだと返してくれたはずなのに。
 ――どうして?
 絞り出されたタスクの縋る声に、牙王はただ、小学生とは思えない寂しげな微笑みを浮かべていた。「どうして、」タスクの言葉を鸚鵡返しして、宙を扇いだ。

「だってタスク先輩は――」

 聞きたくない。そうタスクの脳が拒絶した瞬間、回想は黒で塗り潰されてぶつりと途切れていた。みしり、握りしめた携帯が音を立てる。
 牙王と連絡が取れなくなって、二週間が経過していた。


 タスクのことが、友だちを慕わしく思うのとは別の意味で好きだと気付いたとき。牙王は何回か、誰にも気付かれないようひとりで泣いた。ばれないようにしようとは勿論思った。忘れてしまえとも、気付かないふりをしようかとも散々悩んだ。そして結局、牙王はタスクのことが好きな自分とどうにか折り合いをつけて、いつも通り振舞うことが可能であることを確認してから、考えることを放棄した。考えても仕方がなかったし、恋愛が相手との関係によって前進や後退という捉え方があることを知らなかったせいもあって、好きは好きだとその答えだけを牙王は完結させた。どうやら、どれだけ精神を鍛えても芽生えた気持ちを殺すことはできないと本能的に悟っていたらしい。
 だから、タスクが思い詰めた顔をしながら牙王の両手を握って「好きだ」と告げてきたとき、牙王は驚きのあまり殆ど頭が働いていない状態だった。そして反射的に正直に答えていた。自分も同じようにタスクのことが好きなのだと。それは間違いではなかったけれど、正解ではなかった。両想いになりたかったわけではなく、付き合うという意味も何一つ牙王にはピンとこないものだったけれど、どうやらタスクは幸せそうにしていたので、間違いではないはずだと思うことにした。タスクが好きだという気持ちに偽りはなかったので、会いたいと声を掛けることに遠慮をする必要が無くなる「恋人」という関係は、確かに牙王を満たそうとはしていたのだ。満ち足りることは、なかったけれど。
 タスクと連絡を取らなくなってから、牙王は何度も最後に会った日の彼の言葉や表情を瞼の裏で思い出す。目を閉じて、心を落ち着けて、タスクの言い放った「嫌いだよ」という言葉を受け止める。あの時、彼の言葉を受けて牙王は「知ってた」と返した。けれどこの言い方は正しくなかったと今になって思う。
 きっと、知ることになるだろうという漠然とした予感を抱えていたという方が正しい。仮にも好きだと告白してきた相手が自分を嫌いだということを、真実だとは言わない。ただ、すれ違っていく事実に、それを詳らかにする鍵のようなものだった。だから牙王がタスクに放った反論は、「嫌い」ではなく「違う」という言葉を用いて行われたのだ。
 タスクの愛と、牙王の恋は、根っこの部分で噛み合ってなどいないのだと。


 牙王にとって、恋というものは偶にテレビの中で見かけるもの、妹の花子が今よりもずっと小さかった頃に読み聞かせてやった絵本の中で王子様とお姫さまが繰り広げるものといった、全く身近でないものだった。ただ、恋というものが一対の異性が惹かれあっていく様をいうのなら、最終的に辿り着くおぼろげなイメージはいつだって彼の両親だった。夫婦という名前。牙王の両親は今は離れて暮らしているけれど、一生を寄り添っていく誓いを立てた二人。牙王はタスクと、そんな添い遂げあう未来を描いたことはない。そもそも将来のことなんて、何一つわかりはしないのだから。

「何でかなあ、」

 ぽつりと天井に向かって吐き出した言葉は一瞬で暮らし馴染んだ空気に溶けてしまう。一人きりの部屋はじっと牙王を包んで、静寂を保っている。
 考えるよりは身体を動かす方が好きで、しかし番長という名乗りや、年上の喧嘩にも見境なく割り込んでいく姿勢だとか、たこ焼きひとつで爆やドラムと争っている姿から周囲の人間が思い描いているよりもずっと牙王は沈着で、だからこそどうしようもない問題を目の前にしたときに困ってしまう。助けの求め方は知っている。ただ、求めようとは思わないのだから自分でどうにかしなければ。どうしようもないのではなかったかと問われれば、それでも、まあ、どうにかしてみようと思ってしまうのだ。一人で。
 それこそがどうしようもない自分の根っこなのだと、牙王は手の中で微動だにしない携帯という機械の先にタスクの後姿を描きながら自覚する。タスク先輩だってそうだろうと語りかけて、想像の中で困ったように眉を下げた彼は否定の言葉を紡がない。

「だってタスク先輩は――一人で大丈夫な先輩でなきゃ、俺のこと好きになったりするもんか」

 まずは一人。まずは自分。それが確立できないタスクは牙王という他人を特別に見つめたりしないだろう。誰かに寄り掛からなければ立てない自分を、弱いと謗って許せないだろう。そしてそんな彼を支えられるのは、支えてきたのは牙王ではなくて彼のたった一人の家族なのだ。
 同じように、弱かった牙王を支えてきたのは今は亡き兄が残してくれた導きだというのだから牙王はふつふつと笑い出したくなってしまう。
 タスクもいつかは気付くだろうか。彼が牙王に向ける視線の優しさも、言葉の柔らかさも、おずおずと触れてくる手の温度も。恋ではなく、ただタスクがもう少し勇気を持って視野を広げてみれば沢山の人に向けることが出来るものだということに。そしてそのときが――少なくとも牙王にとって――自分が彼の特別の座を、恋人という関係を失うときなのだ。


 牙王がどこまでも自己完結な思考回路でタスクとの関係の終わりを描いている頃、タスクもまた自宅のベッドでうつぶせになって寝転がっていた。というよりも倒れていた。手に握り絞めた携帯を破壊してしまえば、いっそ来ない連絡にも納得がいくのではないかという暴論にすら辿りつきかけた。これというのも牙王にその場の勢いで「嫌い」などという思ってもいない言葉を吐き捨てた自分が悪いのか、タスクの想いをどこかで信じてくれていなかった牙王が悪いのか。字面で言えば牙王の方が幾分不誠実ではなかろうかと思うのだが何分タスクは牙王のことが好きなので出来るだけ彼を肯定的に捉えようと無意識に贔屓するところがある。

「何でかなあ、」

 枕に押し付けた唇から洩れたくぐもった声はずしりとタスクの内側に落ちてきた。
 牙王は言った。タスクの好きは自分のそれとは違うのだと。何が違うのだ。好きという感情に種類があることくらいタスクにだってわかる。それのなんと面倒くさいことだろう。世間にいくらそういった子細な感情の機微があったとして、タスクはそこまで繊細に他者への感情を分類していない。
 タスクは牙王が好きだ。それは恋だった。恋でないなら、好きだと自覚することはなかった。それくらい、タスクの中で牙王への想いはシンプルなものだった。

「だって僕は、僕にはもう、牙王くんしか――」

 声にしてみると案外陳腐に響くのだなと、タスクは新発見だという驚きと落胆で勢いよく身体を起こした。
 どうやら僕の言葉は存外牙王くんの信頼を勝ち得ていないようだし。
 納得しがたいが、残酷な真実だ。言葉はいくら積み重ねても戸惑いと焦りを超えられなかった。感情と直結すべきなのは、言葉よりも行動だったのだと今になって思う。だからタスクはここ数日ずっと握りしめていた携帯をベッドの上に放り出した。

「――頼む、ジャック!」

 会いに行こう。嫌われてしまったのかもしれない。もしかしたらこのまま、離れて行ってしまうのかもしれない。想像しただけでぞっとする。けれど今は立ち竦むよりも早く空を飛んで、真っ直ぐに牙王に会いに行く。恋人になってから、こんなに音信が途絶えたことはなかったので――その経緯も手伝って――どんな顔で会えばいいのかもわからないけれど、顔なんて合わせなくたってさっさと抱き締めてしまえばいいのだ。放り投げられるかもしれないけれど。それでも懲りずにこの両腕を広げるのだ。
 決めてしまえば、それだけのことだ。タスクには牙王が必要だった。利己的ではあるけれど打算のない、純粋な願いだった。
 タスクはもう、一人ではいられなかった。そして自分をこんな風に変えてしまったのは牙王なのだということを、どうにかしてわかってもらわなければと、タスクは勢いよく窓から飛び出していた。



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どうせ君は君だけのもの
Title by『わたしのしるかぎりでは』
20151203


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