※捏造注意



 今となっては言い訳にしかならないけれど。こんな結果になると知っていたら、もっと慎重に方法を選んでいたはずだとタスクは唇を噛む。過ちを過ちとして認める為に、言い訳や後悔が必要だなんて格好悪い。目の前に差し出された力を手にすれば大人になれると思った。全てを守る側に立てると思った。けれど、果たして。全てを守るものなんてこの世に存在していたのだろうか。
 煉獄騎士と名乗って振り下ろした刃が――闇の力が、かつてタスクから大切なものを奪った大きな力と同じように世界を歪めていることに気付いたのは、既に世界の崩壊を止める手立てが一つしか残されていない切羽詰った状況に陥ってからだった。
 そしてその残された一つの方法を選び、実践した少年は、全てが元通りになった世界から一人忽然と姿を消してしまっていた。


 辿り着いたのは、とても暗い場所だった。初めは寒いと感じていた温度は、歩き続けている内に消えていた。タスクの感覚がマヒしたのではなく、本当に温度が消えてしまったらしい。感じられるのはただここがとてつもなく暗い場所だということと、道もなく方向感覚すらあてにならない空間をただただ必死に足を動かして進んだ先に探し続けてきた彼がいるという根拠のない確信だけだった。地面を踏みしめる感覚も消え失せ、もしかしたら自分はこの何もない空間を漂っているだけなのではという気すらしてくる。自分の意思で身体を動かせているという感覚が失せてしまうのは、タスクが探し続けている少年にはきっとえらく苦痛なことに違いない。精神的には年相応よりもずっと達観した部分があったけれど、合気柔術を嗜み太陽番長を名乗り喧嘩の仲裁に飛び込みバディファイトでも自らモンスターと共に相手陣営に切り込んでいくスタイルからも彼が身体を動かすことが好きだったことは疑いようがない。退屈していないだろうか、何をしているのだろうか、それでもそもそも本当にここにいるのだろうかという疑問だけは抱かずに、タスクはただ前を見つめ続けた。

「――牙王くん」

 呟いた名前は懐かしく、それでいて決して褪せない強さでタスクを奮い立たせた。


 もしかしたらここは宇宙なのかもしれない。タスクは一度だけ後ろを振り返り、何もない前後左右変わらぬ闇が広がるばかりの光景に息を吐く。それは迷いや恐怖を振り払う為であり、牙王を見つけるまでは決して立ち止まらないという意思の表れだった。
 ここに辿り着くまで、タスクと一緒に牙王を探してくれていた牙王――そう線引きすることをタスクは忘れない――仲間たちとはとっくにはぐれてしまっている。彼等はどうしているだろう。この場所に足を踏み入れる前の場所で引き返してくれているといいのだけれど。心配は、しかしこれ以上の注意は払えないというギリギリのラインでしか行えなかった。タスクはもう、自分が全てを守れる器ではないことを知っていた。かつて幼さ故に――実際は年齢など関係ない災害という事象に飲み込まれたことを、しかしタスクは頑なに己の年端のいかない未熟さのせいだと思い込んでいる――大切な人を失ってから、自分の弱さを知った。だから強くなってみんなを守れるようになろうと、なれたはずだと思い込んでいた矢先に牙王を失ってまた気付いたのだ。全てを守ることは、誰であっても出来ることではないのだと。だからタスクは選択する。今タスクが守りたいのは、救いたいのは、未門牙王ただ一人だと――。
 突然タスクの視界が光に覆われて、咄嗟に両腕を翳す。ぐらりと意識が揺らいで、全身が光に包まれたのだとわかる。これまで何も感じていなかった肌が、温かいという感覚を取り戻していた。そしてゆっくりと目を開いたとき、予想に反して景色は明るさを取り戻してはいなかった。
 しかし真っ暗だった世界にいくつかの水晶の柱のようなものが浮かび、それが青や紫といった薄暗い光を発しているおかげで視界は随分とはっきりした。そしてその水晶の隙間に一カ所だけ恐らくは浮かんでいるのと同じ水晶の、パッと見では氷が張っているようにしか見えない地面が浮かび上がっていて、そこに一人の少年が何かを覗き込むようにして立っていた。

「牙王くん!」

 水晶の隙間からしか見えない姿に、それでもタスクは見間違うはずもないと叫んでいた。見慣れていた青い学ラン姿で立つ牙王は、静かな世界を裂くように割り込んで来た叫び声にはっと顔を上げながらも、驚いたというよりは解せないといった顔つきでゆっくりと駆け寄ってくるタスクの方へと顔を向け、そして漸く驚愕の意で瞳を見開いた。随分と長い間、水晶に映る自分以外の人間の顔を見て来なかった気がする。他人という存在が目の前に現れるなんて。牙王の抱いた驚きは、現れた相手がタスクであるということは決して加味しない上での驚きだった。
 ――それで、たしか、あの人は、誰だっけ。
 首を傾げる。相手はずっと牙王の名前を呼びながら、一気に縮めることのできない距離にもどかしげな表情で必死に足を動かしている。徐々にくっきりと浮かび上がるその顔は、確かに見覚えがあるのだが肝心の名前がぎりぎりのところで思い出せない。
 ――知ってる、絶対、知ってる。俺は、あの人がすごく大切で、だから。
 牙王は自分がこんな寂しい場所にひとりぼっちでいる理由を忘れてしまっていた。けれど今自分に向かって必死に手を伸ばしている彼が関係していたような気がするのだ。何故だろう、ぼんやりと考え込んでる牙王の前に、とうとうタスクは降り立った。

「牙王く――」

 やっと会えたと言わんばかりの、安堵の滲んだ声。そしてタスクの伸ばした手が牙王の肩に置かれた瞬間、決壊したダムから水があふれ出すように勢いよく様々な記憶が溢れてくる。
 そして。

「……タスク先輩?」

 やっと思い出せたと、にかっと太陽のような笑顔で牙王がタスクを呼ぶと同時に、彼の周囲に浮かぶ水晶のひとつにバキッとヒビが入る音が響いた。


 忘れて行かなければならないと、誰かが言った。人間界と異世界の狭間まで牙王を導いた存在は、始終姿を見せることはなくどこかから聞こえてくる声だけで牙王に様々なことを説明して聞かせた。牙王はここで、異世界と人間界を結ぶ扉が閉じることのないよう、休むことなく門番として働かなければならないのだ。番人というよりは人柱と呼んだ方が適切だったが、牙王には自身が犠牲になったという意識がなかった。牙王の役目は、とても長い時間をかけて努めなければならないものだった。今や人間界中に広まり、浸透しているバディファイトというカードゲームを失わない為に。バディを組んだモンスターと家族のような絆を築いている多くの人間たちを悲しませないために。牙王は人間界と繋がる様々な異世界の扉が閉じてしまわないよう見守り続けなければならない。
 果たしてその使命はどれくらいかかるのか。牙王の疑問に、声は淡々とお前がバディファイトの存続を望む限りと答えた。それならば、ずっとだと牙王は笑った。受け入れてしまった。その瞬間、牙王はもう自分が元いた場所へ帰る日が来ないことを予感し、そのことに一抹の寂しさを覚え、しかし抵抗はしなかった。
 そして永遠の孤独を癒すことはできない代わりに、それでも耐えていけるようにと牙王の記憶が徐々に削られていくことも教えられた。しかし、最後まで残しておきたい記憶があるのならばそれだけは弄らないでやることもできると言われ、それならばと牙王は降ってくる声に向かって(上から聞こえるような気がしたので)たった一つだけ忘れさせないでくれと願った。それが何だったか、誰とも会わずに自分が何を忘れて行ったかも思い出せない牙王には、よくわからなくなってしまった。
 ただ、自分はずっと残しておきたい記憶にタスクの存在を願わなかったのだと、それだけがこうして本人と相対してからはっきりと思い出されるのだった。

「――何でタスク先輩がここに?」
「迎えに来たんだよ」
「――――」
「牙王くん?」
「迎えって?」
「迎えは迎えだよ、僕と一緒に帰ろう?」
「帰る……」
「みんな待ってるから」
「みんな――」

 タスクの言うみんなは、きっと牙王の大切なみんなのことなのだろう。しかし今となっては全員の顔を思い出せているか、霞がかって思い浮かべるいくつかの顔は、果たしてなんという名前だったか、牙王にはもう自信がない。けれどまだ、みんなのことが大切だったことは覚えている。牙王と同じようにバディファイトが好きで、寧ろそれでしか繋がりを持ってこなかったような人たちで。だから牙王はここにいる。みんなからバディファイトが取り上げられることがないように。悲しんだりしないように。牙王はここに、いなければならないのだ。

「ごめん」

 紡いだ言葉は、がらんどうなこの世界の静謐にすっと溶けていく。

「俺は帰れないよ」

 何故だなんて聞かないで欲しいから、牙王は真っ直ぐタスクの瞳を見つめて、ああそうだと一人湧き上がる感慨に胸がいっぱいになった。慌ただしく全てを放り出してきてしまったから、タスクの姿をしっかり眺めることすら随分と久しぶりのことだった。思い出せる限りの記憶の中で最後に見たタスクは、とても大仰な甲冑のコアガジェットを全身に纏わりつかせていて、雰囲気も刺々しくて、とても和やかに別れを済ませてきたといえるような状況ではなかったはずだ。今のタスクは懐かしいバディ不ポリスの制服で、でも少しだけ背が伸びているだろうか。牙王はきっと、人間界を旅立った日から何一つ変わっていないから、それがちょっとだけ羨ましい。
 牙王の拒絶に、タスクは呆然と――しかし表情ははっきりと悲痛を訴えて――開いたままの口が塞がらなかった。言外の願いが通じたわけではなかったけれど、タスクは何故とは聞かなかった。そもそも牙王が助けを求めているなんて、それ自体が根拠のない話であってタスクは(そして牙王の仲間たちは)自分が助けたいから、取り戻したいから、帰ってきて欲しいから牙王を探していただけなのだ。牙王の意思はそこに一切含まれていない。けれど意思と選択が済まされてしまったこの場所で、それでもタスクは牙王を連れて帰りたいと思う。最悪、力尽くに及んだとしても。

「ごめん、タスク先輩。俺は、帰らない」

 反応しないタスクの為か、牙王はもう一度同じ言葉を、今度はよりはっきりと決意を滲ませた言葉で告げた。タスクの悲痛の下に敷いた決意すら読み取ったように、眉を下げて、首を振る。力尽くが可能となる舞台には、上がらせないというように。タスクとは、ここでバディファイトをするつもりはない。出来ない。
 どうしてだろう、牙王の大切な相棒の姿はここにはなかった。おかしいな、一緒に旅立ったはずなのに。疑問が湧いて、けれどどろりとすぐに感情の波に不審というひとつの感情は溶けて混ざって表面化することはない。タスクが現れて、久しぶりに心を動かした所為で、牙王の内側は今ひどく忙しなかった。これっぽっちも、顔や仕草に現れないその慌ただしさがタスクに伝わることはない。

「……どうしても?」

 惨めに震える声で、タスクは牙王にやっとのことで尋ねる。みっともない、何を縋っているのだ。けれどそんな戒めも今更だった。無自覚に甘えた。縋って祀り上げた。だから牙王は、まるで神様が然るべき対価として取り上げて行ったかのようにタスクの世界から消えた。トドメを刺したのが、タスク自身の弱さだったとしても彼は結果を理不尽と憤る。牙王はその身勝手を許すだろう。けれどもう、受け入れるには様々なものを違えた後だった。

「どうしても」

 最終勧告。凛とした瞳がタスクを射抜いて、周囲に浮かんでいた水晶が次々とヒビ割れて行く。何事かと顔を上げるタスクに、牙王は申し訳なさそうに「時間切れだ」と囁いた。
 龍炎寺タスクという異物を、この空間が受け入れていられる制限時間。元々牙王はこの空間の安定を保つためにここに縛られているのだ。本来いるべきでない存在を長居させるべきではなかった。ここは、異世界と人間界を結ぶどちらでもない中間地点。そこに平然と居座り続ける牙王は、恐らくもう――。
 今未門牙王が生きる世界では、タスクは異物。その事実が刺さるように痛い。しかしタスクの足は透き通る地面に張り付いて動かない。このまま帰らなければ自分がどうなってしまうか――弾きだされるか、飲み込まれて消滅してしまうか、激痛を伴いながら引きちぎられてしまうのか。どうであるにせよ、自分から牙王に背を向けて去ることはできない。牙王は今度こそどうしてものだろうかと頬を掻きながら「タスク先輩」と名を呼ぶことで理解を求める。どうして自分は牙王を困らせることしかできないのか、タスクも甚だ不思議で仕方ないのだが、しかしそれにしたってあまりに時間の猶予が短かったものだから諦めもつかない。牙王を探し回って来た時間と、牙王と再会してからの時間。全く以て釣り合っていないではないか。

「――見てるからさ、」
「牙王くん?」
「ここから、みんながいるあの場所を、覚えていられる限りは見てるから――」
「でもそれじゃあ!」
「だからタスク先輩は、あの場所に帰って、あの場所で生きていてくれよ」
「君が居ないことに変わりはないじゃないか……!」
「どこにだっているんだぜ、きっと」
「嘘吐き」
「先輩が、バディファイトを楽しんでくれてさえいれば」
「牙王くんがいないのに?」
「どこにだっているんだって」
「嘘吐き」

 会話じゃなかった。どれだけ抵抗の意を示しても、否応なく二人向かい合っているこの時間が途切れる時が刻一刻と近づいてきているのがわかるから、二人して言っておこうと思い立った言葉をどんどん投げ付け合っているだけだ。こういうとき、タスクは自身の思考回路が幼稚であることに向き合わなければならない。牙王の言葉は、どうにかしてタスクをあやそうとしているものばかりだったから。
 ふとタスクから顔を逸らした牙王の視線の先には、ゆらゆらと揺らめく水面が広がっていた。池や湖と呼ぶには、きっと深さがない。二人が立っているこの足場だって、何もない空間にぽつんと平べったい氷が浮かんでいるようなものだった。けれど、タスクが牙王を見つけたとき彼が覗きこんでいたものは、きっとこの水面の向こう側だったに違いない。だが問題はそんなものよりも牙王だと、じっとまた牙王を見つめるタスクに苦笑しながら牙王は「あそこ」とその水面を指差した。浮かぶ水晶と反射し合って煌めく水面に、どうやらこの世界にも光は差し込んでいることを知る。そうでなければ、牙王の姿を見つけられるはずがなかったけれど。

「あそこから、見てるからさ!」
「……見えるの?」
「ああ。人間界も、バディモンスターの世界も、色んな所が見えるんだぜ」
「牙王くん、僕は――」
「こんな所まで会いに来てくれて、ありがとな」

 みんなにもよろしく伝えてくれよ。そう、牙王が再会してから一番の笑顔を浮かべた瞬間。またしても眩い光がタスクを包み込んで、それがまた自分たちの別れの合図だと眩しさに反射的に目をきつく閉じてしまったタスクにもわかった。最後まで言えなかった言葉を悔やむタスクの眦から、一筋の涙が零れた。
 よろしくなんて、伝えられるはずがなかった。


 先程まで目の前にいたタスクの姿が消えて、牙王はすることがなくなってしまった。どうせなら、何か身体を動かすことで自分の存在が機能するように設定してくれればよかったのにと姿を見たこともない声の主に対して思う。牙王のすることいったら、小さな水面に映る様々な世界を覗きこむことくらいで。退屈に気が狂わないよう、徐々に牙王の人間としての情報を削ぎ落して、それこそ世界を回す歯車に作り替えようとしているのだろうけれどそれまでがしんどい。それでも自分で選んだのだと、牙王は気持ちを落ち着かせる。タスクに再会したせいで、昔の(ここに来たばかりの頃の)考え方に戻ってしまっている。
 それにしても、ちょっと冷たく追い返すような言動をしてしまっただろうか。最後の言葉も、半ば遮ってしまったようなものだしとタスクに対する自身の態度を顧みてみるも次へ活かす当てもないのでやめた。タスクがもうここへ来られるはずもないし、自分もまた彼のことを忘れてしまうだろう。それがどうしようもなく申し訳なかった。
 たった一つ、未門牙王としての記憶が忘れさせられていく中で残しておいて欲しいと願ったもの。牙王はタスクを願わなかった。あの世界に置いてきた誰のことも選ばなかった。あんなに良くして貰ったのに、仲間だったのに。牙王は最後の最後で自分の希望だけを選んだ。残してきた誰の希望にもならないかもしれない。けれど牙王だけは、誰のことを忘れてもこの記憶さえあれば大丈夫だと確かに信じられる思い出を残しておいてくれと頼んだ。

『俺が、バディファイトすっげえ好きだったって記憶を消さないでおいて欲しい』

 それさえ覚えていれば、もしも、万が一、億が一の可能性だとしても。いつかまた忘れてしまった沢山の人たちと出会えた時、バディファイトが好きだという気持ちさえ残っているならば、何度でもやり直せるような気がしたから。
 独り善がり、我儘。わかっている。でももう牙王には願うことしかできなくて、それすらもやがて忘れていくだろう。願うだけの衝動を生む心が、消えていく。
 今だって、数分前まで自分の目の前に立っていた少年の姿が頭の中で霞んできてしまっている。名前を声に出そうとしても上手くいかない。でもまだ、完全に消えたわけじゃないと牙王は胸元の服を握り絞める。太陽が歪み、それでもまだ覚えている。大好きな人だったと、それだけは。
 その小さな身体で全てを守った未門牙王という名前の少年は、両腕で自身を抱き締めるように小さく蹲って目を閉じた。次に目を開ける時には、どれだけのことを覚えていられるだろう。あの空色の髪を、ほんの僅かでもいいから覚えていられますように――。



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※タス牙へのお題は「あの場所に帰ろう」です。10時間以内に2RTされたら書きましょう。(twitter診断『シリアス恋愛にひとつのお題』様より)

おいてきぼりにしてきた愛の名前
Title by『春告げチーリン』





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