※捏造注意


 どうやら未門牙王の記憶は上書き形式であるらしかった。
 それもひどく正確に、寸分のずれもなく元あった一人分の記憶の上に同一人物の新たな記憶を書き込んでしまう。そして保存してしまったら、元の記憶のデータは書き潰されてなかったことになる。

「煉獄騎士がタスク先輩だってんなら、タスク先輩は煉獄騎士なんだろ?」

 そうやって、未門牙王は龍炎寺タスクという人間の記憶の上に煉獄騎士という記憶を上書きしてしまった。そのことに気付いたのは、皮肉なことに全てが終わり、煉獄騎士があの重苦しい鎧を脱ぎ捨てて、龍炎寺タスクに戻ったあとだった。纏わりついた闇を打ち払う勇気を与え、タスクを取り戻したのは牙王なのに、その牙王が目の前に現れたタスクにずっと首を傾げているのだ。
 けれど邪気なく煉獄騎士を探す牙王の表情の晴れやかなことときたら。これまでと変わっていないからこそ誰もが気付いてしまう。未門牙王は壊れてしまった。そして壊したのは、間違いなく牙王の前で立ち竦んでいる龍炎寺タスクその人だった。


 初めは信じたくないようだった。吹き飛ばされた兜の下に現れたその顔を、牙王は大きな瞳を眼球が零れ落ちてしまうのではないかと言うくらいに見開いて凝視していた。

「嘘だ……」

 小さな呟きがやがて叫び声になり、しかしタスクは躊躇うことなく牙王の友に刃を振り下ろしていた。
 あの瞬間、牙王の心があげた悲鳴を誰も聞かなかった。みしりとひずんでいく音に誰も気付かなかった。恐らく、牙王自身でさえも、きっと。

「ぼくは――煉獄騎士だ」

 タスクの宣誓と同時にその悲鳴は消え、牙王の心は静寂に満ちた。押し潰されそうな心は入ったひびをそのままに、ただそこにある強さを持っていた。小さな少年には不釣り合いなほどの強靭さで、縛り付けられていた。
 牙王にとってタスクは特別だった。理屈は上手く操れなくて、けれど真っ直ぐで正しい人だと思っていた。その真っ直ぐさは、時々牙王の真っ直ぐさとは相容れないこともあったけれど、タスクはよく牙王の話を聞いてくれたし、理解も示してくれた。どこか自分たちとは一線を画していて(それはタスクが自発的に一歩引いているからだと、牙王はぼんやりと気付いていた)、それが社会という大人ばかりの世界に身を置く者の責任感の表れだったのかもしれない。バディファイトを愛していて、カードの力を現実化させて、それを犯罪に利用することにタスクはひどく憤慨していた。それは牙王も同じだったけれど、厭うものが時間が進むにつれずれていく。罪だけを間違いだと正す牙王とは違い、タスクは罪は犯す者がいて初めて罪になると思っていた。故に犯罪者は捉えなければならない。裁かれなければならない。それでも、バディファイトを想う気持ちは同じだったし、お互いに抱く信頼と尊敬も固かった。
 だからあの夜、富士に乗り込んだのだ。悪だと断罪するためというより、牙王は友だちを助けたいという想いが強かったけれど。それでも、放っておくこともできない暗いものがあそこにはあったのだ。牙王の大切な友だちを苦しめてしまうものが。タスクはもっとずっと強い意思を持って戦おうとしていたこともわかっていた。その強さを知っていたから、迷うことなく牙王はタスクと別れて走り出したのに。
 そうして行方不明になったタスクを心配し続けて、ようやく再会した彼は別れる直前まで対立していた連中とチームを組んで、暗い力と大仰な鎧を纏って濁った瞳で牙王を見下ろしていた。これが悲劇でなければなんなのだろう。
 前の方が良かった。好きだった。戻って欲しかった。呆然とタスクを見上げる牙王の唇からは、どんな懇願も相手の耳に届けられなかった。
 けれど仕方ない。あのタスクが決めたのだ。キリのときは、独りに怯える彼に思い出させてあげれば良かった。彼が抱える孤独が勘違いだと気付かせてやればよかった。弱いから失って、独りぼっちだと頑ななキリに、それでもバディファイトをしている以上は決して孤独ではないこと、自分とだって繋がっていると、牙王の気持ちを曝け出せばよかった。
 だがタスクは違うのだろう。勘違いでも、擦れ違いでもない。彼がこれまでの正義を投げだすのに、どれだけの覚悟が必要だったろう。どれだけの現実が彼を打ちのめしたのだろう。その選択に、牙王は関わらなかったのだ。少なくとも牙王はそう思っている。
 牙王がいなくても、タスクは正義を示す道の上にいた。牙王がいなくても、タスクはたったひとりでどうにかして臥炎キョウヤの元へ乗り込んだに違いない。ならば、辿る道は同じだったろう。彼はそこで、今まで自分の信じてきた正義を捨て去ってしまうのだ。今まで優しく牙王を見つめてくれていた眼差しが氷のように冷えてしまっても。親しみを持って柔らかい声で呼ばれていた名前が、鋼鉄のように冷めた硬い声で呼ばれるようになってしまっても。タスクは行くのだ。彼は真っ直ぐで正しい人だから。自分の選択に、自分の人生を懸けているから。
 だから仕方ない。タスクが決めたのだから。本音を言えば、牙王が内心で「俺は先輩の選択はおかしいと思うけど」と唱えていたとしても、牙王はタスクのことを何一つ決められない。タスクの言葉が、一番タスクにとって正しいのだ。これまでだって、言葉を濁し、真実ばかりを曝け出してくれたわけではないけれど、牙王に対しいつだって真摯であろうとしてくれたタスクの言葉が。
 きっと龍炎寺タスクは煉獄騎士なのだ。ならそれを受け入れよう。変わっていくことそれ自体は、悪でも間違いでもないのだから。世界を救うとか、悪を倒すための正義とか、牙王にはもう大層過ぎてわからないから。だからせめてファイトをしよう。お互いの全てをぶつけ合って、煉獄騎士が龍炎寺タスクとしての一切を捨て牙王からも背を向けてしまったのならばもう一度やり直そう。友だちにだって、ライバルにだってなろう。龍炎寺タスクと自分が築いて来たものをもう一度、煉獄騎士と一緒に新しく築こう。きっと出来るはずだ。だってバディファイトは、楽しい競技なんだから。
 そう決意して顔を上げた瞬間、未門牙王の中の龍炎寺タスクは煉獄騎士というたったひとつの名前になった。変わった名前だなとは思ったけれど、それも一瞬のことだった。友だちになれば、名前への違和感なんてすぐに吹き飛んでしまうと思ったから。そして実際、その通りになった。

「――なあ、煉獄騎士は?」

 ぱちぱちと何度も目を瞬かせて周囲を見渡す牙王に、誰も「今お前の目の前にいるだろう」と教えられる人間はいなかった。誰もが信じられないものを見る目で牙王と、彼の前に立つタスクを見つめていた。みるみる青褪めていくタスクの顔色を気の毒に思ったけれど、駆け寄って気遣ってやる余裕などありはしない。全員が牙王の言動に愕然として、絶望していた。だって、煉獄騎士とバディファイトをして、真正面からタスクの闇を受け止めて、それでもと彼を受け入れて立ち直らせた牙王が突然タスクを知らないと言い出すのだから。

「……牙王くん?」
「――誰だ?」

 知らない人間がずっと至近距離に立っている。タスクのただならぬ雰囲気に訝しげではあるが、それでも牙王はタスクから逃げ出そうとも、突き放そうともしなかった。けれど「誰だ」の一言が、どれだけの威力を以てタスクを殴ったか、それは牙王以外の人間だけが理解できること。
 失意と悲壮の瞳がぐらぐらと揺れて、今にもタスクは泣いてしまうのではないか。そう思ったけれど、彼はぎゅっと唇を噛んで泣くのを堪えながら笑う。それはひどく情けない微笑みだった。
 仕方ない。諦めない為に、救うために。諦めて、切り捨てるしかなかった。犠牲は他者ではなく牙王自身の中から払われた。タスクと同じことを牙王はしたのだ。それが、世界を救うためだと今までの正義を切り捨てたタスクへの、何よりも残酷な罰だった。

「ぼくは――龍炎寺タスクだよ」
「……龍炎寺、先輩?」
「タスクでいいよ」
「はあ、」
「ねえ牙王くん――」
「……何で、俺の名前――」

 何故初対面のタスクが自分の名前を知っているのだろうと言いたげな牙王に、全てを説明することはできない。それは、修復されたばかりで未だやわっこいタスクの心には辛すぎる。甘えかもしれないけれど。何より今伝えたいことは、過去に自分が牙王と出会った瞬間からどれだけ彼との時間に幸せを感じていたかということではないのだ。
 失くしたものは戻らない。戻ったとしても、失くした記憶と原因は小さなしこりとなって何らかの転機となるだろう。タスクと牙王にとっても、きっと。それでも、もう失くさないと決めたものが今のタスクにはある。それだけは、二度と見失わないと誓わせるだけのものが。たとえ牙王が、龍炎寺タスクでなく煉獄騎士を探し続けたとしても、それはたった一人の人間の名前だった。タスクを失わない為に、牙王が選んだ苦しい道のひとつだった。苦しませてしまった。それでも牙王はタスクに手を伸ばした。タスクは、それがどうしようもなく嬉しかった。

「よかったら、ぼくのライバルになってくれないかい――?」

 だからもう一度やり直そう。君が許してくれた、ぼくという存在で。



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見出され失われた人
Title by『わたしのしるかぎりでは』
20150113



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